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吉祥寺の夜に揺れる光と影――1994年、Fプロとプロレスの混沌の中で描いた日々

1994年のT京、K祥寺。

冬の夜、湿った空気に包まれた街のネオンや商店街の看板が濡れたアスファルトに揺れ、
車のライトが水たまりに反射する赤や黄色の光の帯が路面を滑り、遠くの踏切の警報音や深夜のコンビニの蛍光灯のチカチカ、行き交う人々の足音が雑踏のざわめきを作っていた。

自分は株式会社Hマンの一角に座り、
青白いパソコンの光に照らされながら、
キャラクターの顔グラフィックを描き続けていた。

会社が手がけていたのはプロレスゲーム『Fプロ』で、自分の仕事は100人近いレスラーの顔を正面・右・左・後ろ・斜め横・斜め上・斜め下・上・下の八方向から描き起こすことだった。

雑誌や試合映像でリング上の一瞬の表情を確認し、スロー再生、巻き戻し、停止を繰り返す。
大仁田厚の荒々しい表情、ポーゴの狂気を帯びた瞳、サスケの空中技直前の緊張、デルフィンの技巧的な動きをドットに落とす。

指先で微かにペンを揺らし、わずか一ピクセルの線を置くだけで表情はまるで別人になる。
当時の開発環境は極めてアナログで、パワーマックで描いたグラフィックをPC-98にコンバートし色味をテレビで確認する。

Windows3.1の時代で色彩管理もフォントも不安定、すべて手作業だった。

プロレス界は混沌としていた。
UWF崩壊後の第一次分裂でリングスの前田日明はリアルファイト志向、関節技や投げ技を駆使し海外交流も積極的に行い、
北米や欧州の柔術・レスリング技術を積極的に
取り入れた。

高田延彦のUWFインターナショナルはスピードとスタミナを武器にテンポの速い試合を展開し、藤原喜明の藤原組は力技と派手技を融合し、
打撃の迫力とプロレス的な魅せ方を両立させ観客を熱狂させた。

若手の旗揚げ団体パンクラスは総合格闘技の
先駆けで、船木誠勝、鈴木みのる、近藤有己、
バス・ルッテンらが打撃・関節・投げを組み合わせたリアルファイトを提示し、
日本国内に総合格闘技の新たな潮流を生んだ。

リングスはヨーロッパからの選手も参戦し、
投げ技主体の柔術技術とグラップリングを融合、試合中に足関節や腕ひしぎ、バックチョークといった多彩な極め技を次々に狙い、リアルファイト感を演出した。

その一方でアメリカではUFC(アルティメット格闘チャンピオンシップ)がすでに存在し、
ホイラー・グレイシー、ロイ・ラーズ、
ケン・シャムロック、ドン・フライ、
マット・ヒューズらが無制限ルールに近い形式で戦っていた。

ルールはほぼ一本勝ちかKO、サブミッションによる決着で、ラウンド制もほとんどなく、体重差や流血も容認される過酷さで、グレイシー柔術の柔軟性や極め技の奥深さ、打撃主体のファイターの破壊力が際立っていた。

日本国内では映像が断片的にしか入らなかったが、格闘マニアやゲーム開発者はリングスや
パンクラスの選手とUFCの戦い方を照らし合わせ、リアルな強さの基準を模索していた。

UFCの映像ではグレイシー柔術の極め技で一瞬で試合が決まる場面や、ドン・フライのパワフルな打撃で相手が吹き飛ぶ瞬間が収められ、
これをゲーム内で再現するにはどうしても
「現実との嘘」を挟まなければならなかった。

女子プロレスも全日本女子プロレス黄金期で、
北斗晶、アジャ・コング、豊田真奈美、
ダイナマイト関西、井上京子、
ボリショイキッド、神取忍らが活躍していた。

それぞれ打撃・パワー・飛び技・関節技の特徴を持ち、試合映像のスロー再生で微細な表情の変化や技の入り際の体勢、瞬間的な筋肉の緊張までを観察し、キャラクター表情や動きをゲームに落とし込んだ。

K-1も誕生し、アンディ・フグ、ピーター・アーツ、ブランコ・シカティック、マイク・ベルナルドら巨大格闘家が純粋な打撃勝負を展開し、
空手系選手も松井章圭、藤原敏男らが参戦。

間合いや蹴りの精度、軸足の動きが独特で、
ゲーム内での再現にはドット単位の精密な調整が必要だった。
空手、柔術、総合格闘技、キックボクシング、
それぞれ異なる文法を持つ技術をひとつのゲームに統合する作業は、極度の集中力と職人的な感覚を要求した。

アメリカンプロレスWWFはキャラクター性と演出の極端さで日本のプロレスとは別世界であり、ハルク・ホーガン退団後もアンドレ・ザ・ジャイアント、リック・フレアー、ショーン・マイケルズ、ブレット・ハートらがリングを彩り、
ハイフライヤーの空中戦や巨大レスラーの
パワームーブは観客を感情のジェットコースターに巻き込んだ。

輸入ビデオや雑誌で情報を得ながら、
国内のプロレスゲーム制作に反映させる際も、
その誇張されたキャラクター性や派手な演出を
どうドットに落とし込むかが課題だった。

同時期、サッカーゲームの国旗グラフィックも
担当し、Jリーグや海外代表の情報を追いながら、ゲーム内のキングカズは現実よりも強く設定され、リアルと虚構の間に立つ感覚を強く実感した。

ゲーム業界も変革期で、スーパーファミコン時代の終焉、初代プレイステーション発売前夜、
『バーチャファイター』による3Dポリゴン革命により、2D格闘ゲーム黄金期の中で『Fプロ』のようなシミュレーター型プロレスゲームは徐々に
主流から外れ、社内では
「Fプロだけで会社は生き残れるか」
「格ゲーの波に乗らなければ厳しい」
と議論が絶えなかった。

『Fプロファイナル』ではS田剛一氏がストーリーを担当し、屋上でタバコを吸いながら話す彼は前田日明のような強烈キャラクターを好み、
登場人物を過剰に強く設定する一方で団体ごとのスタイル統合の困難も痛感していた。

プロレスラー、総合格闘家、空手家、K-1選手、UFCスタイルの格闘家、WWFキャラクター、
戦う理由も勝敗の意味も異なり、
それをゲーム内で均一化することはほとんど不可能だった。

K祥寺の街の光、夜の商店街のざわめき、
青白いパソコンの光、深夜のコンビニの蛍光灯の中でキャラクターたちの顔がひとつずつ生まれ、何百もの試合の熱量がドットに積み重なり、
プロレス、女子プロ、総合格闘技、空手、K-1、WWF、UFCスタイルの混沌と職人仕事としてのゲーム制作の二つが絡み合い、あの頃の自分の毎日を形作っていた。

一方でN島さんとの距離も変化し、
東京での生活が忙しくなるにつれ会う回数は月に一度、二度へと減り、同じ時間を共有することの尊さが増していった。

彼女は最初の頃と変わらず笑うが、
僕が仕事に追われるたび
「いつも一緒にはいられない」という静かな感情が膨らみ、吉祥寺の夜のざわめきとゲーム制作の忙しさの中でその変化はゆっくり、リング上の試合の流れが気づかぬうちに変わるように進んでいった。

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nao46222 チップをありがとうございます。 そのまま宝にしておきます。^_^