砂漠の街で、少年は未来を測った Zi:Kill『DESERT TOWN』再訪
1991年、大学三年。
世の中は完全にヴィジュアル系の時代だった。
Xの巨大化するスケール感、BUCK-TICKの耽美と様式美、D’ERLANGERの退廃的な色気。
ヒデは光そのもののような存在で、ロックは祝祭の中心にあった。
色彩は飽和し、ギターは速く、ドラムは派手に鳴り、ステージはドラマで満ちている。
破滅すら演出され、美学として消費される時代だった。
ライブハウスもCDショップも熱を帯び、音楽は外へ外へと拡張していた。
誰もが何かになれそうな錯覚の中にいた。
その渦の中で、自分が繰り返し聴いていたのが、ZI:KILLのアルバム『DESERT TOWN』だった。
同じヴィジュアル系の棚に並んでいながら、決定的に温度が違う。
まず音が乾いている。
スネアは過剰に響かず、ギターは空間を埋め尽くさない。
リフは鋭いが、誇示しない。
リバーブは抑制され、音と音のあいだに隙間がある。
その隙間が、このアルバムの本質だ。
タイトルが示す通り、そこに広がっているのは光の都ではなく、光が引いた後の“砂漠の街”。
祝祭の後に残る静寂の温度が鳴っている。
表題曲「DESERT TOWN」の〈目覚めた時はこうじゃなかった。影ばかりが見えてる〉という一行は、アルバム全体の視界を規定している。
世界が崩壊したわけではない。
ただ、目覚めた瞬間に光よりも影の輪郭がくっきりしてしまう。
その微妙な変化。
劇的ではないが、決定的。
大学三年の自分はまさにその場所に立っていた。S本さんとの半同棲のような生活、増え続ける知り合い、毎日のように誰かと会い、誰かと話し、誰かとどこかへ行く日々。
表面は充実している。
それでも、来年になれば卒業という現実が静かに迫り、将来という言葉が急に具体性を帯びる。
楽しいはずなのに、どこか醒めている。
光の中にいるのに、影ばかりが見える。
その感覚を、このアルバムは正確に言語化していた。
「SLOW DOWN」の〈人を傷つけて手に入れた物の全てが俺には無価値なものに見える〉という一節は、当時のヴィジュアル系の文脈では異例だった。
欲望を肯定するでもなく、成功を誇示するでもなく、破滅を美しく装うでもない。
獲得そのものの価値を疑う。
勝ち取ったものに拍手を送らず、それは本当に意味があるのかと問い返す。
この倫理的な視線は、熱狂の中心にはない。
少し外側から眺めている。「LONELY」の〈すぐ側にあるものさえ見失う事もある〉も同様だ。
世界を敵に回すのではなく、自分の認識の歪みを認める姿勢。
「少年の詩」の〈何が嘘で何が本当かなんて、そんな事はわからないけど〉という留保はさらに象徴的だ。
断定しない。
断罪しない。
だが、思考を止めない。
この“わからないけど”という態度は、かつてのフォークソングが持っていた生活の匂いに通じる。しかしそれをアコースティックではなく、乾いたエレクトリックサウンドで鳴らしている点に革新があった。
ヒデが光を増幅させ、カリスマとして祝祭を牽引していたとすれば、『DESERT TOWN』は光が作る影の構造を解析していたアルバムだった。
派手ではないが、冷静だ。
その冷静さは後のシーンに確実に流れ込んでいく。
例えば黒夢の初期にある硬質な孤独と削ぎ落とされた音像。
激情を抱えながらも、過剰に装飾しない美学。
例えばLUNA SEAの光と影の均衡、ダイナミズムの裏にある緊張と静けさ。
そしてL’Arc〜en〜Cielの初期に漂っていた耽美と同時に存在していたクールな構築性。
彼らはそれぞれ別の方向へ飛躍するが、感情を暴発させず、装飾をコントロールし、言葉に余白を残すという姿勢において、『DESERT TOWN』の地層と接続している。
祝祭が一段落した後に残るのは熱狂ではなく、構造だ。
その構造を、このアルバムはすでに内蔵していた。
大学三年の自分は、芸術大学に在籍しながらも、自分の才能や将来に確信を持てずにいた。
周囲は夢を語り、恋をし、創作に没頭し、未来を当然のように語る。
自分もその輪の中にいる。
だが内側では、「本当にこれでいいのか」という問いが乾いた音を立てていた。
『DESERT TOWN』はその問いを煽らないし、慰めもしない。
ただ隣に座る。
光に酔うなとも言わないし、影に沈めとも言わない。
ただ、目覚めた後の視界を共有する。
その距離感が、自分には救いだった。
1991年という年は、表向きはまだ明るかった。
しかし足元には細いひびが走っていた。
バブルの余熱、将来への楽観、拡張し続ける音楽シーン。
そのすべての裏側で、静かに乾いた風が吹いていた。
『DESERT TOWN』はその風の音だった。
派手ではない。
だが骨格が異様に強い。
パワーワードというより、言葉そのものの比重が重い。
フォーク的な生活感とポストパンク的な削減美学を内包し、祝祭の時代の外縁で鳴っていた一枚。
あの頃、自分は何者でもなかった。
しかしあのアルバムだけは妙に大人だった。
光の中心に立たず、影を誇張せず、曖昧さの中で立ち続ける。
その姿勢は、後の時代に繋がり、自分の記憶の中でも消えなかった。
1991年の熱狂の奥で、乾いた街の音が確かに鳴っていた。
その音に耳を澄ませていた自分もまた、ゆっくりと目覚め始めていたのだと思う。
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そのまま宝にしておきます。^_^