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東大オタク学講座から食玩企画へ——岡田斗司夫という翻訳者の仕事

「可愛い」とは何か。
かつてその言葉は、守られるべき弱き存在に向けられる慈しみの一種であった。
しかし私の幼少期の記憶に焼き付いているのは、慈しみとは対極にある、凄惨なまでの破壊の光景だ。
美少女が暴れ、叫び、
物理的な限界を超えて世界を蹂躙する。
そのアニメーションを見た瞬間、私は確信した。この世界は大人たちから教わった
「道徳的な秩序」とは全く別の、
もっと危険で衝動的な論理で動いているのだと。可愛さが戦う力を持つという事実は、当時の私にとって世界観を根底から揺るがす啓示だった。
かつてヒーローとは、鍛え上げた肉体と正義の
理念を持つ存在だった。
しかし80年代以降、戦場に立つのは必ずしも屈強な男たちだけではなくなった。
可憐な少女の姿をした存在が、巨大な敵を粉砕する。その瞬間、「弱さ」と「強さ」の境界線は崩れ始めた。
従来のヒーロー像には重厚な意志や使命があったが、あの少女たちが纏っていたのは感情の暴走そのものであり、だからこそ強かった。
それは美学というより生存戦略に近い狂気であり、私たちは無意識のうちにその熱量を身体に
刻み込んでいたのだ。
この違和感がどこから来たのかを遡っていくと、私はもう一つの記憶に行き着く。
70年代末の『マカロニほうれん荘』だ。
可愛さと暴力の融合が「何が描かれるか」の
反転だったとすれば、この漫画がもたらしたのは
「どう描かれるか」の反転だった。
それまでの安全で安定したギャグという概念は、あの圧倒的なスピード感の前では無力だった。
ページをめくる速度が意味を凌駕し、
情緒よりもテンションが読者の脳を殴りつける。
コマ割りの常識を破壊し、脈絡のない突飛な行動が読者の論理的思考を停止させ、感覚そのものをハックする。
キャラクターがまるで作者の制御を振り切って
勝手に暴走しているように見え、
ギャグ漫画でありながら一コマ一コマの絵そのものが過剰な情報量を抱え込んでいた。
少年漫画でありながら、少女漫画的な美麗さと
狂気が同居していたのも、この漫画の異様さの
核心だった。
それは、後に「可愛さと暴力」として結晶化していく感性の、もう一つの原型でもあった。
内容の反転と表現速度の反転、
この二つが同じ時代の空気の中で同時多発的に
起きていたことこそが、
後の日本文化の感性を決定づけたのだと
私は考えている。
この時、日本の感性は「高速化」という不可逆な進化を遂げた。
笑いの質が物語の文脈から切り離され、
純粋なテンションの出力へと変わった瞬間、
私たちは「意味を理解すること」よりも
「その瞬間、最高にハイであること」に
価値を見出すようになった。
そしてこの「可愛さが戦う」という文法は、
決して私一人の妄想ではなかった。
80年代末から90年代にかけて、セーラームーンは戦う少女を大衆的なアイコンへと押し上げ、
エヴァンゲリオンは少女兵器という形で、
守られる存在だったはずの少女を世界の存亡そのものを背負う主体へと変えた。
弱者の記号だったものが、いつのまにか世界を
書き換える力の記号へとすり替わっていく。
この反転はまだ終わっていない。
後に『魔法少女まどか☆マギカ』が
可愛さの内側に絶望と暴力を
さらに深く埋め込むことになるが、
その萌芽は既にこの時代の空気の中に、
確かに存在していたのだ。
それから90年代、アニメやゲームは地下水道のように深く、暗く、そして確実に豊穣な知を
蓄積していった。
深読みの文化が成立し、作品の背景を執拗に
掘り下げる「オタク的知性」が鍛えられたのも
この時期だ。
一本のアニメを一度見て消費するのではなく、
繰り返し見返し、伏線を読み解き、掲示板で議論を交わす。
そうした受容の作法そのものが、
この時代に一つの型として確立されていった。
この土壌は、決して一人の人間が耕したものではない。
庵野秀明のような作り手、
ファンジンや同人誌の文化、パソコン通信という草の根のネットワーク、そして後の2ちゃんねる。
それら無数の細い流れが、少しずつ合流しながら地下水脈を太くしていった。
その巨大な潮流を言語化する役割を担った象徴的な存在として、岡田斗司夫の名を挙げないわけにはいかない。
