鋼の夜 9

「クソ野郎め」
 部屋の扉を開けた瞬間、死体が飛び込んで来た。
ユーリは何も言わず尾高の手から血まみれのナイフを奪った。
 自ら手首と首を切ったらしかった。フローリングの床は赤く浸食していた。俺の部屋には果物ナイフしかないが、相当に深く切り刻んだようだった。
 出かける前、忠告したことが無駄だった。ここでくたばると、原状回復する業者の手が忙しい。たかが自傷だと思ったのか、まさかこんなに血が飛び出すと思ったのか、慌てふためく顔が想像出来た。
「なぜ」
 俺はユーリの背に向けて言った。
「アイスランドに飛ばしたかった理由を知りたい。別にこいつの死に報いるとかじゃないよ」
 ユーリは振り向き、
「あなたに渡したエイガ、あれがほしい」
「なぜ飛ばすのか聞いてる」
「話す、話すよ」
「俺は尾高みたいに理屈で生きてない。それくらい理解できるはず。派手に血を吹かすほど派手な人生じゃないからね」
 尾高が突然目を開ける心配はなかった。これだけ深く傷が入れば、死ぬまでわずかだ。
 死体との関係を聞いた。。
「尾高とはいつ会った? 下手な芝居してることは薄々気付いてたが」
「佐崎に言われただけ。彼のことは知らないし、初めて見たの」
「嘘つけよ」
「本当。なぜそんなこと言える?」
「尾高がなぜくたばったか、それがわかったんだよ。あいつは佐崎ってじいさんがすでにいないことを知っていたんだ。それなのに芝居しなきゃいけなかった。もしバラせば消される。昨日の野郎が黙っちゃいねえだろうな。尾高はあんたたちに監視されてたんだよ」
 ユーリは佐崎慈朗について話し始めた。
 俺が話を遮ると、不躾な目を送った。
「便座、上がってる。どういう意味かわかるか? この部屋には野郎しか入ってない。まさかブロンドの白人が入るなんて夢にも思ってなかったよ」
 俺とユーリはパソコン画面を見た。
 CDRを再生した。 
 映像の中で助けを求めているのは自分であること、確かにアイスランドで撮影したことを認めた。
「面会で土井に知らせた住所。ここに間違いない。俺が最初に会った時点で佐崎とかいうじいさん、もういなかったはず。なぜ気付いたかわかるかい? 言っておくけど、模範囚リストを手に入れたわけじゃないよ」
「……依頼」
「そう。刑務所から編集の仕事を頼むまではいい。問題は素材の届け方にあったんだよ。差出人の名がなかった。誰かが佐崎慈朗を名乗ったところで消されるくらいなら、何も書かない方が無難だろう」
 土井に差出人は誰か聞かなかった。たとえ聞いても、佐崎の代理が送るとは言えなかったはずだ。隣に刑務官がいた。易々と口にできない。何とか口裏を合わせようとする土井の顔を見ている。
「土井はお役御免で消された。この国じゃ見かけないNATO弾の空が橋で見つかったらしい。ラジオはかなり詳しく伝えていた。大体、平和な街で薬莢をそのままにする理由なんかどこにあるんだ。専門家によるコメントもあったぞ。昨日の男だってもう消えてるかもな。すべては計画通りに進んでいる。パツキンのあんたの手に」
 ユーリは言った。
「佐崎はしくじった。あっちで。日本から、遠くの国で」
「……海の向こうで何があったんだ?」
「レイキャビクで……彼は旅行してた。普通の日本人。悪い人じゃない」
「土井は元ヤクザだと言っていたぞ」
「嘘。サザキ、とてもいい人」
「なるほど。じいさんが火山を見に行った」
 治安のいい国で事件に巻き込まれたとは考えにくかった。ユーリは、いい人だと言っている。 
 土井も尾高も、〈塀の中の佐崎慈朗〉を作っていた。最初からいない。 
「佐崎慈朗がどんな人間か、どんな職業か、そこに関心はないんだ。現地で何を見たかを知りたいだけなんだよ」
「彼はディレクターだった。私はアクトレス。火山を撮りたいと言ってた」
 ユーリは両手で顔を覆った。
 その後、昨日森にいた男を殺したと告げた。 

 ユーリと俺は佐崎の足跡を覗くことになった。聞き役の俺は質問を挟まないようにした。いつ話題が逸れるか、わからないからだ。
 映画学校に通っていた頃、度々耳にした監督がいる。講師も名前は知らない。一度も映画祭の入賞経験がなく、四十歳を過ぎても業界内で名が上がったことはない。就職経験もなく、アルバイトを掛け持ちしながら個人撮影を続けていたという。
 男性は数年前、組織犯罪のドキュメンタリーを作るために単身欧州に飛んでいた。
 周囲の心配を他所に、ある人物との単独取材を試みる。場所はスウェーデンの地方都市マルメの駐車場。コペンハーゲンに近く、多くの日本人にとって聞き慣れない街だろう。
 十代半ばのギャングが暗躍していると聞いても、冗談に聞こえるくらいだ。異国の人間が街を歩いて気付くのは、移民がとてつもなく多いという現実だった。
 ギャンググループの根は深い。義務教育を放棄し、路頭に迷うことになる若者の受け皿となっていた。およそ洋楽好きの耳から、信じられないほどの血と銃弾の数がある。平和な国の温和な学校で気付くわけもない。イエーテボリでのパブ襲撃事件に加え、各地で暴力の件数が増える一方だった。
