終業5分前の「折り鶴」と善意の暴力
時計の針が17時55分を指していた。
あと5分。あと5分で僕は合法的に、この病棟から解放される。上着を手に取った、その瞬間だった。
「ちょっと待って!みんな、聞いて!」
新庄先輩が、どこから持ってきたのか、色とりどりの折り紙の束をナースステーションの中央にドサッと広げた。
「明日、〇〇さん退院するじゃない。千羽鶴、折ってあげようよ。絶対喜ぶって!」
キラキラした目だった。本物の善意の目だった。
「先輩」と僕は言った。「今、17時56分です」
「わかってる!だからみんな揃ってる今がチャンスじゃない!」
「業務時間外に無償で労働させることは、労働基準法第32条に抵触します」
「法律の話してるんじゃないよ!患者さんの笑顔の話してるの!」
新庄先輩の熱量が、ステーション全体の空気を塗り替えていく。周囲の同僚たちが、なんとなく折り紙に手を伸ばし始めているのがわかった。
「お前、〇〇さんのこと嫌いなの?」
「好き嫌いの話でもないです」
「じゃあなんで帰れるの!心ないじゃん!」
心はある、と僕は思った。だから労働基準法を守れと言っている。労働者を守るために存在する法律を、善意の名の下に踏み荒らすことの何が美しいのか、僕には本当に理解できない。
「先輩」
「なに」
「千羽、折り終わりますか。今夜中に」
新庄先輩は一瞬だけ止まった。でも次の瞬間には、もう折り始めていた。「折る!絶対折る!」
僕は上着を着た。おやすみなさい、と言って病棟を出た。
翌朝、〇〇さんの病室の窓際に、千羽鶴が飾られていた。新庄先輩が一人で折ったらしかった。〇〇さんは泣いて喜んでいた、とあとから聞いた。
間違っているのは確実に新庄先輩だ。でも〇〇さんの涙を引き出せるのも、新庄先輩だけだった。