90年代、
彼は東京大学でオタク文化論のゼミ講師を務め、それまで単なる「趣味」として扱われてきた
アニメやまんが、特撮を、体系立てて論じるべき「学」として提示してみせた。
東大という最も権威的な場でオタクの情熱が真剣に論じられたという事実そのものが、それまで「恥ずかしいもの」とされてきた熱狂に、
社会的な発言権を少しずつ与えていった。
それは権威によるお墨付きというよりも、
周縁の側が権威の言語を借りて、自分たちの熱狂を初めて他者に説明可能な形へと変換した、 
最初の翻訳作業だったと言っていい。
2ちゃんねるの出現は、その地下水が地上へ溢れ出すための圧力となり、やがて来る2002年という特異点への予兆を孕んでいた。
匿名掲示板という空間は、社会的に疎外されていたはずの「マイノリティーの知」を相互に連結させ、巨大な集合知へと変貌させたのである。
2002年、テレビ文化の黄金期。
あの年の狂気的なテンションを思い出す。
バラエティ番組は極限まで編集され、
映像のカット割りとテロップの奔流が視聴者の
認知速度を限界まで引き上げる。
特撮番組はもはや子供向けという殻を破り、
『仮面ライダー龍騎』や『555』が善悪の境界が
曖昧な世界観を提示し、現実社会の不条理を鋭く抉り出した。
アニメは「萌え」という記号を戦闘という暴力的な文脈に組み込み、当たり前のように融合させていく。
幼い頃の私が衝撃を受けた
「可愛さと破壊の同居」は、もはや異物ではなく、この年のアニメを支える標準文法そのものになっていた。
かつて隠微な場所で語られていた作品の解釈や
考察は、掲示板を通じて共有知へと進化し、2003年への準備を整えていた。
そして2003年、周縁が中心の隣に席を占め始める決定的な年がやってくる。
この年が特異点たり得たのは、単に文化の内側で何かが起きたからではない。
社会のインフラそのものが、個人が情報を編集し発信する体制へと切り替わった年だったからだ。
ブロードバンド回線の普及が個人の通信速度を
跳ね上げ、
同年12月1日には東京・大阪・名古屋の3大都市圏で地上デジタル放送が本放送を開始し、
テレビという最も中心的なメディアでさえ
デジタル編集の論理に組み込まれ始めた。
同じ年の後半には、はてなダイアリーが日本に
本格上陸し、ライブドアブログや
Seesaaブログ、ニフティのココログが相次いで
サービスを開始した。
のちに「日本のブログ元年」と呼ばれるこの年、専門知識を持たない個人が自分の言葉で世界を
編集し、発信する基盤が初めて社会全体に行き渡った。
掲示板の中でしか流通しなかった
「マイノリティーの知」が、個人という単位で世界に向けて直接発信できるようになったのが、
まさにこの年だったのである。
YouTubeも動画共有サービスもまだ存在しない
時代、個人が持てる発信手段はテキストと画像に限られていたが、だからこそ言葉の密度で勝負する匿名の書き込みが力を持った。
翌2004年、独身男性板のたった一つのスレッドから始まった「電車男」が社会現象へと膨れ上がるが、その土壌となる回路は、
まさにこの2003年に敷かれたものだった。
一方でDVDの普及は、映像を一度見て消費するのではなく、繰り返し止め、戻し、コマ送りで
見返すという反復視聴の作法を大衆化させ、
掲示板的な深読みの文化を茶の間にまで
引き寄せた。
Amazon.co.jpを通じたオンライン購買が生活の中に定着していったのもこの時期で、
地方に住んでいても、他人の目を気にせず、
自分のマニアックな趣味に直接アクセスできる
回路が開かれていった。
趣味は共同体の中で共有されるものから、
個人が一人で深掘りできるものへと、静かに姿を変えていったのである。
その具体的な現れの一つが、岡田斗司夫が海洋堂と組み、
食玩「王立科学博物館」シリーズを企画して
タカラから発売した仕事だった。
玩具売り場という誰もが立ち寄る大衆的な場所に、オタク的な造形美とマニアックな精緻さを
持ち込んだこの仕事は、地下で培われた美意識を
一般消費社会の棚に静かに並べる試みだった。
東大の教壇で言葉として翻訳されたオタクの美学が、今度は手に取れる商品という形で、
日常の生活圏に浸透していった。
専門的な語彙や思考の型を、大衆が日常的に扱えるテーマへと橋渡しし続けるその一貫した仕事ぶりは、彼を象徴的な媒介者たらしめていた。
