鋼の夜 2
詳細については割愛したい。簡潔に言うと、未成年者五人を血祭りにした。うめき声が重なり、路面に倒れたままの光景を今更話す気はない。
すべてカメラが捉えていた。入口前であれだけ派手にやれば、どんな古カメラでも法の裁きくらい呼ぶ。
土井はシラフだった。見た目とは裏腹に一口も受け付けない男で、オレンジジュースを好む。一方、俺の手には缶ビールがぺしゃんこに潰れていた。三十歳を超えても、アルコールの接種量は変わらない。俺たちが静かに部屋飲みしているのに邪魔をした。法より先に動いたのは数発の拳だった。
土井は言った。
「夜中に騒いでた野郎を口頭で注意しに行ったんだよな」
「顎、砕いたの間違いだろ」
「舌を挟まなかっただけラッキーだと思わないと。騒ぐ口を塞いだだけなのに」
正論ではある。マンション前、真夜中に大騒ぎしてたバカ五人に近づいたのが要因だ。もちろんカメラは回っていた。
肉を砕く音だけが暗闇に聞こえた。
部屋を出た瞬間、土井の腕が太くなった気がした。
「110番したのは俺。塀の向こうに送り込んでやったんだよ。そうしないと死人が出るところだった」
苦笑いが漏れている。こいつは俺に借りばかりしている。
「ここにも飽きた。うるさいだけ。職ある人が住めばいいさ」
「公園で寝泊まりでもすんのかよ。狸に食われちまうぞ」
「その前にお前がぶん殴ったクソガキを食わせる。二度と騒がないようになるかもな」
「そりゃ狸もいい迷惑だ。獣も味にはうるさいだろうから」
パンをかじりつきながら土井は言った。
「ぼーと電車に揺られたと思うなよ」
一体、塀の中で何を仕入れて来たのか。ついさっきここを出る前、ある程度は予想出来たことだ。
悪い予感ってのは、なぜか当たる。女が持つ破れたコンドームを引き当てるようなものだ。俗にいう男の勘だろう。俺たちは部屋でしばらく話すことになった。ガーリックパンの効果か、やけに饒舌だった。
野郎二人分には、もちろん充分な広さはない。キッチンと玄関までの間は数歩程度。水道工事のシールは前の住人が貼ったものだ。
冷蔵庫から牛乳を取り出し、パックごと口を付けた。図々しいクソ野郎だ。せっかく新鮮な牛乳を買って来たのに、飲みやがった。昨日まで塀の中にいた人間だと誰が知るだろう。蚊に監視させない限り、駅前で他人の過去を知る手段などない。
シャバに出る今日まで何通もの手紙を書いた。
切手代を数えたことがある。封書を送るために84円を十回以上使っている。丁寧に返事は来た。
意外なことに傷害事件は初犯だった。現場での働きぶりから、釈放させない理由はないだろう。手紙の文面を読む限り、五人全員ぶん殴って気絶させた男とはとても思えなかった。
だが改心はシャバでしか判断できない。拳を繰り出す光景は消えない。俺が止めに入ったところで、すぐにやめるとは思えなかった。傍観者になる他なかった。
カレンダーに帰省の文字を書き込み、その日を待つ。窓外で坂道を行き来する者、同じマンションの下の階で騒ぐ者、みんな何も知らないまま、かつての暴行野郎を迎えることになる。
「二人、話しを聞いていた。俺と同じ班で、俺と同じように真面目に仕事してた若者だ」
一人は二十六歳。もう一人は二十二歳。どう見ても悪さをする顔ではなく、明日にでも出所して起業しそうなチャラさだったらしい。
「手紙の中のことなんだけど、あんたどこから仕入れてくるんだ? よく当たる占い師と寝たとかじゃねえよな? 普通に考えて火山の麓行くなんて馬鹿だろ」
「何怖がってんだよ。誰もお前のことは知らないから安心しろ。アイスランドで日本人が目立つと思ってんのか」
「入国できるのかって聞いてんだよ」
「そいつは俺の筋じゃないな。嫌ならそいつら若者二人、すぐに紹介してくれ。社会活動になる」
「火山に何があるんだ。今日はそれを聞きに来た」
「詳しいこと知りたきゃ、この俺の言うこと聞け」
「犬じゃねえんだぞ。ムショ帰りに掛ける言葉じゃねえな。今のは」
「シャバ在住三十六年の俺に見せる態度でもないと思うぜ。各停から一山当てるってのも夢なんだよ」
土井は牛乳パックを潰し、ゴミ箱に投げた。
ガーリックパンを口にしたのは数年ぶり。刑期を終えて真っ先に食べたいリストには、入っていなかった。
「前にも言ったけど、いきなりカツサンドじゃパンクしちまう。ここのはボリュームがあったよな」
「他に食べたいものあるか。とりあえずパンを奢る約束だったからさ」
「白人のびしょ濡れ子宮。とびきりのやつ」
「ねえよ、自分で買いに行け」
住宅街が多いこの街には、そんな店はない。さっき話した大倉山公園の奥、一目に付かないどこかで狸がいるのは事実だ。俺が夜に歩いていると、マンションの駐車場に消えていった。きっと何人か同じ狸を見ている。少なくとも毎日のように見ている。なぜか、目撃例を口にすることはない。これも狸の戒厳令のせいだ。
「話を戻す。手紙に書いたアイスランドに興味持ってたのか。二人加わるなら歓迎してやる。まじめな仕事ぶりから聞いて、面談してやってもいい。どうだ?」
「ケンタッキー・フライド・チキンにいる。俺が出所する日を知らせておいた。あんたに先に会うから、そこで待ってろと書いておいたんだ」
土井は微笑んだ。駅前にスタンバイ。たった十数分前に通り過ぎた店にいるようだ。
「最初に言っておくが、またムショ戻りになる可能性だってある。捕まった時の言い訳くらい考えておけよ。家具だって壊れたものじゃ売れねえんだよ。俺は壊れにくいものしか求めてない」
俺たちは部屋を出た。薄暗い廊下を歩いてマンションを後にした。
