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一歩ずつ、ゆっくりと…。


先日、籍を残してくれている職場へ
久しぶりに顔を出した。
顔を出せたのはいつぶりだろう…。

常勤スタッフとして働けていた時から
1年以上休んでしまっている。
昨年の10月〜11月末は、短時間ながら
アルバイトとして少しだけ働くことが
できたが、不調が再発してしまった。

少し体調が落ち着いた際に顔を出せたのが
今年では3度目。

放課後等デイサービスに通っている
子どもたちは僕のことを
まだ覚えてくれているだろうか…。

そもそも、
公共交通機関に乗ること自体が
かなり久しぶりになってしまった。
身体の不調続きで外出したとしても、
近所への散歩と通院くらいだ。

通院は、家族の送迎で病院に行っているので
電車もバスも、しばらく乗れていない。
職場までは電車とバスの乗り継ぎで向かう。

電車の乗り継ぎでも向かえるけれど、
繁華街を通って向かうことは、
今の自分にとって
負荷がかかり過ぎてしまう。

ほんの少しだけ体調が落ち着いたとはいえ、
身体の痛みや重力が重くのしかかるような
倦怠感と頭重感は未だに付きまとう。


久しぶりの電車とバス。
家から職場までの約1時間の道のり、
途中で体調が悪くならなければ良いが…。
まあ、体調が崩れたら少し休憩すれば良い。

職場の人たちも、
気軽に遊びに来る感覚でOKだから
無理せず、ゆっくりで大丈夫。と
言ってくれるのが本当にありがたい。

大丈夫、きっと何とかなる。と思いつつ、
1歩ずつ踏みしめながら向かう。

ほとんど横になって過ごす時間が
長いのもあって、
体力も筋力も著しく低下してる分
最寄り駅まで歩くだけでも疲弊した。

階段の昇降も
少しふらつきが出始めていたから
手すりを使いながらになってしまった。

ノイキャンのイヤホンをしていても、
外からの刺激にかなり食らってしまう…。

ホームのベンチに腰掛け、
電車が来るまで、ひと息つきながら
ゆっくり呼吸を整えた。

電車は、そこまで混んでいなかった。
幸い席も空いていたので、座ることができた。


以前からそうだったが、
視覚や聴覚から情報が流れ込む感覚に
疲弊してしまう。
今は既に疲弊した状態。

なるべく周りを気にしないように
イヤホンから流れる音楽に集中して
車窓の景色を眺めるか、目を瞑って
下車する駅まで過ごす。

身体の痛みや
微かに聞こえる乗車客の会話声が
どうしても気になって苦しい。

ふと目を開けると前方の数人と
目が合って、逸らされた感じがした。


電車に乗っていれば、そんなことは
あるある話だが、始まってしまった。
思考や洞察がぐるぐると巡り始める。

たまたまこちらに
視線が向いていただけのこと。
なのに、いろいろと巡り始める。

僕の顔が強ばっていたのだろうか。
苦痛に歪んだ表情に
なっていたのかもしれない。

しばらく洋服を買いに行けていない分、
服装に違和感を感じたのだろうか。

呼吸を整える息の音が大きかっただろうか。

目線を移した時に
たまたま目が合っちゃっただけ
かもしれない。

他人がどう思っているか、何を考えるかは
その本人にしか知り得ない。
だから、どれが真実かなんて分からない。

ひとまず、今は下車する駅まで
休憩するのを優先しよう。


そう思った矢先、
違う方向へ思考が巡り始める。
あー、ヤバいヤバい。
止まってくれない…。

記憶から想いが巡り始める。
過去に視線で言われたことが
いろいろ巡り始めてしまった。

僕にとっては同じような目なはずなのに、
人によって、感じ方が変わる。

優しい目、穏やかな目
力強い目、落ち着く目
と言ってくれた人もいれば、

睨んだ目つき、怖い目
見透かされる目、生意気な目
冗談混じりに殺し屋みたいな目
