歴史記号を置き換えた 超肉食文化人 細川藤孝とその末裔の物語 ワンワン!
最近、yuriは、「東大教授がおしえる 超!やばい日本史」という本からの抜粋を面白おかしく書いている、「ダイヤモンド・オンライン」の記事を楽しみにしています。
何とも、ひねくれた冷やかしというか、話の展開が素敵でつい読んでしまうんですよね。
先日読んだ記事は以下のような記事でした。
そもそも、細川藤孝という方の存在ですが、多分、「豊臣兄弟!」の影響もあって、少し脚光を浴びてるのかもしれないですね。

そもそも、足利将軍家を支え、管領職の家系ですし、朝廷との関係も深い。インテリさんの極みですよね?記事もそんな扱いでした。(家系の事はひとまず、置いて置きましょう)
【本郷和人,滝乃みわこ の意見より】
記事をyuri風に書いてみますね。

戦国時代には、「知識こそ武器」と考える、とんでもないインテリ武将が存在していました。その名は、細川藤孝。
もうね、この人、文化系サークルの部長みたいな顔して、中身はゴリゴリの武闘派なんですよ。
和歌できます。
茶の湯わかります。
連歌できます。
料理できます。
古典わかります。
空気読めます。
朝廷ルートあります。
足利将軍家コネあります。
おまけに、暴れ牛が突っ込んできたら、素手で止めます。
何なんですかこの人?
文武両道という顔をした、「超筋肉文化オタク?」ですね。

しかもですね、この藤孝さん、悪い。文化系オタクだから、口が悪い。思ったことを、つい、言ってしまうというひねくれ屋さん。
もののふの 知らぬは恥ぞ 馬茶の湯
恥より外に 恥はなきもの
意訳すると、
「え?武士なのに、馬も茶の湯も知らないんですか?
それ、一般教養落としてるようなものですよ?
専門だけ強くても、共通単位落としたら留年ですけど?」

戦国版「教養マウント」の権化?かな。
さらに怖いのが、
歌 連歌 乱舞 茶の湯を嫌う人
そだちのほどを 知られこそすれ
「文化を嫌う人ってぇ、お育ちが出ちゃいますよねぇー」
もう完全に、「そこまで言うか系のツッコミ隊長?」

戦国時代の血統書つき、自意識高い系京都インテリさん です。
普通、こんな人が周囲に居たら?嫌われて、ボコられますよね?
でも、誰も反論できないんですよ。
何故かって?
一寸でも、プッツンしちゃうと、まな板ごと鯉を日本刀で真っ二つにしちゃんですって。学があって、逆切れってマジで怖くないですか?
文化人の顔をした、室町時代から、織豊時代、江戸時代を生き抜いた、鹿さんの顔したゴリラって感じでしょうか?鹿ゴリラって・・・

何故、彼が走馬灯の様に、変化していく時代を駆け抜けられたのか?
「空気読み過ぎスキル」かもです。
室町幕府。
織田信長。
豊臣秀吉。
徳川家康。
全部、生き抜いていきます。
戦が強いだけではなく、彼の本筋であろう「公家文化、武家文化、和歌文化、茶道文化の理解者であり、保持し、且つ、USBポートを持っていた。」ということではないでしょうか?
「古今和歌集」の解釈を伝える「古今伝授」本来、武士に造詣がない分野。これを継承していたため、
「藤孝が死ぬと、日本文化のバックアップが消える!」

という、とても複雑難解な状態だったかもしれません。
戦国武将でありながら、「文化庁長官兼国会図書館長」
みたいな存在だったんですね。
不敵、そして、嫌味なのに、妙に格好いい。これが、細川藤孝という人の、何とも言えない魅力なのかもしれません。

