人間関係の潤滑油としての「適当な同調」
田中先輩が喋り始めると、病棟の空気が変わる。
「最近の新人、ほんまに使えへんよね。昔はもっとちゃんとしてたわ」
ため息と共に吐き出される、定番の愚痴。僕は「でも環境も変わってますし」と言いかけた。
その0.5秒前に、相沢が動いた。
「ほんとですよね。田中さんみたいな先輩、今の子たちには絶対無理ですもん。時代が違いますよ」
田中先輩の顔がほぐれた。「でしょ?わかってくれる?」
「わかりますよ。だから田中さんがいてくれてよかったって思います」
3分後、田中先輩は機嫌よく去った。
「お前、本気でそう思ってないだろ」
「一ミリも思ってへん」
「なんで言えるんだ、そんなこと」
「感情の摩擦を起こして何になる。田中さんは正論を求めてへん。『わかってほしい』だけや。その需要に応えただけや」
「でも嘘だろ」
「嘘と潤滑油は別物や。嘘は相手を傷つける。潤滑油は全体を円滑にする。今あの人、機嫌よく仕事してる。それは病棟全体にとってプラスや。感情に正直に、正論ぶつけて、空気悪くなって、全員が30分余計に消耗するより、よほど合理的やろ」
「それ、お前が傷つかないための言い訳だろ」
相沢は少し間を置いた。
「そうかもな。でも僕は3年間、この病棟で潰れてへん」
言い返せなかった。正論で戦い続けて、じわじわ削られているのは、僕の方だった。
相沢のやり方は、きっと間違っている。でもこの病棟で、誰も傷つけずに、誰にも傷つけられずに生き残るには、あのくらい図太い「嘘」が要るのかもしれない。それが悔しくて、少しだけ、羨ましかった。
