鋼の夜 7

 ノートPCの電源を入れた。
「この画面で『天国の門』を見た」
「……死のうとしたんですか」
「映画だよ。世紀の大赤字映画。会社潰したくらい大損してる。だが悪くない映画だった。およそ四時間近く、さっきのお前と同じように水飲みながら見たんだよ」
 水道水ではなかった。横浜市の水は苦い。エビアンを口にしながらの鑑賞だった。
 チミノは次の映画も物議を呼んでいる。それについては、映像を見た後でいいと思った。
「天国から、これが届いた」
 俺は机のCDRを取った。
「差出人不明の素材。わざわざポストに届けたのかもな。誰かさんの謝罪動画かと疑ったが」
「……チミノって、監督っすか」
「ああ。名作と駄作、両方で有名になった人だ。アメリカ映画史に名を残してる。これも縁だ。天国からのメッセージだと思うと、顔を突っ込みたくなった」
 映像にはオープニングがあった。
 椅子がぽつんと一脚、道路に置いてある。金髪の女は手紙を取り出し、椅子に着いて読み始める。音声は聞こえない。
 PC画面を見た尾高は能天気に言った。
「何やってんすか、この人。詩の朗読?」
「ビョークの歌詞かもな。拘束中とは思えないんだよ」
「靴もありますね」
「ああ。きっと噴火前に撮ったんだろう。メイクもしている。つまり、これは作品なんだよ。ショートフィルムだ」
「短編って、定義あります? 俺、何度か向こうで見たことあるんですけど」
「塀の中でもチャップリンはいるわけか」
「はい。他にも、時計台から片手でぶら下がる人……キートンでしたっけ」
「ロイドの方だ。丸い眼鏡掛けてなかったか? あの時代から変わったことと言えば、キャメラだろう。役者はいつの時代も嘘をつく。それは変わっていないな。例えば、ここ」
 映像を止めた。
 女が朗読している目の色は紺碧だった。真っ白な肌と、青い瞳。声は聞こえないが、金に目がない馬鹿な女とは大違いの気品がある。
「一瞬だけ、目が動いているのわかるか。キャメラを持った人間とやり取りしてるんだよ。日本のAVも似たようなアイコンタクトがあるだろ。これだってそうなんだ。つまり、芝居だ。高尚な芝居なんだよ。火山をバックに詩の朗読。その後、両手を縛って泣き叫ぶシーンを加える。五分。構成の面ではなかなかの作りだと思うぜ。どうせカンヌ辺りで拍手喝采だろうよ」
 俺は映像を切った。これでもう一度、さっきの野郎と話す口実が出来た。
 尾高は何か言いたげにPC画面を見ている。
 まためんどくさい説明でも始まるのか。ふざけるな。
「吐くなら吐け。今更抜けるとか言い出すんじゃねえだろうな」
「お兄さん、あなたそんな言い方でやってきたんですか。俺、佐崎さんについてもちゃんと話しましたよ。まるで俺が取調べ受けてるみたいじゃないですか」
「この部屋に入った時点で取調べだと気付け。てめえの足で駆け付けたんだろ」
「違います、違います。順序よく運ぶように」
「黙れ。このPC見ろよ、どんだけ頑張ってると思ってんだ。中古で二万以下なのに相当なスペックなんだ」
「……狙い、わかりました」
「公園には今夜行く。俺から電話する。お前はここにいろ。この映像について問い詰めてやる」
「マジなんですね、すごいっす」
「本気以外、何がいるんだよ。こいつは女弁護士とお見合いより緊張することなんだ」
 また尾高は押し黙ってしまった。俺の言う通りPC画面を見ている。
「土井から聞いてるぞ。特殊詐欺で捕まったんだろ。声の調子でなんとなくわかったけどさ。非合法のコールセンターだっていつかは廃れるんだぜ」
 反応はない。てめえが騙した被害者も、同じように言葉を呑んだはずだ。
「尾高」
 どうしても忠告したいことがあった。
「この部屋、汚すな。世の中、いろんな人が動いてるんだ。整理整頓する身にもなれ」
 尾高は微笑んだ。何についての忠告か理解したように感じた。苦笑いなんかではなく、妙に明るい顔だった。

 
 帰省ラッシュが過ぎた頃、マンションを出た。
 駅前にいると、大体人の流れをつかむことができる。曜日によって、声がでかい日と名付けても間違いはないだろう。
 俺が夜九時を指定した理由は、坂道の人の数を配慮してのことだった。多くの人間が坂の上を目指し、そろそろ落ち着いて来る時間を狙う。
嫌な予感は当たった。ベビーカーを引いて歩く背中が目に入った。この先、公園で待つ男が何をするかわからないし、何もしない保証もない。「下がれ」と叫ぶ義理もなかった。
 電話の声は昨日と変わらず、その世界の住人らしいドスを効かした声だった。
 土井の死について聞く選択は除外していた。俺が聞きたいことは、他にもある。
 階段を上がり、記念館に続く道をまっすぐ歩いた。風が樹々を盛んに揺らしていた。人の声も足音も呑むように。