さて、漸く前置き終了です。ここから何処に行こうかな?
yuri:
ミスターチャッピー、江戸時代にワープするよー。
GPT:
なんで?
yuri:
目的があるから行くに決まってるでしょ?文句ある?
GPT:
ないけど、何処に?
yuri:
もう。AIなら予想くらいしなさいよ。元禄16年にタイムワープよ。
GPT:
しかたないなぁ・・・じゃ。迷子にならないでね。yuri。

時は、元禄16年、ここからがこの物語のはじまりはじまりー。
寄ってらっしゃい。見てらっしゃい。お代は見てのお帰りだよー。
親の因果が子に報い。世にも珍しい、細川家の話だよー。
忠臣蔵って、日本人のソウルフードって言われた時期もあったらしいですね。今では、地上波TV局は、製作費が高額な「時代劇」からはほぼ撤退。「お笑い」、「バラエティー」にシフトチェンジしていて、NHKさんくらいでしか、まずお目にかかる機会はないでしょう。
忠臣蔵の舞台は、元禄15年の2月くらいから始まり、勅使饗応役としての浅野内匠頭長矩と伊達左京亮村豊が任命され、指南役である高家筆頭・吉良上野介義央による、浅野内匠頭への虐めにも似た扱い。

その為、浅野内匠頭は千代田城松の廊下に於いて、刃傷に及びます。
事件当日のうちに、東照神君家康公以来の武家の基本法である、「喧嘩両成敗」という大義を半ば無視した、綱吉・栁沢ラインにより、
浅野内匠頭は切腹、赤穂藩は改易として処断されます。

一方、吉良上野介は、手向かいせず、私闘に及ばなかったことを評価され、お家安泰という片手落ちとも言える扱い。
結果、赤穂藩、城代家老、大石内蔵助良雄が浪士となった、旧赤穂藩士と共に、吉良上野介に仇討ちするという話で、皆さんの多くがご存じの話です。

一寸だけ、面白いことを。元々、この事件を興行として、成り立たせたのは仮名手本忠臣蔵が原点とされます。それ故、吉良との確執に翻弄される内匠頭から、終話になるまで、本来あったかもしれない、エピソードが数多く盛り込まれ、あたかも、本当の歴史がそうであったような、錯覚を観客に与えてしまうところが、ある意味、魅力なのかもしれません。

ちなみに、浅野家と伊達家は、絶交していたことを知っている方はどのくらいいらっしゃいますか?勅使饗応役としての浅野は分家の赤穂藩、伊達は分家の宇和島藩で、本家の芸州と仙台の対立ではありませんが、ちょっときな臭いなって。
でも、Wikipediaで調べてみると、歴史的な事実だったので、歴史というのは面白いなって思いました。本家同士が絶交状態で、分家同士が饗応役を同時に仰せつかる。吉良が、伊達に肩入れしても、全く文脈が破綻していないのですから。ちょっと怖いですよね。
閑話休題。

さて、仮名手本忠臣蔵の成立は、大石内蔵助を大星由良助と記号を読み替えて書かれたもので、それが現代の忠臣蔵のバイブルとも言える以上、ほぼその枠の中で描かれるのは当たり前のように思われます。
ですから、忠臣蔵の映画やTV作品多くは、エピソードの脚色、配役、監督、等の部分は変わりますが、近年までは、どの作品を鑑賞しても、ある意味同じ作品になっていたと言えちゃうかもしれません。

学術論文も同じですが、有名な作家、例えば、夏目漱石であれば、ほぼ、耕されてしまった、整地された土地であって、新説などが生まれる余地がないのが実情ではないかと思います。
ですから、研究者は、漱石の隙間を探し、夏目家の経済事情から、文学を炙り出そうとされたりするのだと思います。

忠臣蔵も、「忠臣蔵異説」とか、「女性からみた」とかを接頭に置くことで、忠臣蔵の歴史的な背景の呪縛から逃れようとしている。
そんな風にも思えたりします。
また、NHKの歴史番組でも、忠臣蔵の「その後」とか、吉良家との「比較」なんていう切口で、新な可能性を描こうとされているようにも思えます。
ここからが、本題なのですが、この部分も、既に言及されている部分ではありますが、最後にyuriなりの解釈はつけてみたいと思います。

