壁園佳さん『産まれたての日々』 感想(※ネタバレあります)
感想を私なんかのnoteに書くのはどうなんだろう、そもそも感想なんておこがましいな、と思い、迷ったが、でも、これはたくさんの人に読まれるべき本だと思うので、この熱量がもし誰かに伝われば、と思い、役に立てなくとも、一読者として、思ったことを書いてみることにした。
まず、読んでいて胸がとても苦しかった。魂がゴリゴリ削れる音を聞きながら、血液以上の何かがドクドク流れるのを見ながら読んでいるような、そんな心地がした。でも私は、まさにこういう本が読みたかった、と思った。
この本は、商業や趣味を超えている。命と向き合った本、生きる為に書かれた本だと、私にはそう感じられた。
また、もしも私が同じような体験をしたと仮定しても、この文章は絶対に書けない。冗談でなく、鬼滅の刃の猗窩座であれば「このオーラ、至高の領域まで練り上げられている…」と言うだろな、という程の気迫と精神を、文章から感じた(伝わらなかったらすみません、、、)。
身近な人の自死、事実として起きた虐待、それでも被害を被害と認めて良いのか分からない葛藤、親を責める自分を責める心。それでも現実的な課題と向き合い、そして心とも向き合い、自分の思想の寄る辺を確かめてきた日々の文章。
読んでいると、激しい感情に襲われようとも、それを超える静かな信念のようなものが無いと書けない、そんな領域まで踏み込まれた、研ぎ澄まされた言葉たちだと感じた。医療職の方だからだろうか、どんなに生々しく受け入れがたくとも、事象を静かに見つめる視点を感じるのだ。
お父さんの行動、発する言葉、圧倒的な分かり合えなさに罪悪感を上乗せしてくるそれらに、壁さんはどれだけ傷ついただろうか。それでも、「自分のため」と言い聞かせながら行動し、一方で、お父さんの生活を少しでも確保しよう、お父さんに幸せであってほしい、お父さんに自殺してほしくない、という願いがあらわれる。その揺れる心の様子に、私の心も揺さぶられ、読んでいて苦しかった。
壁さんは、そういった数々の葛藤の先で、「父は私だ。同じ孤独を抱えている。」という知見にまでたどり着く。すごい、なんて言葉では表現できない。どうしてここまで傷だらけになっているのに、こんな言葉に辿り着けるのだろう。
ここからは、私事なので適当に読み流してほしい。私は、適応障害とうつの診断を受けているので、うつ状態のお父様側の言動に、自分自身覚えがあった。私も、死にたいほど苦しい時に何かを実行するのは、「檻の中でライオンと一緒に暮らしてね。」と言われているような感覚になり、なんてことない日常も「今にも溺れて窒息しそうで、必死でもがいている」という気持ちで行うことがある。
だが一方で、家族愛、親の恩、という綺麗な綺麗な大義名分の下で子ども達を操り、傷つけるお父さんのやり方は正当化できないと思った。家族愛という甘いコーティングをしても、傷は傷だ。美しい傷なんてありえない。あって良かった傷はない。絶対に無い。お父さんがもし、祈っていなかったとしても、私は壁さんの、ご夫婦の、幸せを祈りたい。いや、幸せになるべきだ。そう思った。
パートナーの方とのエピソードを読んでいると、苦しくて仕方なかった。ここも私の話になるので読み飛ばしてほしい。私は、大好きな人を観念させてからやっと、その人の大好きさを思い出して、自分の弱さを呪う、みたいなことがよくある。頻繁にある。そして関係性を根本から解消してしまう。そういうもどかしすぎる痛みだったり感情だったりを、壁さんの文章から思い出して、やりきれなくなった。それでも、一緒にいたいと口に出し、共に生きようとするお二人の姿。これが愛でなかったら一体なんだろうか、と思った。勇気をもらった。
最後、ご夫婦2人で、壁さんのお母さんのお墓を掃除しているところは、旦那様が壁さんの傷をやさしくなでて、いたわっているような、「痛かったね」と傷を悼んでいるような、そんな心地がした。お墓の立っている高い山の上から見える景色や風が、私にも伝わってくるようだった。涙が出てきた。
壁さんがこの世界で、同じ時間の流れの中で生きている。またきっと文章を産み出す。そのことが、一読者としてとても希望であり、楽しみだなぁと思う。
