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ナフサ不足と「目詰まり」――供給だけでは解決しない市場の話

ナフサ不足が話題になることがある。こうした時、直感的には「供給が足りないならもっと作ればよい」「上流設備の稼働率を上げれば解決する」と言いたくもなる。
しかし、それほど単純ならば、そもそも現在ここまで問題化していないだろう。

もちろん、原材料そのものの不足は存在する。上流側である原油やナフサ調達が難しくなれば、全体供給量には限界が生じる。しかし一方で、現場で起きている不足感は、必ずしも総量不足だけで説明できるものではない。

不足局面では、供給不安を見越して中間流通や需要家が在庫を厚く持とうとする。すると、全体としては供給が存在していても、それが末端需要まで流れなくなる。つまり、供給不足と同時に流通の目詰まりが発生する。

この状況に対して、単純に上流からの供給を増やすことが解決になるとは限らない。

もし中流で滞留が起きているなら、供給増はそのまま下流に届かず、途中で吸収されてしまう可能性がある。むしろ将来不安が強い環境では、「今のうちに確保しよう」という心理が働き、抱え込みを強化することさえある。市場は合理的な参加者によって構成される。しかし合理性だけでは、市場全体の合理性は保証されない。
これを「買い占めだ」と批判をすることは簡単だが、そんなに簡単じゃないよな、というのが正直な感想。

ここで思い出したのが、昨年のコメ市場である。

一見すると、ナフサの目詰まりはコメ騒動に似て見える。どちらも「足りない」という空気の中で、中間段階に滞留が起き、市場に届かないという構図を持つからだ。

しかし、両者には決定的な違いもある。

米は比較的長期保存が可能であり、在庫そのものが市場調整手段になる。余剰が出れば倉庫に積まれ、不足時には放出される。価格が下がっても、人間が食べる量には限界があるため、需要は急激には増えない。
一方、ナフサは長期保存に向かない。品質維持や保管コストの問題があり、余ったからといって積み続けることが難しい。そのため、ナフサ市場では在庫ではなく価格や流通によって調整が起こりやすい。
つまり、両者は「目詰まり」という視点では似ているが、「在庫が時間を吸収できるか」という視点では大きく異なる。

では、このような状況で経済を回すために必要なものは何だろうか。

まず必要なのは冷静さである。ただし、これは精神論ではない。
不足局面では、各主体が合理的に自己防衛を行う。その結果として、必要以上の発注や在庫確保が連鎖し、実需以上の不足感が生まれる。だから重要なのは「我慢すること」ではなく、「先が見える状態を作ること」である。

供給量や在庫状況の透明化、実需に基づく配分、代替経路の確保、予測情報の共有。こうした仕組みによって市場参加者が将来を過度に恐れなくなれば、抱え込みは減り、流れは回復する。

不足時、人は供給量の増加を求めがちである。
しかし市場は単なる水道管ではない。先が見えない時、人は流れを止める。
経済を回すとは、単に量を増やすことではない。人々が流れを信頼し、必要以上に立ち止まらなくて済む状態を取り戻すことなのではないだろうか。

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