知ればするほど加速するソーシャルインクルージョン
知らないからわからない、
知っていれば、提案も模索もできる。
日本で生きていると、その文化の特性ゆえなのか、障害というものがなんとなくベールでかくされてしまう。
だから、知る機会が少ない。
例えば、視覚障害のある人に対して、採用面接のときに、
「通勤は一人でできますか?」
と面接官がきくことがある。
これって、きかれた側はなかなか衝撃を受けてしまうことがある。
だって、視覚障害があるというだけで、通勤すらできない可能性があると思われているということだkら。
障害のない人にその質問はしないじゃない?
障害があることで、自分を過小評価されていると感じる瞬間だったりするのよね。
でも、これは知らないから生じる質問でもあり、知っていれば、そんな質問は出てこないのだと思う。
障害を隠したいと思う人がたくさんいるのも、
障害があることを面接のときに知らせておくと、ある意味でのバイアスがかかることを恐れているから。
社会は、障害がある場合は開示してほしいと求めるかもしれない。
事前に開示してくれたほうが配慮を考えられるし、ミスマッチを防げるからと。
それもそうだし、その言い分も理解できる。
でも、社会全体がまだ安心して障害について開示できる土壌ではない。
これらの環境が整っていかないと、隠したいという人の意見はかわらないかもいれない。
ちなみに、私は障害があることをあえて積極的に伝えている。
これにより、障害のある人は雇用対象外と思っているようなところは、最初から不採用になるから、ある意味でこちらがふるいにかけていると思っている。
そういう差別感情のある組織に障害を隠して入ったところで、苦しい思いをするのは自分だから。
むしろ、多様性を求め、障害の有無に関わらず、活躍できる場や機会を提供しようという組織で私は働きたいと思うから、あえて、障害があることを開示している。
障害の伝え方について、特別支援教育の自立活動の中であったり、リハビリのプログラムの中で取り扱うことがあるけれど、
それに加えて、障害に関する情報をいつ、だれにどこまでの情報を開示するのかは、戦略的に、本人の意思に基づいて決めていいことなんだということも伝えてほしいなって思う。
私たちはあまりにもお互いをしらなすぎる、だから、そーしゃるいんくるーじょんが停滞sているのだろうと私は思う。
文化的特性をふまえると、亜梨実での挑戦なのだと思う。
だからこそ、お互いを知るための機会って大事だなぁって思うのでした。