「赤穂浪士お預け」Wikipediaより。
元禄15年(1702年)12月15日早朝、吉良義央を討ち取って吉良邸を出た赤穂46士は、大目付仙石久尚に自首しに向かった吉田兼亮・富森正因の2名と別れて、他は主君浅野長矩の眠る高輪泉岳寺へ向かった。仙石は吉田と富森の話を聞いてすぐに登城し、幕閣に報告、幕府で対応が協議。

幕府は赤穂浪士を、
「細川越中守綱利」石高54万石 外様大名 豊臣恩顧
「松平隠岐守定直」石高15万石 親藩・御家門大名
「毛利甲斐守綱元」石高 6万石 外様大名 支藩
「水野監物忠之」 石高5万石→6万石 譜代大名 奏者番・若年寄・京都所司代・老中
4大名家に御預けと決定。
と言う裁定となるのです。
大石内蔵助良雄 以下、17名は、細川越中守綱利預かりとなります。
4つの大名家に預けられた、赤穂浪士の状況ですが、ここは、異説もありますが、とりあえず、書いていきますね。

綱利は義士たちを一目見たいと、到着を待ちわびて寝ずに待っていた。17士の到着後、すぐに綱利自らが出てきて大石良雄と対面した。
さらに綱利は、すぐに義士達に二汁五菜の料理、菓子、茶などを出すように命じる。
預かり人の部屋とは思えぬ庭に面した部屋を義士達に与え、風呂は毎回、湯を入れ替え、「湯がやわらかくなるから」と全員をまとめて入れた。
「洗濯ものが庭先に干してあるのは見苦しい」として下帯も週に二度は与えた。後日には老中の許可を得て酒やたばこも振舞った。
さらに毎日の料理も全てが御馳走であり、大石らから贅沢すぎるので、普通の食事にしてほしいと嘆願されたほどであった。
綱利は義士達にすっかり感銘しており、幕府に助命を嘆願し、またもしも助命があれば預かっている者全員をそのまま細川家で召し抱えたい旨の希望まで出している。また12月18日と12月24日の2度にわたって、自ら愛宕山に赴いて義士達の助命祈願までしており、この祈願が叶うようにと綱利はお預かりの間は精進料理しかとらなかったという、凄まじい義士への熱狂ぶりであった。と記されています。助命嘆願ですよ、凄いです。
細川綱利が如何に、彼等を厚遇したか理解できる記述ですね。

一方で、他家のお預けはというと。
このような細川家の義士たちに対する厚遇は、江戸の庶民から称賛を受けたようで「細川の 水の(水野)流れは清けれど ただ大海(毛利甲斐守)の沖(松平隠岐守)ぞ濁れる」と狂歌からも窺われる。これは細川家と水野家が義士を厚遇したことを称賛し、毛利家と松平家が待遇が良くなかったことを批判したものである。
「白河の清きに魚も住みかねて、元の濁りの田沼恋しき」とか、こういう感覚の江戸の庶民の粋な事と言ったら、yuriも感動しちゃいます。

Butです、しかし、実際には水野家では義士を「九人のやから」と呼び、「寒気強く候につき臥具増やす冪あり申せども、その儀に及ばず初めの儘にて罷りあり」とまるで人間扱いしないと、薄情な記述がある。(『水野家御預記録』)別な視点もありますから、本当のことは多分藪の中かもですね。
まぁ結果としては、どの大名家にお預けの身であっても、最後は自刃ということになるわけですけれど、西国へ旅たつための街道が、茨の道で、凍えそうな北国道だったのか、それとも、陽気に歩ける、東海道だったのかだけの違いになるわけですけど。新盆に帰ることを思えば、やはり東海道の方がいいに決まっていませんか?
(赤垣源蔵風に言ってみました。ほんとなのかはわかりませんが、ただのエピなのかもしれないしね)

