鋼の夜 4
ここでシナリオ雑誌に掲載した作品を載せたい。編集の仕事を始める前、思わず目に留めたラブストーリーだ。
作者と連絡が付かないため、編集部が呼び掛けていた。コンクールの佳作入選作で、思わず最後まで読み切ったことを記憶している。
物語の主人公はテレビ司会者。この日のゲストは、付き合っている恋人の父親。黒いマントを羽織っての登場だった。
〇テレビ局・番組スタジオ(夜)
トークライブ『グッド・イヴニング』収録中。やや薄暗い照明。
司会者の真一、左のゲスト席にマントを羽織った拓馬。
真一「ドラキュラ役のご苦労などございますか? 例えば、焼肉や餃子が食
べられなくなるとか」
拓馬「それはあるね。ニンニクは千秋楽まで食べないようにしている。ミン
トのガムで我慢だよ」
真一「やはり役に入り込んでいる」
拓馬「実際は台本通りやっているだけだよ。普段からこのマントを着ている
わけじゃない。俳優とは誰かを演じる人なんだ。ドラキュラは何度演じて
もいいね。慣れたことはないけど」
真一「ルーマニアも暑いと聞いていますが」
拓馬「ここも昼間みたいだよね。まるで太陽がもう一つある」
真一「申し訳ないです。これでも随分落としているんですけど。やはり目覚
めたばかりでそう感じていらっしゃる」
拓馬、沈黙。
真一「(カメラに)いつもより雰囲気が違うと思われた方、大丈夫です。今
夜は少しばかり照明を落としています。(拓馬に)私も夜中、トイレに起
きた時は眩しくて」
拓馬、席を立つ。
拓馬「少しばかり時間を」
真一「……どうぞ」
拓馬、観客席近くまで歩く。
拓馬「今宵は、私のために足を運んで頂きありがとう。伯爵から礼を言いま
す。先程彼が言ったように、目覚めたばかりでせっかくの笑顔も霞んで見
える。だが美しい」
拓馬、真一に寄る。
拓馬「君にあげよう」
拓馬、マントを脱ぎ、真一の肩に掛ける。
席を立つ真一、くるっと体を一周捻る。
黒々と舞う、大きなマント。
真一「誰の生き血を吸いに行けばいいのでしょう?」
拓馬「素晴らしい。ぜひ舞台で」
真一「何を仰るんですか。大根を晒すことになるだけです。(観客に)皆さ
ん、お分かり頂けました? 私、明日にも伯爵デビューです。冗談」
拓馬「一つ、いいかな」
真一、額の汗を拭く。
拓馬「本気でドラキュラを演じる気はあるかい?」
真一「……相手が美女なら」
拓馬、苦笑い。
真一、右手を差し出し、
真一「長岡拓馬さんでした!」
拓馬、深く一礼。
拍手する観客席。
真一「今晩は玄関に十字架のご用意を! また来週。(長岡に)ありがとう
ございました」
拓馬、親指を立てる。グッド。
ぞろぞろと席を立つ観客。
拓馬、ADの案内で退場。慌ただしい技術スタッフたち。
拓馬、足を止めて正面(視聴者)に話す。
拓馬「こんばんは、皆さん。ご覧の通り、たった今、私は収録を終えたばか
りだ。司会者の彼になぜ自慢のマントをあげたのか、どうぞ見届けてくれ
たまえ。また会おう」
作者は今もどこにいるかわからないままだ。このシナリオに惹かれたわけは明確だった。二人の間に、ヒロインがいる。それを下手に意識せず、司会者は普段通りの進行を心掛けている。
マントは、きっと花嫁の父からのギフトだろう。二人の男、一人の女。そこに強く惹かれた。
眩い日差しだった。不思議にも長い夜が明けていない気がした。外が明るくても、真夜中がすぐそばにある。錯覚に過ぎないだろうが、俺の足は緊張していた。土井と尾高は俺の後ろで雑談していた。呑気な野郎だ、と思った。森が近づいてくると、セミの大合唱が迎えてくれた。
大倉山記念館の入口に、一人の男が立っていた。
太い柱の影から男はこっちを見て微笑み、手を挙げた。
想像した通り、クソ暑いくせに黒服を着込んでいた。背が高く、丘の上の洋館から降りて来たようだった。俺たちより遙かに年を取っていた。往年のホラー映画から出た俳優と似ている。冗談で口にしたドラキュラ伯爵と重なった。ルーマニアから横浜まで出張に訪れたらしい。
本当に俳優なのか、職業はわからなかった。映像を受け取ったことを伝えると、記念館前で会おうと話した。
土井のシャバ復帰に、何らかの繋がりを持つ男だと思った。
ここに指定したのは、きっと長い話があるからだろう。駅前では漏らせない何かを持っている。
俺を含めて四人。森の男子校には不十分の人数だった。
「土井」
男は言った。森から一斉に人が消えるような気がした。
横を盗み見る。顔色一つ変えないまま、棒立ち状態だ。とても冗談を飛ばした男には見えなかった。
