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ポカリか、ゲータレか。小学三年生の派閥感覚

小学三年生の頃、
ポカリスエットとゲーターレードが流行っていた。

今思えばただのスポーツ飲料だが、
当時の子供社会では立派な「選択」だった。

なぜか子供の世界では、
二極化したものが好まれる。
コカ・コーラかペプシか。
ポカリかゲータレか。
理由は曖昧でも、
どちらかに属していることが重要だった。

今ならロスチャイルドかロックフェラーか、
などと冗談めかして言えるが、
子供の頃はそんな背景を知る由もない。
それでも「どっち派か」という問いだけは、
やたらと重たかった。

そんな中で、
意味のない話し合いが自然発生する。

どっちがかっこいいか。
どっちが強そうか。
どっちを持っていると注目されるか。

結論は毎回違うが、
議論をしているという事実そのものが大事だったのだと思う。

ある時、
オニツカかプーマかで揉めている現場を見た。
どうやらシューズの話らしい。

自分は運動をしなかったので、
正直、何が問題なのか分からなかった。

オニツカって、
後のアシックスのことだと知るのは、
ずっと後の話だ。

当時、子供の私服はジャージが主流で、
ミズノのスーパースターが流行っていた。

林間学校のような行事で
ジャージが必要になり、
親と一緒にスポーツ用品店へ行った。

自分は特にこだわりがなかったので、
店員に勧められるまま購入した。
プラドのジャージだった。

翌日、学校に着ていくと、
「プラドじゃん」と声をかけられた。

それが凄いことなのかどうか、
自分には分からなかったが、
その日を境に、
プラドのジャージを着る子が増えていった。

流行は、
いつも誰かの無自覚な選択から始まる。

一方で、
自分が持って行ったポカリスエットには
誰も反応しなかった。

そこはゲーターレードなのだと、
後になって理解した。

服や飲み物、
消費するものに過剰な意味が乗せられていく感覚に、
少し戸惑いを覚えた。

でも結局、
身につけるものも、
飲み干せば終わるものも、
大した違いはないと感じていた。

多分この頃から、
周囲とのズレを
薄く自覚し始めていたのだと思う。

例えば、
ドリフと欽ちゃん、
どちらが好きかと聞かれても困る。

どっちも好きなら、
選ばなくてもいいじゃないかと思っていた。

けれど人は、
派閥を作りたがる。

理由より先に立場を決め、
後から意味を与える。

その構図を、
小学三年生の時点で
うっすらと見ていた気がする。

そしてその感覚は、
気づけば今の自分の
考え方の土台になっている。

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