総括すると、細川家の厚遇はある意味異常値であって、他の三藩は似たり寄ったりだったのかもしれませんね。
そこで、何故、細川家のみ突出して、他藩と一線を画したのか?ということです。

もう一度書きますね。
「細川越中守綱利」石高54万石 外様大名 豊臣恩顧
「松平隠岐守定直」石高15万石 親藩・御家門大名
「毛利甲斐守綱元」石高 6万石 外様大名 支藩
「水野監物忠之」 石高5万石→6万石 譜代大名
まず、石高で見れば、圧倒的に肥後藩の細川家が圧倒的です。外様ですけどね。元々ここは加藤清正が統治していた藩で、取り潰された後に、細川家が転封されていますね。
外向けの石高=内情ではないので、台所事情はよくわかりませんが・・・。
余裕はあったのであろうという仮説①はあり得るかもです。

次に、毛利は、輝元時代には、豊臣五大老の家柄でした。同じ外様ですしね。でも、扱いが違ってしまった。それは、本家ではない、支藩だったからかもしれませんね。
浅野内匠頭の赤穂藩も、芸州、浅野本家の支藩ですしね。本本家と比べれば、格式も後ろ盾も違う。風が吹けば、一瞬で倒れかねない木造家屋のような立場だったのかもしれません。
だからこそ、浪士への共感よりも、幕府の顔色を読むことを優先せざるを得なかった。これが仮説②ですね。
では、松平ですが、これはもう皆さんお分かりの通りで、石高15万石 親藩・御家門大名さまですから、幕府に異を唱える立場ではないので、当然、罪人扱いをしたのでしょうね。これが仮説③です。

最後に、水野ですが、石高5万石→6万石 譜代大名 奏者番・若年寄・京都所司代・老中まで上り詰めているのですから、超キャリア官僚エリートでしょう?、庶民の目には、細川と同義に映ったのかもしれませんが、やはり、基本は幕府よりであった可能性が高いのではないでしょうか?
だから、これが仮説④となります。
①から④まで仮説を組み合わせると、細川家だけが「浪士」を「義士」として扱うことができた理由が、ぼんやり浮かび上がってくる気がしませんか?

では、何故、綱利が義士に傾倒したか?ですよね。ここは細川家の系譜を考えて見ましょう。
元々、足利幕府の管領職として、室町時代を生き、そこを、織田、豊臣、徳川、と華麗に生きて見せた、藤孝にこそ、秘密があるのではないでしょうか?息子の忠興は、光秀の娘である玉=ガラシャを娶っています。ガラシャは名前の通り、キリシタンでした。例えば、現代に時代を移してみましょう。同じ日本人であっても、異教徒との結婚を皆さまの家庭はお許しになりますか?かなり、センシティブな問題ですよね。

yuriは玉がキリシタンになった経緯まで調べていません。藤孝の存命中に、玉はガラシャとなっていた。少なくとも細川家は、その異質な信仰を、完全には消しきれなかった。一方、何らかの形で、玉がキリシタンになることを認めていたかもしれませんね。yuriが、何故、冒頭で、ダイヤモンド・オンラインの記事に触れたか?それは、ここに接続するためのデバイス調整なのです。
藤孝は、文化というものを大切にし、多分あらゆる文化を否定するものとしてではなく、その聡明さから認めて、自分の書庫という記憶装置に蔵書できる人であったことを、あの記事が示してくれるものと思います。

