超国宝展 古代人と現代を結ぶ「文字」
奈良博『超国宝』展
何度も観に伺って、いいかげんもう色々目に焼き付いた…気もするのですが、やはり自分の好みのフィルターもかかっていて
「すごく好きでよく見つめているもの」
「自分があまり知らないがゆえに、あまり熱心に観ていなかったもの」
のふたつがあるなあと思います。
たとえば、粟原寺というお寺の三重塔伏鉢というのがあります。
伏鉢とは、塔のてっぺんを飾るものの根本にあるものです。
今はその跡しか残らず、消えてしまった古代寺院粟原寺。
この伏鉢に刻まれた銘文によってそんな古代寺院があったことが判明しているのですが、私がそもそも粟原寺に関心がなかったので、あまり注目していませんでした。
でも、ある時この銘文をじっくり見つめた所、けっこう読めることに気づいたのです。
そしてそこに光刺すように「日並皇子」の文字が…
日並皇子(ひなみしのみこ)とは、壬申の乱を勝ち抜いてた天武天皇と持統天皇の息子。
草壁皇子という方がピンとくる方が多いかもしれません。
その子が文武天皇として即位したことから、自身は今で言う皇太子の身分のまま、死去したと考えられる皇子…
万葉集にもこの『日並皇子』の名前で記録されており、柿本人麻呂が歌い上げる挽歌に哀愁をもって登場します。
ある方が書いていらしたのですけど、言語というのもは喋るのは簡単、読み書きは難しいというのです。
2カ国語・3カ国語を喋れる人でも、読み書きとなったらできなかったり。
読み書きは学習しないと身につかないからです。
なので学習の機会が与えられるというのがとても重要で、と続いていくのですが、この古代寺院の息吹を伝えてくれる「伏鉢」が残ってくれて、文字が刻まれてくれたおかげで、我々は古代の人とも意思の疎通ができるわけで、これはすごいことなんじゃないでしょうか。
昔の人は、実際のところ存在したのかどうかというのはなかなかわかりません。
記録に残っていても、その記録が本当にその時代のものか、という疑問は常につきまといます。
資料としての記録と、考古学的な発見がクロスするとき、それはすごい奇跡といってもいいことでしょう。
持統天皇が自分の息子を、後継者としてもり立てようと苦労した話は、創作も含めて沢山ありますが、そういうことがより間近に迫ってくる重要な遺品。それが粟原寺の伏鉢なのです。
もし今後、粟原寺の現場近くに行くことになったら、絶対立ち寄ってその跡を見つめるでしょう。
知ることがさらに奈良に私を近づけてくれます。
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