灰原日誌3『ドリップ…』に寄せて
“ 無事、記事に音声貼り付けました。”
ベル (降谷玲花)と会ったその夜、コニシ課長から連絡が入る。記事とは、物語が読める珈琲の企画「なんのはなしです珈」に寄稿された作品『自然と人の間には』であり、そのコニシ課長本人の手によって貼り付けられたベルの朗読音声をこの数日の間に何度も聴いている。
懐かしい…
目を伏せて灰原は、バンド時代に彼女のデモテープを何度も聴いていたことを懐かしく思い出していた。
「どう?!」、と決まって聞く彼女の言葉のトーンからはその言葉自体が持つ相手に評価を委ねるような態度は微塵もなく、私が一言答えると、大抵の人間は私が一言発すると表情が固まりコンクリートのような顔色になるのだか、ベルは頬が上気して私は、ここはね、と熱く語りだすのだった。
しかし、今回の朗読音声について彼女から感想を聞いてくることはなかった。自分の表現を追い求めるのではなく、作品に対して真摯に向かいあった結果なのだろう。『作品を読む』のに朗読というスタイルを選んだ一読者なんだということか。
あのデスボイスのベルがなぁと思う。
二回繰り返し聴いたところでベルから着信が入る。
「ねぇ、ルワンダの雫届いたんだけど。」
「貴方は今日お暇?」
先日の「改めてご馳走してよね。」にはやっぱり真剣味がブレンドされていた。
「ああ、こちらにも届いた。」
「家くるか。」
含みのない直球を受けストレートに投げ返した。
*
休みの日にはいつもまとめて洗濯をする。
よく晴れた日はベランダに出てシューズだって洗う。
いつの間にかこんなにも空が高くなっている。
そろそろベルが着く時間だな。
一仕事を終えて伸びをした後、駅からの道に視線を移す。案の定、マンションに向かって歩いてくるベルと目があった。上に向かって振る手に応えて軽く手で合図する。
「今日はありがとう。お昼は買ってきたわね。」
「でも先ずはやっぱり珈琲、飲みたくない?」
洗濯機を回している間にもうセッティングはしてあったが、そのテーブルの上を見てベルは不思議そうに尋ねた。
「···サイフォンじゃないのね。」
少しがっかりした様子のベルに語りかける。
「サイフォンも手離してはいないんだけど、最近はハンドドリップがしっくりきてね。こう、円錐形のフィルターでゆっくり濾過されて一雫ごと落ちてくるのを見ているのもいいし、時間をかけて自分で淹れると出来上がった珈琲をゆっくり味わおうという気にもなるんだ。」
「まあ、しばらく仕事も休んでたから特に…かな。」
「ベルの方はどうだ。忙しかったんだろう。」
仕事、と聞くとベルは少し早口になって話し出す。
「そうなのよ。今の上司、自分の仕事のスタイルに自信がある人で…もうこの間もぶつかってデスボイスでシャウトしかけたわ。その人なりの表現を伸ばそうとしてくれるコニシ課長みたいな人、ほんと居ないんだからね。」
灰原はコニシ課長の煙でも吐くような『まあやってみなよ』という声が聞こえた気がして苦笑した。
「シャウトか、懐かしいな。今朝も聞いてたんだ。コニシ課長の作品を、ベル、君の声で。とても落ち着いてた。デスボイスでシャウトなんて想像できないほどに。」
そう言われて、ベルもまんざらでもない顔をした。
「朗読って不思議なのよ。私じゃなくなる感じ。実はじぶんでもよく聞き直すの。自分の声じゃないみたいでほんと不思議。自分の外にでた声は、今の自分じゃなくて過去の自分の一部なんだわ。過去の私が、声だけが、フワフワと言葉と共に空間に漂っているの。」
そんなことを話しながらも珈琲を淹れる準備をする。
珈琲を入れるためにお湯を沸かす傍らでベルが珈琲のガスバリア袋の封を開けた。秋の空気が風のようにスルリと先に入り込み、押し出された爽やかな香りがふわりと舞い上がった。それをベルはハミングでもするような表情で深く息をしたあと「お先に香り戴いたわよ。」と言って袋を鼻元にもってくる。すぐ近くにあるベルの顔には「どう?!」と見覚えのある表情が浮かんでいた。
この香りはWinged jewel が運んできてくれたんだな。
サーバーにお湯をゆっくり回しかける。
フワッとした珈琲雲を潜り抜けて円錐形のフィルターの先から一雫の珈琲が落ちてくる。それが先に落ちていた珈琲に混ざりあっていく。
それを見てベルは、『かがみの海』のお話みたいね。TABBY's COFFEE ROASTERさんの『なんのはなしです珈』に入っていた物語。
心もとない一雫の今の私の足元に広がる過去の私に出会う瞬間。溶け合う瞬間。きっと大丈夫と受け入れてもらえるようなそんな瞬間のお話。
「どう?!」と聞いていながらいつものベルだなと思いつつ、曲のアレンジを考えるように頭の中でイメージする。
「どうだ、ベル。」
「もう一度、朗読してみないか。この物語を。交渉なら俺がするから。」
サーバーに満ちた珈琲を2つのカップに灌ぐ。
「ドリップを終えた珈琲が過去であるとするならば…」
「分かち合える過去があるっていいわね。」
「それに、共に語り合う今があるという事も。」
珈琲の湯気と香りが二人を少し高揚させた。
この珈琲を飲み終えたら、彼女はきっと「いいわ」と応えるだろう。
ただ、今はこの一杯の珈琲を。
未来を語るにはまず“今”を味わう必要があるだろう。
【聴く珈】
Winged jewel 翼のある宝石
としてこのお話に登場頂いた モスキートエリ さんの『珈琲の音を聴く。』を朗読させていただきました。
朗読音声は記事に貼り付け頂きました。ベルの朗読とご紹介頂きました。モスキート エリさんのページは楽曲コラボもあって素敵な珈琲時間のお供にピッタリです。
モスキート エリさん珈琲コラボ立ち上げに朗読許可ありがとうございました。
『ドリップ』に寄せて
灰原 雄三
#なんのはなしです珈
#フィクションとノンフィクションの間で
なんのはなしです珈コラボ第一弾は
TABBY's COFFEE ROASTERさんの
ブレンドコーヒー『ルワンダの雫』です。
この創作記事は、なんのはなしです課を会社のひとつの課とした『なんのはなしですか』の非公式ストーリーで、なんの役にも立たない灰原がたまに力なく夢だけ語って空回りをしています。
