「日本人がやって来た!」清時代が終わり日本統治時代が始まった時の話
noteで一番最初に書いた林玉鳳さんのお話、続きを少しずつ書いていきます。
以下は私が林おばさんから聞いたお話。
聞いたことをノートに残していたので、林さんが話してくれた内容をそのまま書いていきます。
「私の祖母は、1882年ー明治15年、台湾の新店で生まれました。日本統治時代が始まった1895年の時、祖母は13歳。清、日本統治時代を経験し、昭和18年に61歳で亡くなりました。
祖母は13歳の時に初めて日本人を見たそうです。台湾平定のため、北白川宮能久親王が基隆の澳底に上陸した後で、さんちょうれい(漢字不明)という山を越えるのに難儀をした、と祖母は話していました。上陸した場所には、今でも記念碑があります。当時、基隆から台北に来る中山道の古い道があり、そこから北白川宮能久親王ら一行はお茶の産地の坪林を抜けて、新店に入ってきました。
当時新店にはまだ平地に平埔族という原住民が住んでいました。町に住み、漢民族と交わっていました。清は女性の渡台を禁じており、台湾には、「漢人のおじいさんはいても、漢人のおばあさんはいない」と言う言葉があります。
日本人が来た時、大人の一部が銅鑼を叩いて、「日本人が来たぞー」と皆に知らせました。それを聞いて皆で米蔵に隠れたそうです。この話は、子守歌代わりに、夜になると私が祖母から聞かされた話です。今のようにメディアはありませんが、上の役人は事態を把握していたのです。
一般の人民は、日本兵が過ぎていくのをじっと待っていたそうです。異国の人なので、見つかったら怖いという思いで。赤ちゃんが泣くので、口に布を入れたこともあったそうです。
一つの村には長(おさ)がいて、村長さんが皆に、「大丈夫だから」と言って、皆は出てきました。日が経つにつれて落ち着いてきたといいます。
その後に見たのは、原住民が殺された姿でした。原住民の抵抗は激しく獰猛だったそうです。日本側も、治める以上はそのように鎮圧する以外、仕方がなかったのでしょう。日本の側にも多くの犠牲者が出ました。体制が変わると、一番庶民が影響を受けるのです。
そうしているうちに、人々は日本側になじんできました。
祖母からは、日本統治時代の最初の頃の話を色々と聞かせてもらいました。
一番心に残っていることは、祖母の最初の夫は台北の萬華で椅子を作っている人でしたが、南部へ籐の材料を仕入れに行ったときにペストにかかって亡くなってしまいました。1906年生まれの私の母が9歳の時です。
ペストというものがどういうものか、当時の私はわかりませんでした。
私が生まれた1928年には、日本が悪疫を払いのけてくれていましたし、祖母も私にうまくは説明できなかったのです。ただ、ペストのことを「ネズミ疫」と呼んでいました。
「日本が来てくれたおかげで、今はネズミ疫にかかることもない。天然痘にかかることもない。天然痘にかかったら、治ってもあばたになる」ー祖母は子供の私によくそう話してくれました。私はおばあさん子だったのです。
その後祖母は、福建から来た男性と再婚しました。その人は、16歳で台湾に来て、内地人(日本人)が営む魚屋さんで働いていました。
後に私は、その祖父のお陰で日本語、台湾語、両方の言葉でお魚の事を習い、名前を覚えました」
続く・・・
次は纏足(てんそく)のお話。纏足をほどくのが、孫の林おばさんの役目でした。