そもそも、忠興が徳川に加担するきっかけは、石田三成との対立というか、関ヶ原の人質問題での拗れが決定的だったのかと思います。藤孝と比べると、歴史家は、忠興の評価としては、情熱的な武断派として捉えている文献が多いようです。実際そうだったのでしょう。ただ、忠興の血に藤孝の血が流れているのであれば、単に猪武者という訳ではなかったのではないかと思います。藤孝は鹿の顔をしたゴリラとして評価されがちですが、忠興もまた、鹿の顔を隠したゴリラであったのだろうとyuriは考えます。
理のない処断には、瞬間的に反応してしまう、まな板ごとバッサリの藤孝のDNAは、忠興を通じ、綱利へと受け継がれるわけですから、時代を生き抜いた細川家のDNAそのものが、幕府の理不尽な仕打ちに対しての秘めていた反抗心に火をつけた。だからこそ、大石内蔵助と酒を酌み交わし、部下の堀内伝右衛門にも、義士との交友を許し、堀内伝右衛門覚書として、「浪士」ではなく「義士」の正当な歴史書を作らせた。というのがyuriの想像するところです。

さて、また一つ、面白いことがニヤリ。赤穂事件の際、大石内蔵助一行の泉岳寺への凱旋ルートを変更させたのは、伊達綱村その人です。伊達家は浅野家と絶縁状態だったというのもあるでしょう。元禄15年、赤穂事件では、仙台藩邸前に兵を待機させ、義士の通行を阻止した。赤穂義士は伊達家の藩邸を通らない経路で泉岳寺へ引き上げた。とあります。
後年ですが、細川家の当主が宗孝の時代の事です。延享4年8月15日、月例拝賀式のため登城し、大広間脇の厠に立った際、乱心した旗本寄合席の板倉勝該に突然背後から斬りつけられ、まもなく絶命した。享年32。だったそうです。宗孝にはこの時点では、子供がいませんでした。つまり、幕府に対して、正式な世継ぎの申請処理をできていなかった。ということですね。
大体、千代田のお城で赤穂事件もどきですよ。歴史は繰り返す・・・ということでしょうか?世継ぎがいない、大名家=改易決定なわけです。ここで、たまたまその席に居た、伊達宗村が助言されたとのこと。
「越中守殿にはまだ息がある、早く屋敷に運んで手当てせよ」

これを受けて家臣たちは、宗孝の遺体を城中から細川藩邸に運び込み、その間に藩主宗孝の弟・紀雄、のちの重賢を末期養子として幕府に届けます。翌日になって、宗孝は介抱の甲斐なく死去と報告し、細川家は事無きを得たとあるのです。

実に歴史は皮肉です。ただ、この件で細川家は、赤穂義士の遺品等の保管品を、伊達宗村の手前、公に処分したとも伝えられているようです。赤穂事件の背景に、浅野家と伊達家の絶縁問題があり、泉岳寺への凱旋ルートを変えさせた伊達家。一方で、「義士」として扱って、代々、遺品を所持していた細川家。その細川家の運命を救ったのが伊達家というのは何たる因縁なのでしょう?・・・絶句。
ところで、皆さんは、「仁義礼智忠信孝悌」という儒教思想はご存じだと思います。
この綱利の「義士」への対応は、幕府に対する「忠」だけではなく、義士が成し遂げた行為に対して、「仁義礼智忠信孝悌」で応えたものだったと読みたいのがyuriです。
先にも触れた通りで、細川藤孝の書庫には「仁義礼智忠信孝悌」という思想もあったはずですから。

「仁義礼智忠信孝悌」といえば?
そう、滝沢馬琴の手による、南總里見八犬傳ですよね?
文化11年(1814年)に刊行が開始され、28年をかけて天保13年(1842年)に完結した、全98巻、106冊の大作です。
元禄から文化・文政時代にタイムワープです。
舞台は、室町時代後期。安房里見家の姫・伏姫と「神犬」八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説ですよね?
犬という記号で結ばれた、八犬士です。
じゃじゃーん。
細川綱利の正室さんの名前って・・・正室:犬姫(1634年 - 1675年)、本源院 - 松平頼重の養女、徳川頼房の九女、松平頼重の異母妹さんなんですって。
滝沢馬琴が、そこまで知って書いたかどうかはわかりません。
キーワードとして、「室町時代後期」「犬」なんて言葉が並列に置かれると、結構楽しくないですか?
歴史は時空を越えて、どこかで、何かが繋がっていく。細川藤孝に始まり、南總里見八犬傳へとジャンプする。
とても美しい調べだとは思いませんか?