「お前、坂道で何を考えてた? シャバに出てまさかお腹いっぱいになれると思ってんのか」
「……俺の方から行くべきでした。申し訳ありません」
「この人と会う約束だったんだよ。お前さんが帰る前に」
後ろで話しを聞いている若者に気配はなかった。こいつは俺たちの会話を探りながら、突っ立っているだけだった。土井の変化に戸惑いを隠せないでいる。
「これを」
俺は紙きれを男に見せた。
「後ろにいる若者がCDRと一緒に届けてくれました。見覚えありませんか。わざわざここまで足を運んでくださって、この程度の話かと思うかもしれませんが。映像の中はアイスランドらしいです。森まで来られて恐縮ですが、後ろにいる彼は何も知らないんですよ。土井と同じ班にいて、先に帰って来たと言っています。俺があなたと待ち合わせしていることも把握していません」
世話の焼ける話だった。
「この紙きれと、写真が一枚付いていました」
一人の外国人女性が写っていた。写真の裏に電話番号が書いてあった。差出人不明、知らない女の写真と、その裏に記載した番号。俺の稼業は私立探偵に変わっていた。
男は口を開いた。
「知らない番号に掛ける趣味でもあるのか?」
「迷うのが嫌だったからですよ」
「お前さんが律儀なのはわかった。レイキャビクには一人だけだ。まずはデンマークで乗り継ぐことになる。土井、お前はここにいろ。坊主の日本人が火山に吞まれたところで誰も関心はないぞ」
「俺」
背中から小声が聞こえた。
男は微笑み、
「尾高。君も日本に残るか、一緒に火山に飛び込むかだ」
「待ってください。俺的にはもっとお話し聞きたいっていうか。第一、最初に届けたのって俺ですよ。俺が部屋で小包作って、教えてもらった住所に送ったんですよ。編集マンに見てもらうって話で。一応、映像の中の人、彼女ってことにしたんですよ。そっちの方が話しやすいっていうか。効率よく事が進むっていうか。さっきケンタッキーで、あれ彼女なんですって言ったんです。偉いと思いません?」
「おい、お前」
俺は言った。こいつに誰か警告しない限り、延々と話す。
「てめえの話なんか最初から信じてねえよ。写真の女がブスだったら、そんな冗談言わねえだろが。ついでにアイスランドまで旅行したなんて証拠、どこにあるんだよ。くだらない見栄こそ無駄な物はないぜ」
俺も何かを省くくらい脳はある。映像編集の基礎はいらない部分をカットすることだ。
「お前の嘘に付き合っただけありがたいと思え。旅行の映像、全部見てる。お前は現地に行ってない。この男性から渡航費を受け取る流れになったわけを考えろ。俺とは条件付きで会う約束だったんだよ」
尾高は泣きそうな顔でさらに小声を漏らした。まるで圧迫面接だ。
「……俺」
「ここに連れていく約束だった。まずは俺と土井の関係を知るんだよ。お前さんは駒でしかないし、もう少し冷静になるんだな。さっきから余計なことしゃべり過ぎなんだよ。黙ってこの男性の言う通りにしろよ。火山で死にたくないなら」
男は苦笑いしていた。
「若いのは私たちのやり取りを把握する必要がある」
さらに視線が険しくなった。
「お前の指導だぞ、土井」
「……すみません。俺、久しぶりの外の空気で調子に乗っていました」
別人に見えた。背の高い男に怯え切っていた。
作品を見て気付いたことがある。噴き上がる煙の濃さと、真っ赤な炎の中を背に、なぜか椅子がぽつんと置いてあった。明らかに人が撮影に用意した物だった。
嫌な予感は当たる。その的中率は毎回驚く。
椅子には顔を覆った人が着いた。両手は後ろで拘束している。音はない。
映像の中の彼女と、同封した写真を比べた。
「同一人物かわかりませんでした。顔、布で覆われていたので。映像を見る限り、アイスランドで間違いないと思います。噴火が合成なんかじゃないのは確かです」
男は言った。
「すばらしい仕事ぶりだ。恩に着るよ」
渡航費は工面すると言っていた。コペンハーゲン着の片道分は確保出来た。これでもっと小さな島国へ旅に出る。
雲をつかむような、旅だ。
土井、尾高の二人は男の支配下にあった。知らない間、何らかのやり取りが生じていた。いつ出会ったのか、俺だけが知らないまま何かが過ぎた。長い夏の始まり。ぽっかりと抜けた暗い穴の、大きな入口。そこに立っている気がした。
底は遙か遠く、たどり着きそうにない。世界中からクマゼミを搔き集めても、鳴き声が届く気配はしなかった。
男は公園から去った。
謎の小包と、灼熱の森の間に俺は一人佇んでいた。
