見出し画像

~続けられる人が一番、社会に向いていない理由~

続けられる人が一番、社会に向いていない理由

世の中では、続けられる人は褒められます。
継続力がある。
根性がある。
諦めない。
真面目。

学校でも、職場でも、自己啓発本でも、
続けられる人は「正しい側」に置かれます。

でも、実際に長く生きて、長く続けてしまった人間から見ると、
これはかなり都合のいい神話です。

続けられる人は、社会にとって優秀なのではありません。
社会にとって、非常に扱いづらい存在です。


社会は「続ける人」を本当は欲しがっていない

社会が本当に欲しいのは、
続ける人ではありません。

社会が欲しいのは、
・言われたことをやる人
・空気を読む人
・途中で疑問を持たない人
・一定期間で役割を終える人

つまり、適度に使えて、適度に消耗する人です。

続けられる人は、
役割が終わっても立ち去らない。
疑問を持ち続ける。
同じ場所に、同じ問いを持ったまま居座る。

これが、社会にとって一番厄介です。


続ける人は、途中で「構造」に気づいてしまう

続けていると、
最初は見えなかったものが見えてきます。

なぜ評価される人と、されない人がいるのか。
なぜ頑張りが報われる人と、無視される人がいるのか。
なぜ同じ成果でも、扱いが違うのか。

続けることで、
技術より先に、構造が見えてしまう。

社会は、この瞬間から、
その人を警戒し始めます。


社会は「分かっている人」を嫌う

社会は、賢い人が嫌いなわけではありません。
分かっている人が嫌いなのです。

分かっている人は、
・説明を鵜呑みにしない
・理由を聞く
・前例を疑う
・矛盾を指摘する

続ける人は、必然的にこうなります。
なぜなら、同じことを何度も見ているからです。

社会は、
このタイプの人間を昇進させません。
なぜなら、管理しにくいからです。


続けられる人は「交換可能性」が低すぎる

社会が好むのは、
誰でも代わりがきく人間です。

でも、続けられる人は、
同じ場所に長く居すぎて、
癖と履歴と記憶を溜め込みます。

この人にしか分からないこと。
この人にしかできない判断。
この人がいないと崩れる部分。

一見、価値が高そうに見えます。
でも社会からすると、
リスクでしかありません。


続ける人は、途中で「納得しなくなる」

社会は、納得を求めていません。
従ってくれればいい。

でも、続ける人は、
だんだん納得しなくなります。

前は飲み込めた説明が、
ある日から飲み込めなくなる。
前は流せた理不尽が、
急に気になるようになる。

これは反抗ではありません。
蓄積の結果です。


続ける人は「やめどき」が分からない

社会は、
・異動
・昇進
・転職
・引退

こうした節目で、人を区切ります。

でも、続ける人は、
やめどきが分からない。
あるいは、やめどきに意味を見出さない。

「まだ途中だ」
「まだ分かっていないことがある」
「ここまで来たら最後まで見たい」

この姿勢は、
社会的には非常に迷惑です。


続ける人は、成果より「経過」を重視する

社会は、成果が好きです。
数字、肩書き、実績。

続ける人は、
経過を重視します。

どうしてこうなったのか。
どこで歪んだのか。
何が削られたのか。

この視点は、
会議では歓迎されません。
報告書でも嫌われます。


続ける人は、だんだん「遅くなる」

続ける人は、判断が遅くなります。
慎重になる。
考えすぎる。

なぜなら、
過去の失敗を覚えているからです。

社会は、速さを好みます。
浅くてもいいから、早く出せ。
間違ったら直せばいい。

この価値観と、
続ける人は噛み合いません。


続けられる人は、最終的に「孤立」する

続けている人の周囲は、
どんどん入れ替わります。

新しい人が来て、
慣れて、
去っていく。

そのたびに、
同じ説明を繰り返す。
同じ誤解を解く。
同じ失敗を見送る。

続ける人は、
だんだん喋らなくなります。


社会は「続けた人」を最後に持て余す

皮肉な話ですが、
社会は、続けた人を最後に扱いきれなくなります。

辞めさせたいわけでもない。
でも、上に上げたくもない。
下にも置けない。

結果、
どこにも属さない場所に置かれる。

これが、続けられる人の典型的な末路です。


それでも続けてしまう人へ

ここまで読んで、
苦しくなった人がいるなら、
あなたはもう、続ける側です。

社会に向いていない。
それは欠陥ではありません。

ただ、
社会が想定している人間像とズレているだけです。


続けられる人は、社会の外で価値を持つ

最後に、救済めいたことを一つだけ書きます。

続けられる人は、
社会の中では使いにくい。
でも、社会の外では、非常に価値があります。

歴史。
記録。
文化。
言語。
思想。

これらはすべて、
続けてしまった人間が残してきました。


つづけるよおおおおおおおおおおおおおおおう

この文章は、
続けることを勧めません。
やめることも勧めません。

ただ、
続けられる人間が、
なぜ生きづらいのかを書いただけです。

もしあなたが、