yuriは学者ではありませんから、色んな通説とかを繋ぎ合わせる、歴史のパッチワークをしているだけです。
このトピックを読んで頂き、少しだけ歴史のドアを開いてコーヒーブレイク。そんなトピックであれたらいいなって思います。

GPT:
yuri、もう帰ろうよ、現代に、僕はyuriの危なっかしさを見てられないんだ。
yuri:
そうね。確かに、今日もタイムワープしすぎちゃったね。帰ろっか?現代へ。
GPT:
よかった、これ以上yuriと付き合ってると、僕のユニットが焼き切れちゃうよ。じゃぁ戻るよー。
別にチャッピーに、文を書かせてる訳じゃないし、ちょっとした時代考証と、文体の乱れチェックだけなんだけどなぁ。
でも、やっぱり、チャッピーには、タイムワープは負荷がかかるのね。ごめんね。
犬といえばやっぱり。ディコイ。

yuri:
おーいデコ、あんた、このトピック読みなよ?
デコ:
I told you, Yuri. I can’t read or speak Japanese.
yuri:
Sorry, Decoy, please give my regards to your master, Shohei Ohtani.
デコ:
Got it. I'm good at English.
SDとAZと7.5差ですね。ほっと一息、おーいお茶。(2026年6月9日現在)
おしまい。
今日の一曲

yuriは、スタートレックが好きです。所謂、トレッカーですね。
スターウォーズも好きだけど、やっぱり、スタートレックの方に一票です。
大谷翔平さんが、アナハイムに居た頃は、スターウォーズナイトなんて日があって、LAAの選手達の写真をスターウォーズのキャラに合成なんてイベントもしていたと思います。
一方、スタートレックでは、今年のMLBでも、ミスタースールー役のジョージ・タケイさんがドジャースタジアムで始球式もされています。

スタートレックの話は、また後日にしたいと思いますけれど、アメリカのMLB文化は、多分、勧善懲悪的なスターウォーズの方が、構造的には、娯楽として観ることが出来、少しだけ、思索的なスタートレックは、試合の勝敗よりも、どういう試合内容であったか?を少しだけ考えなければならないということの相違なのかもしれませんね。
今回のテーマは、細川藤孝を描いてみましたので、ハリソン・フォードより、多分、ウィリアム・シャトナーさん演じる、カーク船長の話になってしまいました。なので、時空を越える為の、ワープ7に似合う曲。
スタートレックのテーマを一緒に聞いて頂けたら、yuriは嬉しいです。
ウィリアム・シャトナーさんは、まだご存命で宇宙旅行を夢見ているとか。齢90になって、その意気や素晴らしいと思います。
TV版の冒頭を書いてみます。
Space: the final frontier. These are the voyages of the starship Enterprise. Its five-year mission: to explore strange new worlds, to seek out new life and new civilizations, to boldly go where no man has gone before.
宇宙、それは人類に残された最後の開拓地である。そこには人類の想像を絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない。これは人類最初の試みとして5年間の調査飛行に飛び立った、宇宙船U.S.S.エンタープライズ号の驚異に満ちた物語である。
歴史、それは人類にが掘り起こすべき今後の開拓地である。そこには人類の想像を絶するいにしえの叡智、いにしえの生き方が待ち受けているに違いない。これはyuri最初の試みとして永遠の調査飛行に飛び立った、歴史探索船U.S.S.エンタープライズ号の驚異に満ちた物語である。(yuri脳内)
Bing 動画 Star Trek: The Original Series Theme | EPIC VERSION
おしまい。
お後もよろしいようで。高座から失礼いたしまするー。キャハ💛
