AIが量産する動画、収益停止は当然だ――Googleのボットは“人間味”を見抜いている
AIが量産する動画の収益が停止される。
最近、そんなニュースをよく目にする。
だが、正直に言えば、
**「当然だ」**としか思わなかった。
AIが悪いわけではない。
YouTubeが冷たいわけでもない。
評価しているのは、人ではない。
世界最強のGoogleのボットだ。
そして、そのボットは、
人間が思っている以上に**“人間味”を見抜いている。**
副業を狙うビジネスの裏
不景気。
物価高騰。
所得の低迷。
これが続けば、人は副業を考える。
それは自然な流れだと思う。
SNSや動画を開けば、
副業のCMが永遠に流れてくる。
「誰でも簡単」
「スマホ一つ」
「スキマ時間で月◯十万」
この記事を読んで、
少しだけ、私なりの意見を書いてみたいと思った。
詐欺的な副業は、特別な場所にあるわけじゃない。
むしろ、こうした環境の中では自然発生的に生まれる。
はっきり言う。
全部とは言わないが、ほとんどは儲からない。
私はこの手の副業に、
合計で180万円を投資した。
すべてが詐欺だったとは思っていない。
ただ、私には向かなかった。
それだけの話だ。
今、私は
自分でデータベースの動画を作り、
その知識を使って競馬のデータベースを作成し、販売している。
正直に言うと、
その方が断然マネタイズできた。
理由は単純だ。
好きだったからだ。
だから続けられた。
YouTubeでは、ありがたいことに
登録者が1万人いる。
「どうやったら登録者が増えるの?」
と聞かれることがある。
答えはカンタンだ。
好きなことを、1000時間勉強して、
その成果を、3000時間発信する。
それだけだ。
実にシンプルだが、
誰一人として、やらない。
私も特別なことは何もしていない。
それしか、やっていないだけだ。
世界最強のGoogleのボットを相手にするには?
私が思うに、
SNSやYouTubeにCMが出た時点で、
その情報は、もう古い。
なぜなら、その瞬間に
「誰でも知っている情報」になるからだ。
世界最強の相手は、人間ではない。
Googleのボットだ。
感情もない。
忖度もしない。
努力や物語にも、興味がない。
あるのは、
「これは他と違うか?」
「見る価値があるか?」
ただそれだけだ。
手前味噌になるが、
YouTubeで
ACCESS、Excel、Python、PostgreSQLを連携させて発信している人は、
日本では、ほとんど見かけない。
それは私が特別だからではない。
そこまでやる人が、いないだけだ。
私は、データ分析が好きだ。
だから続いた。
そして、データ分析から派生して、
学校では教えてくれなかったことを、
AIから山ほど学んだ。
しかもその多くは、
義務教育の延長線上にある。
だから、正直、悔しくなる。
「なぜ、あのとき教えてくれなかったのか」と。
結局、答えはここにある。
自分のオリジナリティを育てなければ、
世界最強のGoogleのボットとは戦えない。
ボットに媚びを売るか。
それとも、
ボットに「これは他と違う」と認めさせるか。
分かれ目は、そこだ。
AIに丸投げするということは、
オリジナリティを放棄するということでもある。
5分で動画を作り、
アップする。
結果、
同じような動画が流れてくる。
「またこれか?」
人は、2回タップして続きを見るほど、
甘くない。
それが完全にAIで作られたものなら、
なおさらだ。
最近の将棋タイトル戦のつまらなさ
私は、将棋が好きだ。
だから、将棋のタイトル戦を観戦する。
それでも、最近思う。
――こんなにも、つまらなくなるものか。
腰掛銀。
相掛かり。
どれも悪くない。
だが今のタイトル戦は、
AIの研究手順を公開する場になっているように見える。
プロ棋士への敬意は、もちろんある。
そこに異論はない。
それでも観戦していて、
「AI越えの手順」
「AIが示した最善」
そんな言葉が飛び交うたび、疑問が湧く。
AIって、そんなに偉いのか?
そんなに、すごいのか?
羽生善治世代の一手には、
もっと別のものがあった。
それはAIの研究ではない。
自分の読みを信じて、踏み込む姿勢だ。
2008年の竜王戦。
渡辺明が5連覇を達成し、
当時最強と呼ばれていた羽生善治が敗れた。
感想戦で、羽生はこう言った。

