25年前と同じホテルで、日本語が消えていた——タイで見た「失われた25年」
ホアヒンは、バンコクから車で約3時間。タイ王室の保養地としても知られる、静かなビーチリゾートの街だ。
実はここに、25年前にも泊まったことがある。同じホテルだ。
当時の記憶は、鮮明に残っている。
朝食会場では、必ず日本語が聞こえてきた。
日本人のグループやカップルが何組もいて、旅行会社の人たちが「どうやって日本人向けにホアヒンを売るか」を、朝食を食べながら議論していた。
ホテルには日本人スタッフもいた。
それが、25年前の光景だ。
そして今回、同じホテルに戻ってきた。
◆ リノベーションされたホテル、消えた日本語
ホテルは10年前にリノベーションされ、モダンで高級感のあるリゾートに生まれ変わっていた。

驚いたのは、日本語がまったく聞こえないことだった。
朝食会場を見渡しても、プールサイドを歩いても、ロビーにいても——日本人らしき姿が見えない。

街のタイマッサージ屋の前を通ると、店員が嬉しそうに日本語で声をかけてきた。久しぶりに日本人を見たのだろう。昔よく使った日本語を、記憶の奥から引っ張り出すように話していた。
ホアヒンの街を歩いていても、日本人には遭遇しなかった。
25年前、この場所は、日本人観光客の定番リゾートの一つだった。
今、その姿は、完全に消えている。
◆ 代わりにいたのは、欧米のシニアカップル
では、誰がこのホテルに泊まっているのか。

目立つのは、欧米のシニアカップルだ。年金受給者と思われる60代、70代の夫婦が、何組も滞在している。
彼らは、数週間から数ヶ月の長期滞在をしているようだった。
朝食レストランでは、ホテルの欧米人マネージャーが、常連客である長期滞在のシニアカップルに親しげに挨拶をしている。まるで「第二の家」のように、ここで暮らしているようだ。
日本の感覚で言えば、サービス付き高齢者住宅に入る代わりに、タイのリゾートホテルで暮らしている——そんな印象だった。
物価が安く、気候は温暖で、サービスは手厚い。年金だけで、十分に豊かな暮らしができる。
彼らにとって、ホアヒンは「旅行先」ではない。「暮らす場所」なのだ。
◆ 週末には、タイ人の姿が増える

さらに驚いたのは、週末になると、タイ人のグループが一気に増えることだった。
裕福になったタイ人が、バンコクから週末にホアヒンへ遊びに来ているのだ。
確かに、バンコクの空はPM2.5で灰色にくすんでいることが多い。一方、ここホアヒンの空は、抜けるように青い。この環境を求めて、3時間かけてやってくるのだろう。
彼らは、朝からスパークリングワインを飲みながら、ホテルの朝食をグループで楽しんでいた。
25年前、この光景は想像できなかった。
当時、タイの人々がいつか豊かになるだろうとは思っていた。しかし、同じホテルの朝食会場で、スパークリングワインを片手に優雅に過ごしている姿を見るとは、想像もしていなかった。
◆ 25年間で、何が変わったのか
同じホテル、同じビーチ、同じ街。
しかし、そこにいる人々は、完全に入れ替わっていた。
25年前:日本人旅行者が主役、旅行会社が日本市場を開拓中
現在:欧米シニアの長期滞在者、裕福なタイ人の週末リゾート客
日本人は、いなくなった。
これは、ホアヒンだけの話ではない。
2024年、ついに「日本へ行くタイ人の数」が「タイへ行く日本人の数」を初めて上回った。これは、両国の旅行者のバランスが、戦後初めて逆転したとも言える。
世界中の観光地で、かつて「日本人だらけだった」場所から、静かに日本人が消えている。
その代わりに、中華系、韓国系、そして現地の富裕層が、主要な顧客になっている。
25年という時間は、客層を完全に入れ替えるのに十分な長さだった。
◆ 「答え合わせ」という旅の楽しみ方
同じ場所を、時間をあけて訪れると、世界の変化がよく見える。
数字やニュースでは実感できない変化が、同じホテルの朝食会場という、きわめて具体的な場所で、鮮やかに可視化される。
「25年前と何が変わったか」を、自分の目で確認する。
これは、旅の中でも最も贅沢な体験の一つかもしれない。
10年後、20年後の姿を想像しながら、また答え合わせをしに来たい。
そのとき、このホテルの朝食会場には、誰がいるのだろうか。
◆ 結び

ホアヒンの朝日を眺めながら、考えていた。
海は、25年前と変わらない。
朝日も、椰子の木も、波の音も、変わらない。
変わったのは、この場所に来る人々と、その人々の豊かさのバランスだ。
日本がかつて持っていた「海外リゾートに気軽に行ける豊かさ」は、いつの間にか、他の国の人々に移っていた。
それを嘆くこともできる。しかし、嘆いても何も変わらない。
大切なのは、「変化を見る目」を持ち続けることだ。
同じ場所を、時間をあけて訪れる。自分の目で、変化を確認する。そして、次の10年を、どう設計するかを考える。
ホアヒンの朝日は、25年前も、今日も、同じように美しかった。
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