見出し画像

「使命の見つけ方を教えます」という動画を見た時の違和感


最近、交流会やイベントに行くと
よく聞く言葉があります。

本当は自分が何をやりたいのか分からない。
使命をはっきりさせたい。

僕は、そういう話を聞く時間に
とても価値を感じています。

まだ言葉になっていないものが、
その人の中に確かにある感じがして。

一緒に探しているようで、
でもほんとはもう持っている。

それを一緒に見にいく、
あの時間が好きなんです。


今日、Facebookを見ていたら
知り合いがある動画を紹介していました。

使命の見つけ方を教えます。

少し気になって、
何気なく再生してみました。


その中では、
とても分かりやすい話が語られていました。

好きなこと
得意なこと
そして人から求められること。

この3つが重なったところが
あなたの使命です、と。

なるほどなと思うし、
この考え方で道が開けた人も
たくさんいると思います。


でも僕は、
聞いている途中で

ほんの少しだけ
胸の奥に引っかかる感覚がありました。

うまく説明できないけれど、

何かが混ざっている。

そんな感じがしたんです。


好きも大切。
得意も大切。
求められることも大切。

本当にそう思う。

だけど、

それらを組み合わせて
中心を作るというやり方に、

どうしてもなじみきれない自分がいました。


この違和感は何だろう。

そう考えたときに、
自分がずっとやってきたことに
気づきました。


僕は、

組み合わせて作る
というより、

混ざっているものを
分ける。

こっちをやってきた。


これは本当に自分の気持ちなのか。
誰かの期待じゃないか。

恐れは入っていないか。
よく見られたいは混ざっていないか。

事実と解釈は分かれているか。

そうやって、
ひとつずつ見ていく。


すると不思議なことに、

決めるのではなく、
残るものがある。

離れてみても、
別のことをしてみても、

なぜか戻ってきてしまう。


ああ。
ずっとここにあったんや。

ってなる。


もう当たり前すぎて
普段は見えていなかった場所。

足元に
ずっとあったもの。

それに気づく。


だから僕にとって使命は、

どこか遠くにあって
手に入れるものというより、

もうすでに生きてしまっているもの。

混ざりがほどけたときに
それが最初から在ったと
分かってしまうもの。

そんな感覚があります。


そして動画の中で、
もうひとつ印象に残った言葉がありました。

使命に生きている人は
代えのきかない仕事をしている。

誰でもできる役割ではなく、
その人にしかできないポジションにいる。

そんなニュアンスでした。


それを聞いた時にも立ち上がった違和感

否定したいわけではありません。


でも、

ほんまにそうなんやろうか?


問い直してみると、

やっぱり違うなと感じました。


仕事の種類ではなく、

その場所で
何を見ているか。

何を大切にしているか。

どんな姿勢で
そこに立っているか。


同じレジでも、
同じ現場でも、

にじみ出るものは
人によってまったく違う。

役割は交代できても、

在り方は
代えがきかない。


だから僕は、

もうすでに
それぞれの場所で
にじみ出てしまっているもの。

それが使命なんじゃないかなと
感じています。


そしてもうひとつ。

ここで自分の中が
すごく整理されたことがありました。


ニーズを見ることに
違和感があるわけではない。

社会とつながる以上、
求められるものを知ることは
やっぱり大切だと思っています。

ただ。

何を土台にして
ニーズを見るのか。

ここが決定的に違う。


好きは気分で変わる。
得意は比較で変わる。

環境が変われば
簡単に揺れてしまう。


でも、

混ざりをほどいていって
それでも残るもの。

どんな状況でも
戻ってきてしまう場所。

ここを土台にして
ニーズを見ると、

選ぶ仕事も
届け方も
関わり方も

見える景色が
まったく変わる。


合わせにいくのではなく、

この自分から
自然につながる場所は
どこだろう。

そんな問いに変わる。


同じ「求められるもの」という言葉なのに、

土台が変わるだけで
意味がまるで違ってくる。

世の中から自分に求められるものは1つしか残らない。
そんな感覚です。
それが今日、
自分の中で起きた大きな発見でした。

ちなみに、僕の使命を端的に言語化すると、
自分らしく生きれるための伴走をする
そのための独自の才能を発揮した生き方とあり方

もし今、

使命を作ろうとして
しっくり来ない人がいるなら。

それは能力の問題ではなくて、

まだ混ざっているだけ
なのかもしれません。


今日は
その入り口の共有です。

僕はこれからも、

混ぜてつくるより、
分けて、残る。

この感覚を
大切に言葉にしていきます。


最後に

ここまで読んでくださって
ありがとうございます。

もしこの感覚を
同じ空間で、ゆっくり味わってみたいと
ふと心が動いた方がいたら。

天川村・洞川で開いている
天下の坐禅会でお待ちしています。

ただ座り、
ただ呼吸をして、
ただ、そこにいる。

何かを得るためではなく、
何かを変えるためでもなく、

自分に還っていく時間を
ご一緒できたら嬉しく思っています。

詳細はこちらからご覧ください。


いいなと思ったら応援しよう!