だが本当に重要なのは、岡田斗司夫という一個人の仕事ではない。
彼のような媒介者が現れ、機能し得たのは、
放送も通信も個人による編集を前提とした体制へと切り替わりつつあったこの年だからこそだった。
なぜ、私たちがここまで激しい暴力や高速度の
笑いを求めるようになったのか。
なぜ虚構のキャラクターに実在の人間以上の感情を投影するようになったのか。
ネットという新たなインフラが社会を接続し、
これまで「マイノリティーの戯言」として切り捨てられていた価値観が、日常の会話の中に少しずつ滑り込んでいく。
可愛いが強い。
意味よりもテンションが優先される。
2003年という年は、その変化が公然たる事実として定着していく過程の、決定的な通過点だったのである。
それまで「社会の底辺」や「周縁」に位置づけられていたオタク文化が、玩具売り場やブログという具体的な回路を通じて「大衆の生活圏」へと
侵食していった。
私たちは「自分たちが好きだったもの」を
「社会的に価値のあるもの」として語る土台を、
少しずつ手に入れていった。
これは文明論的な転換の序章であり、保守的な
日本社会の価値基準が、オタク的な深掘りや
高速な情報処理という
新たな価値基準によって塗り替えられていく、
長い物語のひとつの章であった。
あの時、幼少期の私が感じた違和感は、間違っていなかった。
私がスクリーン越しに見ていたあの破壊の光景は、日本という国が古い殻を脱ぎ捨て、より混沌とした、しかしより刺激的な未来へ向かうための儀式だったのだ。
地下で燃えていた情熱に言葉と形を与え、
それを少しずつ地上へ運び出す作業は、
一人の翻訳者だけが担ったのではなく、
この年に切り替わったインフラそのものが後押ししていた。
かつて地下水道の底で燃えていた情熱は、
今やこの世界の景色を定義する力の一部になりつつある。
かつての孤独な趣味は、
今や巨大な市場を生み出し、
世界中の人々に消費される文化の根幹となった。
個人史という名の小さな物語と、
日本文化史という名の巨大な物語が、
2003年という一点で静かに交差した。
それは懐古ではなく、日本という文化がどのようにして「周縁」から「中心」へと近づき、
いかにして現在の感性を形作ったのかを紐解く、
極めて重要な文化論なのだと私は思う。
あの混沌とした2003年の
空気感を共有する私たちは、
今なお、その延長線上にある世界を生きている。
だが、一度立ち止まって振り返る必要があるだろう。
私たちが今享受しているこの刺激的で、高速で、そしてどこか歪な世界が、
どのような経緯で築かれたのかを。
2003年のあの瞬間、
社会の風向きは確かに変わり始めていた。
周縁の声が中心の隣に少しずつ場所を得て、
異端が正統の風景の一部になっていった。
この大きなうねりの中に、
私たちの原風景がある。
誰にも顧みられなかった熱狂を抱えたまま大人になった私たちが、今はこうして自らの手で歴史を編み、世界を再定義しつつあるという事実に、
かつて価値を認められなかった熱狂が、
今では文化を動かす力になった。
その事実は、あの時代を生きた人間にとって
一つの答えなのかもしれない。
2003年とは、単なる過去の年号ではない。
それは、私たちが「自分たち自身の文化」を
社会の中心へと押し上げていく、
長く続く現在進行形の変化の、
はっきりとした通過点なのである。
この変化はまだ終わっていない。
むしろネット空間が拡張し続ける現在において、私たちは常に新たな「周縁」を探し出し、
それを「中心」へと押し上げるための、
終わりのない試行錯誤のただ中にいる。
私たちが追い求めてきた「可愛い暴力」は、
今やSNSのアルゴリズムという別の鏡に映し出され、
より高速に、
より鋭敏に、
私たちの感情を揺さぶり続けている。
あの日、地下水道の底で燃えていた情熱を手に、私たちはこれからも、
この混沌とした世界を生き抜いていくのだ。
かつて教室の片隅で
自分の熱狂を語る言葉を持たなかった少年は、
こうして自分自身の言葉で
その熱狂を書き記す大人になった。
物語はまだ、終わらない。

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nao46222 チップをありがとうございます。 そのまま宝にしておきます。^_^