ザ・リング ナオミ・ワッツ起用の舞台裏――2002年、日本ホラーがハリウッドを制した日
2002年の映画館は、
豪華な顔ぶれに埋め尽くされていた年だった。
「ハリー・ポッターと秘密の部屋」が魔法界の奥行きを広げ、「スター・ウォーズ エピソード2」が
アナキンの闇落ち前夜を描き、「スパイダーマン」がアメコミ映画という新しい鉱脈をハリウッドに教え、「少林サッカー」というジャンル不明のバカ映画がなぜか世界中で愛され、「猫の恩返し」がジブリの隙間を静かに埋めていた。
そんな年表の中に、
一本だけ毛色の違う映画が紛れ込んでいたことに、当時どれだけの人が気づいていただろうか。
「ザ・リング」。
日本のホラー映画が、初めて「文法ごと」世界に輸出された、記念すべき、そして例外的な一年の中心にあった作品だ。
2002年という年はデジタル化が
本格的に映画産業を変え始めた時期でもあった。
DCIという規格団体が設立され、フィルムから
デジタル上映への移行が現実味を帯びてくる。
映像がフィルムの粒子から解き放たれ、ビットの羅列に置き換わっていくその過程で、
映像そのものが持つ「不気味さ」もまた質を変えていった気がする。
呪いのビデオテープという設定が、
ちょうどアナログからデジタルへの過渡期に響いたのは、偶然ではなかったのかもしれない。
シネコンの普及によって映画館という体験自体も均質化していく中で、
逆に「均質化しきれない恐怖」への欲求が観客の中に芽生えていた、と見ることもできる。
さて、このリメイクがどうやって生まれたか、
その経緯がまず面白い。
1994年に設立されたばかりの新興スタジオ、
ドリームワークス・ピクチャーズの共同代表であるウォルター・F・パークスとローリー・マクドナルドのもとに、ある日、部下の社員から電話がかかってくる。
「あんなに怖い映画はこれまで観たことがない、すぐに見るべきだ」。
その勢いに気圧された二人は予定をキャンセルし、ビデオでその作品を鑑賞した。
それが中田秀夫監督による
1998年の日本映画「リング」だった。
二人とも本気で震え上がり、すっかり魅了され、その場でリメイク権の獲得を決めたという。
だがこの決断には当時、業界内から懐疑的な視線も少なくなかった。
ハリウッドのスタジオが他国のヒット作の
リメイク権を押さえても、実際には映画化に至らないケースは山ほどある。
まして日本映画のリメイクが興行的に成功した
例となると、1954年の「七人の侍」を翻案した1960年の「荒野の七人」くらいしか、
まともに語られる前例がなかった。
日本映画をハリウッドが本気で「買う」という
行為自体が、まだ相当に珍しい部類だったのだ。ゴジラのように「キャラクター」を輸出することはあっても、演出の呼吸や間合いといった
「文法」ごと輸出するという発想は、まだ市民権を得ていなかった。
その空気の中で公開された「ザ・リング」が、4800万ドルという低予算にもかかわらず世界で2億4900万ドル以上を稼ぎ出し、
ホラーのリメイク作品として歴代最高クラスの
興行成績を記録したことは、業界の空気を一変させるには十分すぎる結果だった。
この成功がなければ、
その後の「THE JUON/呪怨」
「ダーク・ウォーター」「THE EYE」といった一連のアジアンホラー買い付けブームは起きなかったかもしれない。
つまり2002年という年は、日本の恐怖が世界に「商品」として認められた、
その最初の値付けが行われた年だったと言える。主演に抜擢されたナオミ・ワッツについても触れておきたい。
当時のワッツは、まだ大スターと呼べるような
立場ではなかった。
前年、デヴィッド・リンチ監督の
「マルホランド・ドライブ」でようやく批評家筋から本格的に注目され始めたばかりの女優で、
いわば「これから」の段階にいた人物だ。
そんな彼女を、ジャーナリスト役のレイチェル・ケラーというヒロインに据えたことが、結果としてこの映画の空気を決定づけた。
派手さのないキャスティングだったからこそ、
恐怖に翻弄される市井の人間としての説得力が生まれ、B級ホラーに堕ちがちなリメイクを
「作家性のある一本」として成立させることができたのだと思う。
監督のゴア・ヴァービンスキーが、リメイクにあたって最も気を配ったのは
「オリジナルを台無しにしないこと」
だったと後に語っている。
恐怖のインパクトが強い部分はできる限り残す、という誠実な姿勢が、演出とワッツの演技の両輪となって作品を支えていた。
後年、彼女は「キング・コング」などで一気に
スターダムを駆け上がっていくのだが、
そのキャリアの重要な転換点が、日本のホラー映画のリメイクだったという事実は、今振り返ると奇妙な巡り合わせに思える。
物語の核となる呪いの存在も、日米で大きく作り変えられている。
日本版で井戸から呼びかける貞子は、生前は超能力を持つ人間として描かれ、その呪いには
「祟り」という因果応報の論理が通底していた。
