薬と言葉
「わかりやすい言葉」
というものを
「そうですね」
と返しつつ
文書を薬に例えて
考えたという話を
思いつく端から書く。
言葉渦巻くnoteという媒体で、多くの人に読まれるには「わかりやすさ」が必要である。
それと同時に、ある程度の「形式」があると読み手は安心するのではないかと思う。
それは市販薬みたいなものだ。
書き手はオリジナリティを求めていたりするから、《市販》の文字は不服かもしれないが
市販薬が市販されるまでにどれ程の時間や労力が使われているか考えれば、その不服も消え去る事だろう。
多くの人に届き、安心感があり、手に取りやすい。
家で頭痛に襲われ、買っておいた市販薬を飲んで、痛みが引くとホッとする。
その役割の大きさたるや、名前程度で『なんか、わかりきってて、面白くない』なんて不貞腐れる奴は、そもそも文字から質感を捉えるのが下手なんだろうと私は個人的に思う。
教科書などは市販薬だろう。
万人飲めるが、万人に最大限に効くとは限らない。
一応の適正年齢もあるあたり、薬に例えやすいなと書きながら思う。
きちんと検査機関を通ってきた市販薬といった感じ。サプリメント的位置かもしれない。
noteの書き手の中で、一定数の人気を誇る記事は
民間の薬局的位置に在ると思う。
心の処方箋としては、信頼でき、成分にそこまでのバラつきがない。安心して読めて、読んだあとはホッとしたり、良かったという気持ちになる文書は多くの人に支持されるだろう。
ここに少し専門的な知識が加わる文書は、《良薬口に苦し》という感じで、飲み込むのに時間がかかる場合がある。
読み手を少しだけ選ぶが、真に求める人は後を絶たないだろう。少し深いところの治療。漢方薬とかに近いかもしれない。
正しい処方でなかった時の副作用が激しいところはあると思う。
薬が薬として活躍するためには
症状にあったものを摂取する必要がある。
本物の薬であれば、効果の高いものは医師の診断のもとに処方箋が書かれるが
文書の世界、特にSNSは自分でよく吟味しなくてはならない。
薬と言葉はとても似ている。
良くもなるし悪くもなる。
味も様々で、オブラートや糖に包まれているものもあれば、独特な味を残しているものもある。
そして、それ自体に善悪はない。
使い手側に、読み手側にどう作用するかで
初めて効果が認められ善悪が生まれるだけで
言葉も薬も、そのものは、そういうものというだけだ。
あなたが『癒やされる』と感じる言葉は、あなたにあった成分なのだ。
だから、あなたはソレを摂取する。
そうして回復していく。言葉の素敵なところだとおもう。
しかし、なかにはソレを悪用し、人を虜にし、操り、依存させるものもある。
中毒は怖い。
薬側にそんな意図はなくても、依存症になる場合もあり『言葉』は取扱が難しいなと思う時がある。
毒をもって毒を制す
ということがあるが、どう化学変化するか
わかっていないものも多い。
様々な角度から、その言葉を見極めていく事が必要であると感じる。
言葉は民間療法に近いところもあるから、胃腸薬ですよと受け取ったら別のところの薬でしたとか、そういう事があると思う。
形がそうだとか、処方された袋にそう書いてあったからみたいな、そういうとこしか見れない人はSNSに向かないと思う。
良くなることもあると思うが、調子を崩すことも増えるはずだ。
自分のことを見失って、手当たり次第に薬を飲む人もいるようだが、それではどんどんおかしくなるだけだ。
まず、一つずつ、確かめていかなくてはならない。
薬もそうだが、言葉もそう。
即効性のある言葉もあれば、ゆっくり後から効く言葉もある。
自分の心の体力が今どうなのかを、自分で診断していくのだ。
もう、何もわからない人は、専門家の門を叩きなさい。そこで自分の輪郭を思い出す必要がある。それから、摂取していけばいい。
焦らなくても、言葉は世界から逃げていかない。
さて、なんだか偉そうに書いているが、私の文書は薬の形をしていない。
草のままである。
しかも美味しいとは言い難く
正直、何に効いてるかもわからない。
必要のない時に、もしくは耐性もつけずに
私の文書を心奥深くまで取り入れ続けると
ほぼ、ほぼ、副作用がみられる。
謎の高揚感とか、その後の深い喪失感とか、言いしれぬ怒りとか。
依存性は中程度。
大抵は体力回復時に離脱できる。
私の言葉は口に含んで少し噛み、ペッてするくらいでちょうどいいんだ。
準備もなく、飲んじゃ駄目。
因みに薬効としては花→葉→茎→根の順に強くなる。雰囲気、おちゃらけの文書(花)はよくわかんないけど楽しい気分くらいの作用である。
根を煎じて飲む奴は変人か、相当の変人であると私は感じている。
根は暗く土の奥深く。もちろん、不味い。
美味しく感じたら危険信号かもしれない。
葉には多少の幻覚作用もあるようだ。
私は草そのもので無自覚だが、周囲の様子を観察するにそういうものらしい。
茎は、摂取すべき人にはソコソコ薬効があると踏んでいる。体力は中程度必要と思う。
心が心底、弱ってる時に私の文書は毒だと思う。
毒出しのために飲むなら別だけど。
私には市販薬的言葉はあまり効かない。
そういう言葉との相性も悪い。
私自身は、体内で有効成分をつくり使う方がしっくりくる。
凄く頑固な性質だなと、我ながら呆れる。
でも、そう感じる。
周りが様々な薬の話をしている。
薬も有名になればCMがつくというものだ。
どこの製薬会社が出したとか、そういう安心のパッケージが出来上がっていく。
そこから派生した品々もあることだろう。
それは素晴らしい世界である。
が、私はそこに今ひとつ馴染まない。
というのが個人的感覚でずっとあるものだ。
もちろん、サプリメントもとる。
市販薬も飲む。
優しく効かせたい事もある。
しかし、強烈に、ハッとして、力湧き上がる薬にはそうそう出会えるものではない。
そもそも、私の場合は私自身が薬以前の姿なわけだから、それを上手に煎じられる薬師が必要なのだろうと考える。
膨大な言葉のなかから
あなたはあなたに必要な
大切なものを拾い集める
そして
あなた自身も
大切な言葉を
膨大な言葉の中へ
送り出すのだろう
適切なところへ
適度に運ばれて
優しく優しく
効けばいい
本当はよくまとめようかと思っていたが
よくまとめ糖に包むとわからなくなるので
まぁ、簡単にオブラート程度でつくりだす。
いや、オブラートにつつんですらない。
まだ口に入る状態かも怪しいがだしている。
なに、舌先にちょいと乗せる程度では、なんの問題もない。
美味しくはない。というだけの話。
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サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。