「こっちでしたか」
この一言に、すべてが詰まっている。
羽生善治が言う「指運」。
それは運任せではない。
自分の読みを信じた末の、結果を受け入れる覚悟だ。
この指運こそが、
いわゆる「羽生マジック」であり、
将棋ファンを魅了してきた理由だと思う。
最強だけを目的にするなら、
山にこもって、AIと将棋を指せばいい。
人間は、
おそらく一生、AIには勝てない。
それでも、人は将棋を観る。
なぜか。
そこに
人間の迷いと、決断と、後悔があるからだ。
人間は、AIでニュータイプになりたいのか?
AIを使い始めたとき、正直、感動した。
自分にはできないことを、
AIは、いとも簡単にやってくれる。
イラストも、
文章の整形も、
タグ付けも、
SEO対策も。
人に依頼しなくても、
AIが一瞬で仕上げてくれる。
完璧じゃないか、と思った。
まるで、
機動戦士ガンダムで言うところの
ニュータイプになったような感覚だった。
しかし、あとから気づく。
これは、
覚醒してニュータイプになったのか。
それとも、
ニュータイプになった気になっていただけなのか。
私は、
ニュータイプになった「気がしていただけ」だった。
綺麗な段落。
整ったタグ。
それらしいイラスト。
一見、完璧な構成。
だが、
Googleのボットは、そこを見ていない。
見ているのは、
「それは、あなたでなければならないのか?」
という一点だ。
覚醒したニュータイプなのか。
それとも、
AIという外骨格を着ただけの、
ハリボテのニュータイプなのか。
違いは、すぐに見抜かれる。
だから、
すべてが同じに見えてしまう。
だから、評価されない。
だから、収益が停止される。
この構造を、
教材を売る人間は、誰一人として説明しない。
なぜなら、
それを説明した瞬間に、
「楽にニュータイプになれる」という幻想が、
壊れてしまうからだ。
それでも人は、シャア・アズナブルにあこがれる理由

悪が正義を倒す物語は、昔からあった。
だが、
悪が評価される時代を最初に作ったのは、
シャア・アズナブルだったと思う。
正直、
機動戦士ガンダムを
初めて観たときは、チンプンカンプンだった。
勧善懲悪でもない。
誰が正しくて、誰が間違っているのかも、よく分からない。
もしシャアが、
AIに復讐の方法を質問したらどうなるだろう。
最適な復讐手順を提示するのか。
それとも、「復讐はやめろ」と諭すのか。
どんな答えであっても、
シャアは、ザビ家に復讐する。
それは、
彼が「悪」だからではない。
自分の正義を選ぶ人間だからだ。
シャアは、最適解では動かない。
効率でも、成功率でもない。
自分が信じた理由で、
危険な選択をする。
正義の反対は、悪ではない。
別の正義だ。
この理屈は、AIでも説明できる。
だが、選ぶことはできない。
だから私は思う。
オリジナリティを持たなければ、
人間ではない。
AIの存在意義は、
正解を与えることではない。
人間が、自分の正義を選ぶための補助線。
それを引くことだ。
ショート動画なら、
このパートに自分の意見を入れたい。
たとえば、
棋士なら、
「振り飛車で藤井聡太を倒す方法はないか?」
とAIに聞く。
最善手をなぞるためではない。
別の正義を探すためだ。
最後に、こう考えてみる。
シャアがAIに、
「キシリアの戦艦を爆破するにはどうしたらいい?」
と質問したとする。
AIは、
「命の危険があります」
「成功率が低いです」
と止めるだろう。
その瞬間、
あの最後のシーンは、生まれない。


だが、
だからこそ、シャアは選ぶ。
人間は、
安全な正解よりも、
危うい選択に心を奪われる。
それが、
AI時代になっても、
シャア・アズナブルが色褪せない理由だ。
あとがき
ここまで読んでくれた方がいたら、
それだけで、少し嬉しい。
この文章は、
AIを否定するために書いたものではない。
YouTubeやGoogleを批判するためのものでもない。
むしろ、その逆だ。
AIは便利だし、
正直、私はAIにかなり助けられている。
ただ一つだけ、
どうしても違和感があった。
それは、
**AIを使った瞬間に「考えなくなってしまう自分」**だった。
便利さの中に、
自分の判断を預けてしまう感覚。
ニュータイプになったような錯覚。
それが、
いつの間にか
「自分で選ばないこと」に変わっていた。
この記事で書いたことは、
正解ではないかもしれない。
だが、
私が実際に迷い、失敗し、
それでも続けてきた中で、
たどり着いた一つの考えだ。
AIは、
人間を置き換えるためにあるのではなく、
人間が選ぶための余白を広げるためにある。
そう信じて、
私はこれからもAIを使う。
考えることをやめるためではなく、
考え続けるために。
もし、
この文章のどこか一行でも、
「少し引っかかった」と感じてもらえたなら、
それで十分だ。
それはもう、
量産された答えではない。
あなた自身の思考が、
動き始めた証拠だから。
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