一方、リメイク版でサマラと名付けられた少女は、孤児として引き取られた先で周囲に災厄をもたらす存在として描かれ、超能力者というよりも「オーメン」のダミアンに近い、生まれながらの邪悪という設定に書き換えられている。
日本版が「恨みを晴らす霊」という因果の物語だったのに対し、アメリカ版は「説明のつかない悪」という不可視の脅威の物語に近づいている。これは単なる翻訳上の差異ではなく、宗教観そのものの書き換えだと考えたほうがいい。
日本の怪異には、祟りや供養といった、
行為と結果が繋がる因果の回路が常に存在する。
恨みには理由があり、鎮めるための作法がある。ところがキリスト教的な世界観の中では、
悪はしばしば理由もなく、ただそこに存在する。サマラという存在が「なぜそうなったか」よりも「そうである」ことそのものが恐怖の中心に据えられているのは、この宗教的土壌の違いによるものだ。
この違いこそが、実は「文化輸出」というものの本質を語っている。
ゴジラが世界中で愛されたとき、それは怪獣という「キャラクター」が国境を越えたのであって、日本的な恐怖の演出そのものが理解されたわけではなかった。
だが「ザ・リング」の場合は違う。
呪いのビデオテープ、電話の呼び出し音、
テレビのブラウン管から這い出してくるという
演出、そして何より「音や間で恐怖を醸成する」という日本的な恐怖の文法そのものが、
翻訳を経てもなお機能した。
これは非常に珍しいことだ。
恐怖にはジャンルごとの文法があって、
それはちょうど音楽のジャンルに似ている。
ジャズには即興のリズムがあり、ロックには衝動があり、ブルースには反復と哀愁がある。
同じように、アメリカの恐怖映画には
「肉体的脅威」と「対決」という文法がある。
ジェイソンやフレディのように、殺人鬼という
明確な肉体を持つ敵と、逃げるか戦うかという
二択の中で物語が進行する。
可視化された脅威に対して、可視化された反撃を試みるという直線的な構造だ。
対して中国の恐怖には「死者の秩序」という文法がある。
キョンシーに代表されるように、死者にもまた
守るべきルールがあり、道教的な儀式によって
その秩序を回復させることが物語の目的になる。恐怖の対象は「秩序の乱れ」であって、
それを正すための作法が用意されている点で、
実はアメリカ型よりも東洋的な因果に近い部分がある。
そして日本の恐怖は、この二つのどちらとも違う。
不可視であること、間があること、
因果があること、怨念があること。
この四つが核になっている。
日本の怪異が厄介なのは、これがさらに細かく
ジャンル分けされていることだ。
お化けは情緒的な恐怖であり、輪郭が曖昧で、
揺らぎや気配そのものが怖い。
妖怪はキャラクター性の恐怖であり、
名前があり物語があり、ある種の親しみすら伴う。
悪霊は攻撃性の恐怖であり、
祟りや呪いという形で直接的な破壊をもたらす。
霊魂は観念的な恐怖であり、未練や哀しみ、
供養という文脈と切り離せない。
海外では「ゴースト」の一言でまとめられてしまうこれらの存在が、日本ではまったく別のジャンルとして扱われている。
お化けと悪霊を同じ棚に並べるのは、ジャズと
ブルースを同じ棚に並べるようなもので、聴けば全然違うのに、外側からは同じ「怖い音楽」に見えてしまう。
この細やかな文法の違いこそが、
長らく「日本の恐怖は海外で通用しない」と言われてきた理由だったはずだ。
ところが2002年、その前提が唯一崩れた瞬間があった。
理由の一つに、時代の巡り合わせがある。
前年に起きた同時多発テロによって、アメリカ社会は「見えない脅威」というものへの感受性を
急激に高めていた。敵の姿がはっきりしない、
いつどこから来るか分からない、日常のすぐ隣に潜んでいるかもしれない、という不安の質が、
皮肉にも日本的な恐怖の文法と強く共鳴した。
都市伝説の再燃という現象も同時期に起きていて、根拠のない噂が実体を持つかのように人々の間を伝播していく構造は、
「呪いのビデオを見た者は七日後に死ぬ」という
設定そのものと重なる。
噂こそが呪いを運ぶ媒体である、という発想は、9.11後のアメリカで語られていた「見えない敵」の物語と地続きだった。
だからこそ「ザ・リング」は、単なる輸入品としてではなく、その時代のアメリカ人自身が抱えていた不安の形にぴったりとはまる形で受け入れられたのだと思う。
この一本の成功が呼び水となって、「呪怨」や
「仄暗い水の底から」のリメイク、あるいはそこから派生した「THE EYE」のような汎アジア的ホラーの世界展開にまで繋がっていく。
2002年という年は、
だから単に「ホラー映画が一本ヒットした年」ではなく、日本という国の恐怖の文法そのものが
初めて輸出商品として世界市場に乗った、
極めて例外的な一年だったと位置づけられる。
それは同時に、二度と同じ形では再現できない、時代とビデオテープという媒体と、
9.11という出来事と、
無名の女優だったナオミ・ワッツと、
いくつもの偶然が重なって
初めて成立した奇跡でもあった。
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