『存在』
存在している。
ソレは存在している。
あ、怖い話じゃないよ。
通づるものはあるかもしれないけど。
『それは、存在の否定なんじゃないかな。認めたようで、受け入れたようで、結局パフォーマンスだから傷つくし、怒るんじゃないかな。そして、それをまた否定する。感情の否定をして、そうじゃないって、こっちのコースですよーってするから反発して、見えなくなったようで、でも存在したままで、わからなくなるんじゃないかな?』
私は私と私達だって、何回か書いている。
私をあらわすと森みたいなもの。
木1本も森だけど全体でも森。みたいな。
ぜーんぶ、私。と、私達。
私は全体を見た時の私を他人任せにしているところがある。
他人の世界に委ねている。
他人が見たいように見ればいいと思ってる。
中に入ってくる人に関しては別だけど、外側から見た私なんて、大抵私なわけだし。
でも、内側から、地面の中から空の上から、私を見てきた私から見た私達はどれもこれも違うことを、私は良く知っている。
私が気に食わない私が居ることも、知っている。そしてそれを、文句を言いつつ、怒りつつ、恥ずかしくなりつつ、認めている。
私は私と私達だから。
それに、私
私達に「私の言うこと聞け!」なんて言えないもん。
だって、それって、私が私達に言われたら嫌だもん。
私と私達は私なのに、私のこと解ってないってどういうこと?って思うに決まってる。
コレは総意。私と私達の総意だから、私も私達も存在を否定しないで、生きている。
怖くても
非常識でも
理想的ではなくても
そう思う自分が居た時に
一つも聞いてやらないで
わかったふりして
「はい、じゃぁ軌道修正ね」
なーんて
言ったところで
響かなきゃ
ついてきてくれないの
わかるでしょ?
自分のことを大切にするって
他人と向き合うよりずっとずっと
一生のおつきあいだから
ずっとずっと難しくて大変な時がある。
言うこと聞かせようとしているから
言う事聞かないんだよ。
そうじゃなくて
もっといっぱい喧嘩したらいいと思うし
もっといっぱい泣きわめいたらいいと思うし
なんなら涙と汗でドロドロになって、気がついたら熱いお風呂に一緒につかったらいい。
自分のいいところは
他人みたいに消え去っていかないところ。
膝突き合わせて話すのに
これほど適任いないから。
同じ考えに縛らないで
圧力で同じ形にしないで
たくさんの自分の存在を
存在してるって
そう思うだけでいいんだよ。
存在してるんだから。
いくら存在しててもいいんだから。
キリンがさ、
草地を歩いていて
「いいなー先まで見通せて」
って、できるキリンを褒めた時に
実はキリンは足元が見えていなくて不安なキリンかもしれないじゃん。
出来るキリンって褒められている手前、キリンも出来るって思い込んでて、でも、よく見たら足元草が絡まってんなーとか、奥底では不安なんだなーとか、そういうの、私はよく見えるんだよ。
持たざるもの、野ねずみの視点だから。
凄い善い人の中に
凄い悪い人がいたって
どっちも存在してて
そのどっちとかち合ったのが先かってだけの話で
全部がその人だったとして
総合的に考えて
好きだって思う自分が居ればそれはそういう存在だし
嫌いだって思う自分が居ればそれはそういう存在だし
全部ってそういうことだよ。
いつだって、そういうことだよ。
在るのに無いって
しようとするから
おかしなことになってる。
みたいな事あるからさ、
なんか悩んだら
コレを思い出してよ。
余計わかんなくなるというか
もう、なにもわからないよってなったら
まぁほらお茶でも飲んで
空でも見上げて
「わっかんねー」
ってつぶやく存在としていったんあればいいんじゃない?
そう思う時があるよって話。
いいなと思ったら応援しよう!
サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。