見出し画像

40代、仕事を辞めて製菓学校に入った。控えめに言って大胆なことをしたと思う。

両親は、いつまでも元気なものだと思っていた。

### 目次 * [はじめに:40代で立ち止まり、学校へ行くまで](#anchor1) * [なぜ現場ではなく「学校」を選んだのか](#anchor2) * [18歳に囲まれたマイノリティな日々](#anchor3) * [包丁の握り方から始まった、基礎と向き合う時間](#anchor4) * [実技より怖かった筆記試験と、AIの活用](#anchor5) * [一年間を振り返って:ゼロの中身が変わった](#anchor6) ---

正確には、そう思いたかったのかもしれない。

少しくらい忘れっぽくても。
少しくらい家のことが大変になっていても。

「まあ、まだ大丈夫でしょう」

と、見ないふりをしていた。

でも、そうも言っていられなくなった。

ちょうどその頃、古くなった実家を建て替える話が出ていた。

どうせ建て替えるなら、いつか両親の近くで仕事ができないだろうか。

その土地の片隅に、小さなお店なんてできないだろうか。

そんなことを考え始めた。


問題は、私が忙しすぎたことである。

仕事をして、家のことをして、両親から頼まれたことを片付ける。

建替えのことも考えなくてはいけない。

なのに、どれも中途半端。

自分の生活なのに、自分がずっと後回しになっているような感じがしていた。

そんな時、たまたま教育訓練の制度を知った。

対象になる学校を眺めていると、調理や製菓の専門学校もある。

「……学校?」

最初は、そのくらいだった。

でも、

どうせ一度立ち止まるなら、学校へ行ってみるのもアリなのでは。

と思った。

両親に話してみたら、意外にも賛成してくれた。

では行こう。

今思えば、ずいぶん簡単に舵を切っている。


仕事を辞めた。

建替えの準備を進めながら学校を探して、手続きをして、昼間のコースに入ることにした。

新しいことが始まるワクワクが7。

「本当にこれでいいのか」という怖さが3。

最初はそのくらいだったと思う。

でも手続きをして、教材を揃えて、学校へ行く日が近づくにつれて、

9:1くらいになった。

仕事を辞めた直後のことは、今でもよく覚えている。

空気が妙においしかった。

大げさではなく、本当にそう感じた。

「あ、自分、結構疲れてたんだな」

と、その時初めて気づいた。


40代未経験で現場に飛び込む勇気は、私にはなかった

飲食の世界には、

「現場で覚えるもの」

「何年か修行して一人前」

というイメージがあった。

今でも、ある程度はそうだと思っている。

ただ、40代の未経験者が何も知らない状態で飛び込むのは、なかなかの冒険である。

雇う側からしても、

「40代・未経験・パティシエ志望です」

という人が面接に来たら、ちょっと怯む案件だろう。

少なくとも、私なら怯む。

大海原へ泳ぎ方も知らずに飛び込む勇気はなかった。

だったらまず、基礎くらい身につけよう。

衛生も、調理も、製菓も、飲食業界そのものも、一度まとめて学んでみよう。

そう考えて、製菓・製パンを中心にしつつ、調理も学べるコースを選んだ。


そして教室に入ったら、だいたい18歳だった

<a id="anchor3"></a>

昼間部に入ってまず思った。

若い。

当たり前である。

専門学校の昼間部なのだから。

クラスの大半は高校を卒業したばかりの世代で、留学生や20〜30代の人が少し。

40代以上は、ごく少数だった。

私は完全にマイノリティである。

「今日が人生で一番若い」

という言葉がある。

私はかなり都合よくこの言葉を採用して入学したのだけれど、

さすがに18歳に囲まれると、

今日が人生で一番若くても、周りはもっと若い。

という事実に気づく。

Z世代の空気に、すんなり馴染めるはずもない。

実習班が組み替えられる時などは、毎回ちょっとした緊張があった。

「どうか穏やかな班であってくれ、、」

班決めだけで、なぜこんなに戦々恐々としているのだろう。

いい大人なのに。


若者とミドルでは、当たり前だけれど価値観も距離感も違う。

時には小さな衝突もあった。

だから社会人が学び直すなら、今の私は夜間部という選択肢もかなりおすすめしたい。

一度社会に出た人が多い環境の方が、勉強そのものには集中しやすいかもしれない。

とはいえ、若い人たちと一年間一緒に過ごした経験は、今となっては面白かった。

流行っているもの。

人との距離感。

先生への接し方。

SNSの使い方。

「へえ、今はこうなんだ」

と思うことが何度もあった。

学校へ行かなければ、たぶん知ることのなかった世界だった。


包丁の握り方から始まった

<a id="anchor4"></a>

学校では、本当に基礎から教わった。

包丁の握り方。

立ち方。

手の置き方。

切り方。

自分が包丁をどう動かしているのかなんて、それまで考えたこともなかった。

ある時、胡瓜の小口切りをしている自分を動画で撮った。

あとから見返してみる。

「なるほど。私はこうやって切っているのか」

自分の動きを客観的に見るというのは、妙に面白かった。

製菓では絞りやナッペも練習した。

当然、最初からできるはずもない。

動画を見て、やってみる。

うまくいかない。

また見る。

またやる。

その繰り返しだった。

でも、この

集中して、自分で考えて、少しずつコツを掴む時間

が私は結構好きだった。


実技より怖かったもの

<a id="anchor5"></a>

筆記試験である。

これがなかなか大変だった。

もちろん、基本的には学生を落とすための試験ではない。

それでも衛生、栄養、食品、調理理論……範囲は広い。

先生によって難易度も違う。

テスト前になると、学校帰りにファストフード店やカフェへ寄って勉強した。

そして、この時期に私はAIをかなり使うようになった。

テスト範囲を入れて、

「ここから予想問題を作って」

と頼む。

問題を解く。

間違える。

また問題を作る。

ひたすら繰り返す。

その時、本気で思った。

AI、すごいな。未来来てるな。

製菓学校へ行って、思いがけずAIの使い方まで少し上手くなった。

人生というのは、どこで何を覚えるか分からない。


行って良かったか、と聞かれたら

これは迷わない。

行って良かった。

一番大きかったのは、衛生に対する考え方が変わったことだと思う。

自分のお菓子を、自分だけで食べるならまだいい。

でも、誰かに食べてもらうとなった瞬間、責任が生まれる。

知らなかったでは済まないことがある。

それを知れたことだけでも、私には大きかった。

調理、製菓、栄養、衛生。

食の世界を一度、広く俯瞰できた。

現場実習にも行った。

資格も取った。

若い世代とも一年間過ごした。

もちろん、学校へ行ったから突然パティシエになれるわけではない。

卒業証書をもらったところで、経験値がゼロに近いことには変わりない。

でも、

ゼロの中身はずいぶん変わった。

何を知らないのかが、少し分かるようになった。

それは結構大事なことだと思う。


一年間仕事を離れたことを、遠回りだったとは思っていない。

むしろ一度立ち止まったことで、自分が何をやりたいのか、何ならできそうなのかを考えられるようになった。

そして何より、

分からなければ調べる。
やってみる。
うまくいかなければ、もう一度考える。

という癖がついた。

今、小さなお店を持ちたいと思っている。

まだお店はない。

商品も試作の途中。

分からないことも山ほどある。

でも以前ほど、そのことが怖くない。

分からなければ、また調べればいい。

40代で学校へ入った時も、たぶん同じだった。

「今日が人生で一番若い」

私はこの言葉を、どうやら今もかなり都合よく使っている。

でも、それくらいでちょうどいいのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!