暗闇の世界で手探りを続ける 映画『天使たち』
誰一人として同じ人間が存在しない中で、あの夜、あの映画館では、200人超の人間たちが、同じ映画を観て、同じ感情を共有していた。
映画館で映画を観る意義がそこには確かに存在した。
〈概要〉
舞台は新宿・歌舞伎町。夢も希望も持てず、ただ若さと美しさをお金と交換する子。自分の居場所を求めてお金を稼ぐ子。承認欲求のゲームにハマった子。様々な背景を持つ女の子が働くガールズバーで出会った”なる”と”マリア”。
なるはホストの男を助け、次第に惹かれていく。マリアは客から、交渉を持ちかけられ…。若さを売り、求められる姿を演じ続けるうちに、次第に自分が本当に望むことがわからなくなっていく少女たちを監督自らの視点で描く。
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テアトル新宿で「今日の空が〜」を鑑賞した際、上映前に予告動画が流れた本作。
その時点で、題材と画にかなり惹き込まれた。
3日間限定公開とのことで早速初日に観に行くと、なんと満席のためチケット売り切れ。その場で翌日のチケットを購入し、無事リベンジに成功。
初日だけでなく2日目も満席で、立ち見も発生していた。
さらにはパンフレットもまさかの売り切れ。期待度は限界点を超えた。

ただただ、人が消費されることを描いていて苦しかった。
独りでいる寂しさから誰かをも求めるけれど、求められたその人は相手の期待に応えるために自分をすり減らし、そうして発生する寂しさからまた他の誰かを求める。
この連鎖がなる(龍村仁美)と京也(今田竜人)、マリア(河野聖香)とあきら(本田カズ)を通して淡々と映される。
求める側にも求められる側にも救いがないことが辛い。
本作に登場する人々は皆、物理的に独りなわけではない。
周りに誰かはいるのに、それでも寂しいと感じる。
それは、真の意味で分かり合い、心を許し合うことのできる相手がいないからだ。
例えこちらが心を許しても、相手はそうでもなかったり。
それなのに、適度な距離を保ちたい相手からは、必要以上に見たくもない心の内を見せられる。
満たされない”コレジャナイ感”を心のどこかで常に感じていながらも、それでも本当の孤独にはなりたくはないから、惰性で現状から抜け出さないでいる。

この孤独感には、一体いつまで付き纏われるのか。
この日々から、解放される日は来るのだろうか。
もしこの鬱々と沈む感情から抜け出したとき、その先には何が待っているのか。
蓋をしていたはずの感情が、本作の鑑賞によって半ば強引に引き出される感覚で、登場人物たちとは全く異なる環境であるのにも関わらず、同じように苦しく、また虚しくなった。

それでも、なるとマリアに希望の光が与えられたところで幕を閉じたことが唯一の救いとなった。
そしてそれは同時に、我々観客が明日を向いて生きていく力の源となった。
1997年生まれ、丑年。
とにかく映像作品が大好き!
映画、ドラマ、バラエティ、ニュース、CMすべて。
※ホラーを除く
noteでは、主に映画の感想をのらりくらりと記しています。
いつか、ライターと名乗りたい…。
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