「やっぱり自分はズレている」と感じたなら、
それは正常です。

続けてしまった人間は、
最初から、
社会の想定外なのです。

それでも、続けるという狂気だけが、奇跡を連れてくる

ここまで書いてきたことは、全部本当です。
続けられる人は、社会に向いていない。
扱いづらく、遅く、空気を読まず、最後は孤立する。

それでも。
それでも、です。

続けるという行為そのものが、
ときどき、説明不能な出来事を引き起こします。

確率論では説明できないこと。
努力と成果が比例しない世界で、
なぜか突然、道が開く瞬間。

これは成功法則ではありません。
再現性もありません。
むしろ、極めて非効率です。

でも、確かに起きる。


夢は「強く願った人」に叶うのではない

よく言われます。
強く願えば叶う。
信じ続ければ報われる。

これは、半分だけ嘘です。

願っただけでは、何も起きません。
信じただけでも、何も起きません。

起きるのは、
願うことをやめなかった人に対してです。


23歳で芽生えた「本を書きたい」という狂気

ボクは23歳の頃、
本を書きたいと思いました。

この時点では、
才能の確信も、道筋も、コネもありません。
あるのは、
「書きたい」という感覚だけです。

冷静に考えれば、無謀です。
世の中には、
書きたい人間が腐るほどいる。
本を出せずに消えていく人間の方が、圧倒的に多い。

普通なら、
数年で諦める話です。


でも、諦めなかった。狂ったように続けた

現実は、甘くありませんでした。
すぐに形になることもない。
評価されることもない。
誰かが手を差し伸べてくれることもない。

それでも、
書く準備をやめなかった。
考えることをやめなかった。
いつか来るかもしれない「その日」に備えるのをやめなかった。

結果、
本を出すまでに、足掛け13年かかりました。

13年です。

これは、美談ではありません。
効率最悪です。
人生設計としては、むしろ失敗に近い。


それでも起きた「奇跡に見える出来事」

最終的に、
自費出版という形ではあったけれど、
本は現実になりました。

途中で投げていれば、
絶対に起きなかった出来事です。

才能が急に湧いたわけでもない。
市場が突然優しくなったわけでもない。
社会が理解してくれたわけでもない。

ただ、
続いていた

それだけです。


続けるという行為は、奇跡の「材料」になる

ここで、はっきり言います。

続けること自体が、
奇跡を保証するわけではありません。

でも、
続けていなければ、
奇跡は起きようがない。

続けるという行為は、
奇跡そのものではなく、
奇跡を起こせる状態を維持する材料です。

材料がなければ、
どんなメークドラマも始まりません。


奇跡は、努力の延長線上には落ちていない

重要なのは、
奇跡は「努力の延長」に落ちていないということです。

むしろ、
努力が無駄に見える地点を、
越えた先に突然現れます。

ここでほとんどの人が降ります。
理屈が合わなくなるからです。
コスパが崩壊するからです。

続ける人間だけが、
その非合理ゾーンに残る。


社会に向いていない人間だから、奇跡が起きる

皮肉ですが、
ここが一番大事なところです。

社会に向いていないからこそ、
合理性を捨てられる。
効率を無視できる。
意味がなくても続けられる。

社会に適応していたら、
13年も同じ夢を引きずれません。

どこかで
「割に合わない」と判断して、
正しく撤退していたはずです。


続ける人間は、最後に「確率」を歪める

普通の人は、
確率が低いことをやりません。

続ける人間は、
確率が低いことを、
長期間、持続的に叩き続けます。

すると、
世界の方が先に根負けする。

偶然が重なり、
縁が繋がり、
タイミングが合い、
「たまたま」が連鎖する。

これが、外から見ると「奇跡」に見える。


読者へ。あなたが今、笑っているなら

ここまで読んで、
「いやいや、そんなの特殊例だろ」と思ったなら、
あなたは正常です。

ほとんどの人には、
この生き方は向いていません。

でも、もし
どこかで胸がざわついたなら、
それはあなたの中にも、
「続けてしまう側」の資質があるということです。


続けるという行為は、報われなくても意味を持つ

13年かけて本を出しても、
人生が一気に好転したわけではありません。

でも、
「出した」という事実だけは残った。

途中でやめなかった人間にしか、
これは残りません。


続ける人間は、勝たない。でも物語になる

社会は勝者を好みます。
数字が高い人。
結果を出した人。

でも、
物語になるのは、
たいてい、続けてしまった人間です。

効率を無視し、
遠回りを重ね、
理屈を踏み越えた人間。


だから、続ける人間は孤独でもいい

理解されなくていい。
褒められなくていい。
社会に向いていなくていい。

続けるという行為は、
そもそも、
誰かに分かってもらうためのものではありません。


夢じゃない、一人じゃない

続ける人間は、
社会では浮きます。
損もします。
遠回りもします。

でも、
続ける人間だけが、
自分の人生に「ありえたかもしれない別の未来」を