 男性はギャングの肉声を撮り終えた直後、思わぬ依頼を受けた。
 組織のために五分のショートフィルムを製作、日本で配給してほしいという。俺が講師から聞いたのは、今も欧州から帰国していないことだった。広い北欧の大地で、キャメラを持った日本人男性が消えた。映画関係者の間では、いつかの風船おじさんのように映ったらしい。
 危険を顧みず、異国へと旅する姿をロマンと同時に冷笑している。要は自分が危険になる心配がないためだ。銃を額に突きつける若者もいないからだ。ここ大倉山でスウェーデンに消えた男の噂をする者は一人もいない。誰もが空腹を満たすために忙しい。ラジオからのアバ、エイス・オブ・ベイスやカーディガンズに懐かしさを覚える人もたくさんいる。遠くて近い、北欧の国。その裏を知ろうとした時点で異端者なのだ。
 ユーリによると、民主党の議席が拡大しない限り、移民たちは増える一方らしい。対策がないわけではなかった。例えば市民の手によるプログラム〈ストップシューティング〉の導入は驚くほど成果を上げている。警察に訴えると、ギャングへの監視が複数の機関により強化。文字通り銃声を停止することが狙いだ。これにより、犯罪が三分の一に減少したことがデータとして残っている。
 ギャングを歓迎しない。市民が声を上げること、声を止めないことが実行できていた。
 俺が知った重要なことが一つ。
 監督の名前を何度か耳にしたかもしれない。土井も、尾高も口にした名前。  
 気付くのが遅すぎた。 
「消えた日本人って佐崎慈朗じゃないか。塀の中で会ったなんて嘘だったんだよ。さっきは俺も素性に興味ないとか言ったけどさ」
 佐崎はキャメラを持参してアイスランドへ向かった。
 撮影に同行したのは、目の前にいるユーリだ。依頼した男がいる。
「日本のゲームが好きで、佐崎の取材をOKしたわけ。本当。私、隣で見てた」
 撮影場所はレイキャビク近郊の火山地帯だった。ギャングとの移動は別で、佐崎は地元民に映画監督であると伝えていたようだ。 
「私が人質役。あなたも見たでしょ? あれ、芝居。私の」
「下手だった。キャメラに目が向いてたんだよ。OK? 的な確認。素人だとすぐわかる」
 ユーリの顔色が変わった。何か言いたげでこっちを見ている。
「編集技師がそこを見逃すわけない。嘘が嘘を呼び始めた気がしたっけ。佐崎がカットしなかったのは北欧ギャングの条件を呑んだのさ。これが映画だと言えないし、何一つ自分の思うように撮れないことがわかった。火山噴火の動画を撮るだけなら、こんな悪条件にはなっていないのに」
「狙い。言っていい? 佐崎に、トレードを提案したの」
「俺の出番か」
「ええ。でもあなたは現地で消される」
「とんだ北欧旅行だ。一端のエディターを雇って何になるんだ? 映像部門でも立ち上げるのか」
「違う、たぶん証拠消すため。あなたも佐崎にする。消えた日本人になってもらうの」
「つまり、横浜市から旅立った男がいなくなった。佐崎行方不明に信憑性を持たせようってか。昔やったアドベンチャーゲームを思い出すぜ」
「急に態度が変わったの。彼、そういう男。やっぱりギャングのやり方」
「きっとショートフィルムを作って遊んでたのさ。気のいい中年男性を脅して。刀も、手裏剣も、ヌンチャクもない温和な佐崎氏を使ってな」
 佐崎慈朗は塀の中に最初からいない。大物ヤクザならこんなまわりくどい手は使わず、土井や尾高にシャブを運ばせるだろう。
 現地で日本人が行方不明。背後にはユーロギャングがいる。ゲームのシナリオそっくりだ。それを実行しようとしていた。
 金髪の美人がわざわざ日本に来た理由がわかった。ファッション雑誌の撮影じゃないはずだ。
「ユーリ。お前がシナリオ作って土井も尾高も、あの不気味で背の高い野郎も動かしたんだろ。か弱い女を演じて同情させようって考えは古いんだよ。俺には通用しない。仮に渡航費を受け取ったらどうなる? 俺が現地に飛ばない限り、監視するつもりだったんだろ。俺たちをチェスの駒みたいにしたかっただろうけど、残念だったな。そんな金なんかいらねえんだよ。ケツに隠しとけ。円に変わるまで突っ込んでおけよ」
 さっきまで森で泣いていた白人の顔は消えていた。
 この女は、ここ極東地域にいる。担当は殺人だ。
「何人殺した? 言ってみろ。下手な日本語で構わない」
「二人だけ」
「……土井と、もう一人は昨日の野郎だな。さっき聞いた通り」
「私が殺した」
「よし。今からその男を殺した場所まで行く。断ったら、尾高の死体処理をしてもらう。いいな?」
 ユーリの目は点になった。
「あいにく酸で溶かす術は知らない。だから、この場で刻んでどうにか袋に詰めるしかない。その間、ずっとキャメラを回して作品にする。ヨーロッパだけで公開してやるよ」
 ユーリは俺を睨みつけた。
 床に横たわったままの死体から臭いがした。まもなく腐り始めるだろう。俺とユーリは尾高を置いて部屋を出た。