貸した傘と、受け取らない後輩

退勤時、突然の土砂降りに見舞われた。星野は傘を持っていないようだった。

「星野、これ使って。俺は車だから」

折りたたみ傘を差し出した。ただの、その場しのぎの親切だった。

「いや、大丈夫です。僕、濡れて帰ります」

「濡れて帰る意味がわからない。傘あるのに」

「先輩の傘、借りるのはちょっと」

「ちょっと何だよ。ただの傘だぞ」

「先輩にそこまでしてもらう資格、俺にはないので」

資格という単語が出てきた時点で、面倒な展開を予感した。

「資格とか関係ない。ただの傘の貸し借りだ」

「僕、いつも先輩に迷惑かけてばっかりだから。せめて今日くらいは、自分で何とかします」

「今日何とかしなくていい。むしろ今日は借りてくれ」

なぜか傘一本の話が、星野の中での「けじめ」に変換されていた。

「濡れて風邪ひく方が、よっぽど迷惑がかかる。明日のシフトを考えてくれ」

「大丈夫です。僕、頑丈なんで」

「頑丈さの話はしてない。傘、受け取れ」

「先輩こそ、濡れないように早く行ってください」

「俺は車だって言っただろ」

星野は聞く耳を持たず、軽く頭を下げると小走りで雨の中に出て行った。結局、傘を受け取らず、雨の中を歩いて帰っていった。僕は渡しそびれた傘を持ったまま、しばらくその背中を見送っていた。

――次の日、星野は普通に出勤してきた。頑丈だったらしい。あの意地は、いったい何を守るためのものだったのか、僕にはまだわからない。

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