一つ、現実に引きずり出すことができます。

それが、
奇跡と呼ばれるものの正体です。


生きている限り、永遠に終わりません

続けるかどうかは、
誰にも勧めません。

ただ一つ言えるのは、
続けなかった人には、絶対に起きなかった出来事が、
続けてしまった人には、たまに起きる

それだけです。

ここまで書いたボクは、
今日もまた、
特別なことが起きないまま、
一行を書き続けます。

極論を言えば、人はいつ終わるか分からない

ここまで、
続ける人間は社会に向いていないとか、
孤独になるとか、
割に合わないとか、
散々書いてきました。

全部、本当です。

でも最後に、
全部をひっくり返すような、
ひっくり返さない極論を書きます。

人生は、いつ終わるか分かりません。

これは脅しでも、悲観でもありません。
ただの事実です。

明日かもしれないし、
十年後かもしれないし、
もっと先かもしれない。

誰にも分かりません。


だから結局、残る問いは一つしかない

この事実を前にすると、
社会に向いているかどうかも、
効率がいいかどうかも、
成功するかどうかも、
急にどうでもよくなってきます。

最後に残る問いは、
たった一つです。

それを、やり切ったか。


好きなことがある、というのは奇跡に近い

そもそも、
「好きなことがある」人間は、少数派です。

やりたいことが分からない。
何に向いているか分からない。
好きかどうかも、よく分からない。

そういう人の方が、圧倒的に多い。

そんな中で、
「これをやりたい」
「これを書きたい」
「これを続けたい」
と思える対象に出会えた。

それ自体が、
もう十分すぎるほどの奇跡です。


好きなことは、向いているかどうかを超えている

よく言われます。
向いていないならやめろ。
才能がないなら諦めろ。
結果が出ないなら切り替えろ。

でも、
好きなことは、
向き不向きの話ではありません。

理屈を超えたところにあります。

好きだからやる。
それだけです。


死ぬまで続ける、という発想は重くない

「死ぬまで続ける」と聞くと、
重たい覚悟の話に聞こえるかもしれません。

でも実際は、逆です。

一生やり切ろう、
などと考える必要はありません。

ただ、
今日もやる。
明日も、たぶんやる。

それを、
やめる理由が来るまで続ける。

それだけです。


続けることは、人生を占領しない

誤解してほしくないのは、
続けることが、
人生のすべてになる必要はない、ということです。

生活もある。
人間関係もある。
体調もある。

それでも、
どんな形でもいいから、
手放さない。

細くていい。
遅くていい。
評価されなくていい。


最期の最期に残るのは、結果ではない

人は、
最期に何を思い出すか。

肩書きでしょうか。
数字でしょうか。
フォロワー数でしょうか。

たぶん違います。

思い出すのは、
「やりたかったのに、やらなかったこと」です。

逆に言えば、
やり切ったものは、
もう後悔の対象にならない。


続けた人間は、途中で何度も後悔する

続けている途中では、
何度も後悔します。

こんなことに時間を使ってよかったのか。
もっと別の道があったんじゃないか。
普通に生きた方が楽だったんじゃないか。

でも、
それでも続けた人間は、
最期に一つだけ、確信を持てます。

少なくとも、逃げなかった。


それだけで、人は自分を許せる

人生において、
完全な正解なんてありません。

成功も、失敗も、
あとから意味づけされるだけです。

でも、
逃げなかったという事実だけは、
どんな状況でも裏切りません。

それは、
自分を許すための、最低限の材料になります。


社会に向いていなくても、人生には向いている

続ける人間は、
社会には向いていないかもしれません。

でも、
人生そのものには、
かなり真剣です。

軽く扱えない。
雑に選べない。
途中で放り出せない。

それは欠点ではありません。


最後に、極論をもう一度書く

人生は、いつ終わるか分かりません。

だから、
好きなことがあるなら、
それを死ぬまで、
最期の最期まで、
続ければいい。

上手くいかなくてもいい。
評価されなくてもいい。
途中で形が変わってもいい。

続けた、という事実だけが、
最後まで自分の側に残ります。


これ以上の理由は、いらない

続ける理由を、
誰かに説明できなくていい。

納得させなくていい。
理解されなくていい。

続けるという行為は、
本来、とても個人的なものです。


やるか、やらないか、だ

ここまで読んだあなたが、
今日、何か一つでも
「やめずにいよう」と思えたなら、
それで十分です。

明日も、
何も起きないかもしれません。

それでも、
続けてしまう人間は、
今日もまた、
静かに手を動かします。

それが、
人生に対する、
一番誠実な態度だと、
ボクは思っています。

いいなと思ったら応援しよう!

なんでも屋。 応援宜しくお願い致します。頂いたチップは、プレミアム会員費、ネタ探しの為の活動費の順番で使わせて頂きます。

この記事が参加している募集