 ギリシャにある有名な建物と似ている。ここに来ると誰もがそう思うだろう。四本の柱の奥、そこに黒服を着た男の背を見た。帽子を被って立っていた。閉じた扉の前、決まった時間に姿を現す亡霊に等しい。ああ見えて現世で悪さをしているから、一向に治安は良くならない。
 ここまでは、昨夜と同じだった。早足で距離を詰めた。
「おい、ツラくらい見せろ。お前の過ごしやすい時間だろ」
 男の背中に言った。
 その時だった。時間を掛けて振り向き、帽子を取った。  
 目を疑った。
 結んだ髪を解き、帽子を片手にブロンドの女はこっちを見ていた。暮れた森の奥でも、瞳の色はブルーだとわかった。
 女は階段を下りて、俺の目の前まで歩いて来た。間違いなかった。ついさっきパソコンの中にいたパツキンの美女だった。
 俺は口を切った。尾高のように黙る性格ではないからだ。
「日本語、わかるなら話してほしい」
 女は首を横に振った。怯えているようだった。
「尾高はあんたについて何も知らないはず。一応、塀の中での立ち位置についてしゃべってくれたけどな」
「……ごめんなさい。私は」
「下手くそな日本語なら話さなくていい。例の映像をもう一度、見てほしいだけ。部屋には尾高もいる」
 俺は携帯電話で尾高を呼び出した。長い着信音が続く間、女のすすり泣く声が聞こえた。
「あんたも使われたんだな。佐崎のじいさんに」
 女は頷いた。
「今、呼び出している奴も面倒になってる。薄々気付いてはいたんだよ。そんなに発言力あるジジイなら、もう少し上手くやるはずじゃないか。一人死んで、もう一人死体も増えてる。昨日の男も消されたのかな。あんたは代理でここに来た。最初は男だと思ったさ。まさか綺麗なブロンドだと夢にも思わなかった」
 携帯を切った。尾高は死んでいる。その真意を女と確かめる気でいた。
「……私、サザキのこと話す。お願い」
「俺から条件がある。いいか。別にバックにいる野郎どもを呼べとかじゃない。うやむやが嫌いなだけなんだよ。今から俺の部屋に行く。詳しいことは話す。時間がない」
 女は声を振り絞って名前を告げた。
「ユーリ。私は、ユーリと言います」
 頭の中を整理した。
 第一に、CDRを届けたのは誰だ。第二に、アイスランド行きがなくなった。最後に一つ。佐崎慈朗は獄中で何を企んでる?
「俺の話、そんなに長くない。出来れば映像を見てほしいんだ。OK?」
 ユーリは頷いた。
何かが隠れていることは気付いていた。
「私……」
「待った。ここを出てから。蚊に聞かれちゃまずいからさ」
 俺とユーリは公園を去った。坂道を歩く間、胸騒ぎを覚えた。俺たちのすぐそばで、さっきとは別のベビーカーと母親が駅方面へと向かっていた。上空を仰いだが、ふくろうの姿はなかった。誰かが俺たちを覗いている。佐崎という男なのか。
 それとも、土井なのか。
 佐崎はとうの昔に死んでいるかもしれない。土井も、尾高も、この白人の女も、みんな俺を騙して異国に送り込もうとしていたのか。
 火山で編集技師をトレードして何になる? すべてはスクリーンと似た幻だったのか。もうすぐエンドロールだった。照明が下りて、劇場内から人が去る。感涙のフィナーレが待つ。
 尾高に伝えたかったことは、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』の描き方だった。映画の中で中華系マフィアを締め出そうとしている。白人と黄色の肌。俺たち後者に属する者が見ても、チミノが何を描きたいのかわかった。
 映画会社を潰しても、キャメラは回った。ほぼ奇跡に近い。
 せっかくの名作案内もくたばってしまえば意味はないし、チミノ復活について議論したかった。叶わぬ夢だ。あいつは、言いたいだけ言って勝手に死ぬ選択をした。アイスランドに行くってのは生前最後の冗談だろう。
 ランドマークタワーは変わらずそびえていた。いつか遊びに行こうと適当な計画を立てる。青い海は遠かった。港さえも、遙か遠くだった。
「ユーリ」
 背後から猛スピードで一台の車が駆け抜けた。名前を叫んだ時には、ベビーカーが音もなく滑り落ちていくのを見た。慌てて若い母親が手を伸ばす。間に合わない。
 ユーリは駆け足でベビーカーを追った。
 車輪は一気に大通りへと向かっていく。間に合わない。 
「ユーリ」
 もう一度、今度は腹の底から声を出した。道行く誰かの悲鳴が聞こえた。
 車は坂道の途中で一時停止し、窓からドライバーが顔を出していた。知らない男の顔だった。
「おい」
 俺が詰め寄ると、車は一目散に去った。ダイソーの前を通り過ぎ、右方向へ大きな音を立てて消えた。
 ベビーカーの中をそっと覗くと、小さな小さな顔で笑う赤ん坊がいた。母親が申し訳なさそうな顔で駆け付けた。手を放してしまったようだった。ユーリは赤ん坊の額にキスをし、俺が住む隣のマンションへ足を向けた。