ウインナーとソーセージ、どちらがスケベか
紳士の諸君、ごきげんよう。
本日はついに、長きにわたって論争を巻き起こしてきたアノ議論に、結論を導こうと思う。
これは社会善といっても過言ではない。そう断言できる。
”アノ議論”などと伏せさせていただいたが、題目で既にお判りであろう。
「ウインナーとソーセージ、どちらがスケベか」である。
結論
ビジネスマンのマナーとして、結論から申し上げよう。
「ソーセージの方がスケベ」である。
論証していこう。
意義
諸兄も多くが頭を悩ませているであろう、大いなる疑問に答えを導き出すことが出来る。
即ち、自身のご子息を暗喩する際に
「私のウインナーが…」と表現すべきか、
「私のソーセージが…」と表現すべきか、である。
当然、意義深い論考であることは自明であろう。
なお、ポークピッツ派はしばし静観いただきたい。
ウインナーとソーセージの違い
私は常々、知識人というものに憧れを抱いていた。
彼らのように、論文や文献を調査し、確固たるエビデンスをもって論考を進めていきたい。
ウインナーとは何か?ソーセージの起源は?両者の違いはいつから生まれた? …調査すべき疑問は尽きない。
面倒だからAIに聞いた。(別に内容は読まなくても構わない)

「ウインナーソーセージ」?
なんて事だ。2者の違いを考察しようと試みた結果、
それらは一つのものだった。
どうやら異なるものではなく、内包関係にあるようだ。
即ち 「ウインナー ⊂ ソーセージ」 という関係が成り立つ。
…(1)
これは後に重要となるので附番しておく。
それは大いなる発見であった。
そもそも、”スケベ”とは何か
”スケベ” 甘美な響きだ。
しかし、これは何を意味するか?
私たちはしばしば、言語について誤った認識をしてしまう。
例えば ”役不足” などがそうだ。
これは本来、「自分には荷が軽すぎる」意味で使われる。
しかしながら、「自分には荷が重すぎる」意味で使われることが多々ある。
真逆である。
”スケベ” も、この落とし穴に嵌っていないだろうか。私も穴に嵌りたい。世間では「肉欲に溺れる人、性欲をよく表する人」などの意味合いで使われることが多い。
しかし、果たしてそうであろうか。
”スケベ” 、漢字で書くと ”助平” である。
肉欲に溺れる人を揶揄する言葉としては、あまりに美しくはないだろうか。
「平」には一般的な意味の他に、「一律に、全面的に」という意がある。
文字通り「平たく すべからく 助ける」意なのではないだろうか。
…(2)
”スケベ" も、文字通り ”役不足” な扱われ方をしていないだろうか。
結論を導き出そう
まずは(2)より、ソーセージがスケベであることを示す。
ソーセージは紀元前5000年前のメソポタミア地方が起源とされる。
即ち、ひたすらに人類を空腹から救い続けてきたのである。スケベだ…
…(2)’
当時のことは正直あまり覚えていないが、確かにソーセージで
ひもじさ を凌いだ記憶がある。
また(1)より、ソーセージの方がウインナーよりスケベであることも明らかだ。
仮にウインナーがスケベであるとしよう。
「ウインナー ⊂ ソーセージ」であることは(1)より示せているので、スケベ度合いは「ウインナー ≦ ソーセージ」である。
仮にウインナーがスケベでないとしよう。
(そんなことはあり得ないが、あくまで仮定の話だ。)
(2)’よりソーセージがスケベであることは示されているので、
「ウインナーでなく、ソーセージな部分」がスケベであることが導ける。
(…ウインナーでなくソーセージな部分???)
上記より、
ソーセージはスケベであり、スケベの度合いというものは常に
「ウインナー ≦ ソーセージ」が成立することが示された。
これにより証明終了とさせていただく。
なお、考えてみれば当たり前である。
そもそもソーセージは、音の響きが双生児と同じなのだ。
スケベでないはずがない。
徹頭徹尾 低俗で、竜頭蛇尾な記事であったこと チン射 陳謝したい。
締めの一文がにょろにょろとしていた事も重ねてお詫び申し上げる。
