枝豆を食べに行く。その6
今日は朝からメンタルの調子が悪い。さっそくだが、坂崎さんの縁側で少し他愛のない話でもしたいと思った。ちょうど数日前に作ったパウンドケーキがある。手土産に持って出た。4切れのパウンドケーキと紅茶のティーバッグを2個。誰かの家に他愛もなく訪ねるなんて久しぶりだった。どんな話をしたらいいのか。ちょっと緊張するが嬉しかった。楽しみだった。
郵便局の夏のボーナス預金のポスターははつらつとした笑顔だ。小学校からは元気良いはしゃぐ声が聞こえる。プールの授業だろうか。
坂崎さんは留守だった。いつもは開け放った窓からラジオの声が大きく聞こえているのに、今日はどの窓も閉まっていて静かだった。知人の家を訪ねるはずだったが、結局いつものウォーキングになってしまった。
少し浮き立っていた気分はみるみるしぼんでしまった。まぁ、でも歩こう。残念だ。どんな話をしたらいいかと思っていたのに、今はあれも話したかった、これも話したかったと思う。
いつの間にか、ウォーキングはロングコースで河原の土手に差し掛かっていた。草のしげる土手を歩き、踏みしめた草の匂いに辛かった実家の草むしりがフラッシュバックする。残念だなぁと思う気持ちがネガティブに引っ張られた。急に開けた見晴らしに曇天が大きく広がる。川は西から東へと流れ、北には裾野の長い見慣れた山がある。慣れ親しんで、何という感想もない山だが、なんとなくここ数年は見るのが辛い山だ。
その方向には実家があった。両親が亡くなるとすぐ、近所の人達は「空き家がひとつあると地域の防犯上問題だ。」「庭をきれいに保っていない空き家は強盗の標的だ。」「定住してないヤツがゴミを出すな。」「お宅の家の竹が家に浸食してる。剪定にくるように。」一方的な要望や生前の両親には言いづらいが、私には言えることをたくさん言ってきた。「大変だったね。」はただの枕詞だ。意味なんかない。
近所の人達の要望と、実家と自宅の家事とフルタイム勤務の毎日に音を上げて、実家の売却は自分が思っていた以上に早かった。早々に買い手が付いたのはきっとラッキーだったのだ。全国的に空き家は社会問題になっている。とにかく売れないらしい。壊すのにも莫大なお金がいる。税金の問題も悩ましい。近隣の人に不満をぶつけられもする。全国に900万戸とも言われる空き家。それだけ多くの人達が、心の隅に刺さった棘のようにずっと不安を抱えているのだろう。
両親の結婚44年間の詰まった一軒家を空にした。長い年月をかけて少しづつ集めた家具や調度品。価値あるものと大事にしてきた物達を、買い取り業者が全部合わせても3,000円だと言う。乗って来たトラックに出来るだけ多く乗せる為に廃品回収業者が次々とコーヒーテーブルやテレビラック、鏡台、本棚を目の前で破壊していく。両親の人生や私の思い出はゴミなのだと言われているようで辛かった。こちらが頼んでやってもらっている。向こうも仕事だ。泣くのは絶対に失礼だ。
どうしても捨てたくない、いくつかの物は引き取り先を探して電話をかけた。祖母が私達3姉妹にくれた大きなガラスケースのお雛様は自宅には飾れる場所も仕舞う場所もない。何軒にも電話で事情を説明し、断られて邪険にされてはまた別のところに電話をかける。実家に誰も居なくなった時、あんなにも「あれが欲しい、これも欲しい。」と言っていた人達は、こちらからの「もらって欲しい。」という電話を平気で断った。
細かい物はいくつもの袋に詰めて自分で捨てに行った。私が生まれる前から家にあるこけしやぬいぐるみ。爪切り、櫛、歯ブラシ。食器、マグカップ、湯呑。母が大事にしていた桜の木の茶筒。父の定年祝いに私が贈ったハ蕎麦打ちセット、バーベキューコンロ。いつもおやつが入っていた缶、母が手芸で作ったティッシュの箱。私達姉妹がイベントの度に贈っていた手紙。ひとつに付き、数十の思い出がある品々を袋に詰める。これは引っ越しじゃない。捨てるのだ。ゴミ集積所に持って行っては、数分後に泣きながら取りに戻った。一度捨てたら、二度と戻らない。44年も家族と共にあったものは、もはや物ではなく生命だ。いくつもの生命を私は捨てるのだ。そんな事を何度もやったから片付けは進まない。そんな事を何度もやったから私は病んでいった。
実家の売却について親戚達には「え?!売っちゃったの?!」と、私には非難に聞こえる驚き方をされた。「で、あれはどうしたの?捨てたの?」と、真っ先に自分がかつて贈った物達の心配をしていた。想定通りの反応だった。やはり、あちこちに電話して引き取り先を探してよかった。「捨ててない。」は親戚を守ったのだろうか、私を守ったのだろうか。とはいえ、私は「捨てたの?」自体に傷ついた。「捨ててない」と答えることが出来ても。その上、邪険にされた電話の対応にも、かけた電話の本数にも疲弊し傷ついた。いったい正解は何だったのだろう。
ウォーキング中に辛い事をぐるぐる考えてしまう時は、いつもこの山が見える河原の土手に座ってしばらく泣いた。泣くと少し楽になる。今日はパウンドケーキがある。泣きながらむさぼり喰う。坂崎さんと楽しくおしゃべりしながら食べたかった。帰ったら肩甲骨と肩甲骨の間あたりをカイロを貼ろう。背中を温めると少し楽になる。鬱になってから編み出した創意工夫だ。きっと誰かに背中を撫でられたり、優しくハグされている気分になるからだろう。「大丈夫?」と背中を温めてくれる、そんな事をいつまでもしてくれる人は居ない。”いつまでも”じゃなくてもいなかった。皆、それぞれの生活で精いっぱいなのだ。
大声で泣きわめいていたら、誰か助けてくれただろうか。イヤな事を言われなかっただろうか。カッコつけてたのかな、私は。いや、カッコつけたかったのだ、私は。以前の私は飄々と何でもひとりでこなす人だったし、つけ入る隙のない尖った人だったと思う。早く日常に戻れる人でありたかった。
色んな事を、色んな人に相談するべきだったのかもしれない。弱いところを見せない人は近寄りづらい。親しみを持てない。私がどう思っていたのかも伝わらない。
私は人に頼るのが苦手だ。頼み事をするのが苦手だ。弱っているところを見せるのが苦手だ。でも、弱っているところを見せなかっただけで、弱ってない訳ではなかった。私は普通に弱かったし、弱っていた。
~つづく~
