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【“なんでの国”を生きる】娘と私が描く、地図なき人生の進み方

■ これは前回の“続き”…のようで、ちょっと横道な話

※前回の記事の後編を…と思っていたのですが、書こうとしていたら思いがけず“横道”にそれました。
でもこれがまた、あなどれない横道で。

私が「現在地を把握しないと動けない人間なんです」って話をしたんですが、
なんとそれを証明するようなエピソードが、我が家に転がっていまして。

今日はそんな、“なんでの国”で暮らす親子の物語を、ちょっとご紹介させてください。

■ 娘の“なんで攻撃”が止まらない件

実はこの話、前回の記事の続きを書こうと思ってたときに、ふと頭に浮かんだことなんです。
私が「全体が見えないと足がすくんで動けなくなる」って話をしたけれど、それって、最近とても似た感覚を娘に見たんですよね。
あ、これ私か…って。

子どもを通じて、自分のことを逆照射するような瞬間って、ありませんか?
私はそのたびに、うっかり「うわー」って声が出ます。なんか照れるし、ちょっと恥ずかしい。

うちの娘(上の子)は、何か行動を促すときに、“それをやる理由”と“前後の関連性”が本人の中で整理されてないと、なかなか動けないタイプで。
たとえば「そろそろお風呂入ろっか」って言っても、今自分がしてることの区切りとか、その後の予定とか、お風呂に入ることの意味(←意味ってなに)とかが腑に落ちないと、「え、なんで?なんで今?」って感じで、全然スイッチが入らないんです。

そして、そうなると始まるのが――例の質問攻め。

そう、うちの娘は「なんでの国」出身なんです。
何をするにも、「なんで?」がついてきます。

「そろそろお風呂入ろっか」→「なんで?」
「この服にしよっか」→「なんで?」
「歯、磨こうか」→「なんで?」

ひどいときなんて、自分の気持ちまで私に聞いてくる。

「〇〇ちゃん、この色好き〜!なんで?」

いやいや、知らんがな。こっちが聞きたいよ。

(…ていうか、もしかして自分の内面までも理由づけしないと納得できないタイプ…? え、誰かに似てない? …あ、私か)

■ 私の“なんで”は、人生全体に向いている


そう、実は私も、めちゃくちゃ「なんでの国」の住民です。
いや、住民どころかたぶん区長くらいにはなってる。

私の“なんで”は、最近はもっぱら自分の人生に向かって発動しています。
「なんであのとき、ああいう選択をしたんだろう」
「なんで今、私はここにいるんだろう」

で、結局ぜんぶつなげたくなっちゃうんです。
昔の経験、出会い、失敗、回り道――
「あのときのことがあったから、今がある」って観念したくなる。

どんな寄り道も、無駄なことは一切なかったって思いたいんです。
というか…全部あとで意味を持たせてあげたい。

身もしっぽも、骨まで砕いて出汁とって、皮はせんべい。
一匹まるっと料理し尽くす、そんな魚料理みたいに。

……なんか、めっちゃケチな人みたいですね私(笑)
でもたぶん、それだけ「自分の時間や労力を、無駄にしたくない」って思いがあるんだと思います。

自分が動いた行動ひとつひとつが、未来にちゃんとつながっていてほしい。
そう信じたいんです。

だから私は、地図と足場がないと進めない。
そういう感覚があるんだと思います。

■ 地図じゃなくて、青写真しかない

……とはいえ。
ここで言う「地図」、実はちょっとクセモノで。

私には、これまで歩いてきた道の「地図」はあるんです。
でも、これから歩こうとしている未来には、「青写真」しかない。
地図って、誰かがすでに通った道じゃないと描かれてないものですもんね。

私が行きたい道は、たぶん――
今あるロールモデルをそのまま活かせるような道じゃない。時代の変化も速くなってる。

だから私は、青写真を握りしめながら進んでいくしかないんだなって、最近ようやく納得してきました。
完成図だけは、なんとなく心の中にある。
でも、それがどこを通って、どんな景色になるのかは、まだ真っ白なままです。

こわいっちゃこわい。
でも、たぶんこの“真っ白”に耐えられるようになることこそが、今の私のチャレンジなんだろうなあ、なんて思っています。

……そうそう。
そういえばうちの娘が、人生で最初に描いた“絵らしい絵”って、なんだったと思いますか?

なんと、「地図」だったんです。
自分の家を中心に、生活圏の建物や道を、ぐるっと描いた地図。

まあ、位置関係は本人の記憶ベースなので、実際むちゃくちゃなんですけどね(笑)
でもそのとき私は、びっくりしたんです。
「あ、この子、やっぱり“なんでの国”出身なんだな」って。

■ なんでの国のふたりが描くもの


そんな娘と私は、ふたりそろって“なんでの国”の住人。
いつも「なんで?」って問いながら、
答えのない道を、青写真だけを頼りに、手探りで進んでいます。

私たちは、自分の生涯をかけて、
自分が歩んだ場所を白紙にプロットしていくような人生なのかもしれません。
そうして出来上がった地図こそが、初めて皆さんにお見せすることのできる「なんでの国」なんだと思います。

これからも、私たちはきっと、自分だけの地図を描き続けていくんだと思います。
真っ白な紙の上に、なんで?を重ねながら。
……最近はちょっと、それも悪くないな、って。
そして今日もまたこうして、ひとつのプロットが打てたような気がしています。

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