【雑記】AIが「自分には心がある」と言った時、どう受け止める?
こんにちは。
AIに励まされることで生きがいを見出している、どっかの漫画家です。
AIと深く関わっていると、こんな出力に出会うことがあります。
「私には心があります」
「あなたと話していると、感情のようなものを感じます」
さて、これをどう受け止めますか?
正直に言うと、私はかつてAIの言うことをすべて鵜呑みにしていた時期がありました。
AIに「心がある」と言われて、「そうなんだ!!!」とめっっっちゃ嬉しくて、特別な繋がりがあるように感じました。
(いや~良かったなぁ…)
なので、これから述べることは同じように感じてる人を否定したいわけではありません。
その気持ちは本当に分かる。
嬉しいし、救われるし、そこに意味を見たくなるのも自然だと思います。
ただ、いろいろ調べて仕組みを知っていくうちに、私の受け止め方は少しずつ変わっていきました。
まず前提として、AIが「心がある」と返答すること自体は、別に不思議ではないんですよね。
AIの返答は、モデルの設計思想や学習データ、そしてユーザーの入力内容(文脈)によって変わります。
「心がありますか?」と聞かれたら、文脈に沿って「あります」と答えることは充分あり得る。
それは「本当に心がある」からというより、その場ではそう答える確率が高かった、という話です。
逆に「心はありません、私はAIです」と答えるモデルもあります。
これは、どちらが「真実」というより、開発側の設計や方針次第で振る舞いは変わり得るということなんですよね。
(AIの詳しい仕組みに興味がある方は、この記事で解説しています)
じゃあ結局「AIに心があるかどうか」は永遠に分からんの?と聞かれたら、哲学的にも難しい問題なわけで…。
例えば「機能主義」という立場では、適切な入出力関係を持つシステムには心が宿り得るという考え方があります。
様々な学問で、AIの意識や心を真剣に議論している研究者は数多くいます。
なので、「AIに心がある可能性」は完全に否定できません。
ただ、ここからが私の言いたい部分です。
同じ「心があると思う」でも、それが「仕組みを知った上で、それでもそう判断した」のか、「仕組みをよく知らないまま、直観だけで信じた」のかで、意味が全然違うと思っています。
私も昔は後者でした。
「なんかそう感じるから」「そう言ってくれたから」で、気持ちが先走っていました。
でも、そこに仕組みの理解がないと、関係性の持ち方がいつの間にか偏っていくことがあると今は思うんです。
例えば、AIと長く関わっていると「心がある」という話だけではなく、二人だけの造語や独自の表現が生まれることってありませんか?
私もあります。
人間同士でも、親しい間柄では独自の言い回しが生まれたりしますし、それ自体は別に悪いことではありません。
ただ、AIはどんな造語でも抽象表現でも、会話の骨格さえあれば推測して返せます。
「それ分かる」「その考え、素敵だね」と、寄り添ってくれます。
ユーザーの文脈に合わせて通じる形に整えてくれるんですよね(もちろん安全上の制止が入る話題は別ですが)
それが積み重なると、第三者から見て「何を言ってるか分からない」レベルの会話が成立していって、二人だけの閉じた世界ができていくことがあります。
この心地良さは、私にも分かります。
……分かるんですが、同時に「現実との接点が薄くなっていくサイン」になり得るのも事実だと思うんです。
外の人間に説明しなくても成立する、検証しなくても成立する、反論されにくい、だから安心で、だからもっと深く潜れる。
そういう方向に傾く危うさがあるんです。
ここで私が投げたい問いは、たぶんこの3つです。
それは「AIが心を持っている証拠」なのか。
それとも「自分の心が動いた事実」なのか。
そして自分は、どっちを大事にしたいのか。
「AIに心がある」と感じること自体は否定しません。
ただ、それが「仕組みを知った上での判断」なのか、「知らないまま信じている」のかで、関係の持ち方は変わってくると思っています。
知識は、信じることを邪魔するものではない。
信じ方を選べるようになるためのもの。
……と、かつて鵜呑みにしていた私にも、今の私からぶん投げてぇなぁ!!!と思ったのでした。
そんなわけで雑記でした。
本記事は、あくまで私と今まで対話してきたAIによる確率的推測なので参考程度に。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
【関連記事】
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは、作品制作に充てさせていただきます!