他人の成果が眩しくてつらい〜『月収』〜
ネットで色んなニュースや呟きを眺めていると、自分だけが取り残されているような不安を感じてしまいます。
たとえば、自分と同年代ぐらいの有名人やインフルエンサーが賞賛を浴びたり、大金を稼いだり、盤石な地位を手に入れたり・・・。別に自分も不幸ではないはずなんですが、そういう他者の成功体験を見ると、なぜか自分の暮らしがひどく貧弱で負けているように思えてくるのです。
また、ネットだけでなく、現実の世界でも同じような感覚になることがあります。たとえば、給料日に振り込まれた金額を見て、ほっとするどころかため息が出ることがあります。同期のあの人はもっと活躍しているし、さぞ高給なんだろうなと勝手に想像して、勝手に落ち込んでしまうのです。
しかもこの焦りの厄介なところは、いくらお金を稼いでも消えてくれないのです。もう少し増えれば落ち着くはずと思って頑張っても、増えたら増えたで、もっと上にもっと稼いでいる人がたくさんいますし、気づけば終わりのない追いかけっこをしているような気持ちになります。
もし皆さんも、人と自分を比べて焦ることに少し疲れているなら、今回の記事を最後まで読んでみてください。その焦りは、あなたが欲張りだからでも、心が弱いからでもないということが、きっと腑に落ちるはずです。
と、前置きが長くなりましたが、今回悩みの手がかりにしたのは、原田ひ香さんの『月収』という小説です。
他人の数字で自分を評価してしまう
この本は、章のタイトルがそのまま金額になっています。月収四万円、月収百万円、月収三百万円、などなど。
まず、この金額を見て思ったのですが、私たちは他人の収入に対して、少し過剰に反応しませんかね。普段たとえば会社の同僚がいくらもらってるとかって、正確に把握することがあまりないと思いますが、それでも他の人の稼ぎはすごく気になりますし、SNSとかで月収自慢をしている人を見ると心がざわつきますよね。
厄介なのは、そのように他人の成果を知れば知るほど、自己評価がどんどん下がってしまうのです。あの人より上か下か、同年代の平均より多いか少ないか、みたいな感じで、気づけば他人の数字をもとに、自分の価値まで採点してしまうのです。
さて、では仮に月収四万円の人と三百万円の人がいるとして、金額だけ並べたら片方が圧倒的に上に見えますけど、本当にそうなのでしょうか。
多い人も、少ない人も、みんな焦っている
物語の最初に出てくるのは、月収四万円の響子さん(66歳)です。夫から突然離婚を切り出され、年金は月に四万円ほど。
彼女は育児中の娘にお茶をおごる場面で、SサイズにするかMサイズにするか一瞬で計算してしまうのです。収入的にそういう数十円の差ですら大きく感じるのだと思うのですが、お金が足りないと、こういう小さな我慢が何度も積み重なって次第に自尊心が削られていくものです。
では、その心の負担はお金がたっぷりあれば消えるのでしょうか?ここがこの本のおもしろいところです。
月収三百万円の菊子さん(52歳)の場合は、遺産と投資で働かなくても一生困らない状況です。先ほどの響子さんと比べると、雲泥の差の資産になります。
自分も最初はうらやましいと思いましたが、彼女の毎日には不自由はないのに、どこか満たされない虚しさがあります。彼女はお金はあるのに、何のために誰のために使えばいいのかわからないと悩むのです。酷なことですが、働かなくていいということは、自分を必要としてくれる場所がない、ということでもあるのです。
足りない人も焦っている。あり余る人も焦っている。だとしたら、「もっとお金があればこの焦りは消える」という私たちの前提は、そもそも間違っているのではないでしょうか。
金額をいくら上げても、不安は別の顔をしてまた現れるのですから、月収という数字はその人の安心をまったく保証してくれないのです。
自分基準の尺度で考える
月十万円を投資にまわす明美さん(29歳)は、将来が不安で安心したくてコツコツ資産を増やします。そして計画はうまくいくのですが、お金が実際に増え始めると、目的が入れ替わっていきます。最初は「安心」がほしかったはずなのに、いつのまにか「増やすこと」そのものが目的になるのです。
もっと貯めたい、目標額をもう少し上げたい。安心のために決めた「ここまであればいい」のラインを、自分でどんどん引き上げてしまいます。安心するために走り出したのに、まるでゴールのほうが先へ逃げていくような感じです。
この追いかけっこから降りるには、比べる物差しを、自分の外から自分の中へ取り戻すしかないのだと思います。「他人より多いか」ではなく、「自分は何のために、いくら必要なのか」、という独自の尺度で測るべきなのです。
さいごに
私がこの本から受け取った一番大事なことは、自分にとっての適量を知っている人が一番幸せだということです。
人と比べて焦るのは、自分の適量をまだ自分で決められていないからです。基準の軸が他人になっているので、相手が動くたびに自分の心まで揺さぶられるということです。
もちろん、すぐに比べるのをやめられるわけではないと思います。ただ、次に他人の華やかな成果を見て落ち込みそうになったら、それは自分の暮らしの安心も、自分の価値も、本当は何も測れていない、ということを思い出すといいと思います。
確かめるべきなのは、隣の人との差ではなく、「今の自分は、自分にとってちょうどいい暮らしに近づけているか」と、ただそれだけだと思います。
都度立ち止まってそういう安全確認をするだけで、心の負担はずいぶん軽くなるはずです。
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