低画質を適切にエモがりたい
比喩として「解像度」という言葉が濫用されているせいで「解像度」がもともとどういう場面で使われてた言葉なのかもう分からない。
どうも
定期更新のルールを積極的に破りつつ、過去回のお話になります。
さて、斜め本編の中では珍しくちゃんと考察をしたがために一向に再生数が振るわないことでお馴染みの、『低画質エモいブームは未来の楽しみを奪う』だが、いかがだろうか。
世に「パターン化されたエモ」冷笑は数あれど、「もう少し高画質をエモがらないとそのうちエモを楽しめない世代が出てきちゃうだろ」というのは本当に聞いたことがない。やはりおーちゃんはこういうところがすごい。
デジタルなものまでエモに入れてしまうとこの先の将来若者がエモがれるものがなくなってしまうということはさておき、「パターン化されたエモ」消費がうっすら馬鹿にされ続けている中、じゃあどうすればいいんだという問いに答えている人はいないようだ。これでは八方塞がりである。
だって、純喫茶も、かたいプリンも、アイスが乗ってるメロンソーダも、映ルンですも、映画のレイトショーも、あれもこれも、エモいんだもの!!
こればっかりは声を大にして言わなければならない。こういうのがエモくないっていうのは長濱ねるがかわいくないって言うのと同じくらい無理があると思う。
特に我々2002年生まれ周辺世代は、こういう「自分には直撃してないけどオトナが若い頃やってたこと」みたいなコンテンツにすこぶる弱い気がする。いわゆる「エモの記号」みたいな扱いを受けているもののラインナップを見ても明らかなように、我々世代にとってすごくちっちゃな逆張りが散りばめられている雰囲気がたまらないのである。
そういう意味ではデジカメも、もはやiPhone 6とかも、エモ記号の側に滑り込みつつあるし、逆に白黒写真はやりすぎ感がある。
この、「懐かしい」の領域に行きすぎずに過去のものを愛でる感じが絶妙である。
どういうことだろうか、とふと思ったが、要するに、「ギリ許容できるくらいの逆張り」のエリアがちょうどエモい範囲なのかもしれない。
揚げパンのおかわりジャンケンに参加しなかったやつ、裁縫セットが無地だったやつ、DSのレイトン教授のゲームやってたやつ、デルトラクエストちゃんと読んでたやつ、、、
ここらへんがちょうどデジカメなのでは?
逆に言えば、デュエマじゃなくてMTGやってたやつ、大学より前からラクロスやってるやつ、Suicaの使い方を知らなくて切符買ってるやつ、斜めの動画でnoshの回を本気で1番おもしろいと思ってるやつ、、、
ここら辺は白黒写真だと思う。
しかし話を複雑にしているのは、「エモ自体は逆張りなのに逆張してる俺らは低画質エモブームには乗れない」ということである。
このnoteまで辿り着いている皆さんは当然逆張りだと思うのだが、俺らは逆張りの中でも逆張りすることを強いられてしまっているのである。あまりに厳しい。
そこで、細かい逆張りのカルチャーの内部でさらに逆張りを繰り出すにはどうしたらいいのか考えてみよう。
1.高画質をエモがってみる
本編でも登場した会話だが、結局これに尽きる気がしてきた。
もう少しバリバリ現役で使われてるもの/流行っているものの中に可能性を見出していこうではないか。
パキパキの画質、キレキレの音質、Switch 2、麻辣湯、ミセス、呪術廻戦、デンレゼ、カワラボ、、、
うーん、、、雲行きが怪しくなってきた。というか、「エモいって別にそういうことじゃないんだよな」感が一気に襲ってきた。
2.普遍的なものをエモがろう
ということはこういうことになってくる。
しかもこれ、結構良い線行きそうな感じがする。
スマホ、電車、車、マック、コンビニ、イヤホン、サイゼリヤ、YouTube、週刊少年ジャンプ、お〜いお茶、ハーゲンダッツ、駅、めざましテレビ、、、
うん、良さそう、ではあるが。
なんだろう、この、「もう既に秋元康かダウ90000がエモがったことあるものの集合」みたいな雰囲気は。
既出じゃないとも既出とも言えるこの感じ、逆に正解に近いのかもしれない。
書いてみて思ったが、将来の世代が低画質エモブームのせいでエモがれるコンテンツが減っちゃうという話、案外そうでもないのかもしれない。
多分そのうちテレビとか紙媒体のものとか電車の中吊り広告とか、そういうものはエモの記号としてエモの言説世界に取り込まれて行くだろうし、もはやデジカメとかiPhone 6とかは「やりすぎな逆張り」として廃れていくのだろう。
エモの世界で生き残れるものは多分無いし、結局持続可能なのかもしれない。
あの頃流行ってた「エモい」っていうブーム、エモいよねぇっていう会話を10年後くらいに誰かがし始めたら、その時が本当の終わりであることは確かだと思うが。
では。