と言われたこともあった。

調子が悪い時や機嫌が悪くなれば
そりゃ、顔が強ばり目つきも鋭くなる。

ただ話を聞いてるだけの時でも、
人によって勝手に決めつけ
思い込むこともある。


「目は口ほどに物を言う」
と言うけれど、
人は思っているよりも
眼差しを重視しているのかもしれない。

目は人を現す。
伏し目がちになることもあれば、
目が泳ぐこともある。

血走ることだってあるし、
緊張や動揺で瞬きの数が明らさまに
変わることもある。

目元も柔らかくなるように
意識するのも大切なのかも。

そんなことを感じて、
ようやく巡る思考が治まった。


気付くと呼吸が浅くなっていたので、
長く息を吐いて、深い呼吸へと整える。
そんなこんなしてるうちに
下車する駅へと着いた。

座ってたことで少し体は楽になっていた。
やたらと巡らせてしまった分、
頭は少しふわふわしていた。

バスは既に来ていたので
さっさと乗り込んだ。
空いてる席に座り、
目を瞑って静かに呼吸を整えながら
下車するバス停まで過ごした。

職場の最寄りバス停に着くと、
久しぶりの事業所に少し緊張した。

中に入ると、
子どもたちは
キョトンとした目になっていた。

けれど、
思い出してくれたのか、すぐに
笑みや嬉しそうな表情を浮かべてくれた。

発語が難しい子ども達なので
声や言葉は少ない分、
表情と仕草での認識でしかないが、
何となく、そんな気がした。


代表や児発管に近況の報告と共有。
引き続き通院しているが、
未だに病名や診断はつかないこと。
まだ業務復帰は厳しい状態。
リモートも含めた
今後の仕事にどう関われるかの相談。

職場もどうにかサポートしたいと
思ってくれているが、
はっきりしない状況が続いていて
僕からもどうしてもらうのが良いのか
伝えられないのがもどかしい。

辛さはあると思うけど、
焦らずいきましょう。
子ども達も自分達も待ってますから。
体調が楽な時に
こうして遊びに来てください。
という言葉が温かくて
ただただ、感謝でしかない。

その後、子どもたちとも
動ける範囲で一緒に過ごさせてもらった。


しんどくなったら、少し離れて
痛みや呼吸を落ち着かせつつ、
子どもたちと少し関わることができた。

見ていて、子どもたちの反応や行動から
成長した様子が見られたことに感動を覚えた。

子どもたちの表情やスキンシップで
忘れずにいてくれていたことに
嬉しさと癒しを感じられた。

滞在時間は、3時間弱。
子どもたちを見送って
少しだけ環境整備の手伝いをしたが、

身体の痛みと疲労で帰り際は
か細くなった声とふらふらした足取りで
職場を後にすることになってしまった。


バス停近くの柱に寄りかかりながら
バスが来るのを待っていると、
浴衣姿の子どもを連れた家族が
通り過ぎた。

夏祭りがあるのかなー。
花火大会がどこかでやるのかなー。
こんな光景も夏の風情だなー。
なんて1人でぼんやりと考えていると、
バスが来たので乗り込んだ。

乗ってから座った瞬間に
身体の疲労にドッと襲われて
ぐったりとしているのが分かった。

気づくと寝ていて、
下車するバス停の少し前に目が覚めた。
バスから降りるとヨタヨタして
足取りが覚束無い。

これはヤバい。
ひとまず、座れそうな場所を探して
ほんの少しだけひと息ついた。


ちょっとだけ休んだ後、
駅へと向かうが、
身体に感じる重さによる
倦怠感と頭重感で
すたすた歩けなくなっている。

やっと駅のホームまで辿り着いた。
電車が来て乗り込むが、
見渡しても席が空いてない。
仕方なくドア脇で寄りかかり、
車窓の外を眺めながらやり過ごす。

家の最寄り駅まで何とか着いたが、
もう身体がキツくなっていた。
親に駅まで迎えに来てもらって、
家路に着いた。

家に着くなり、水分補給だけして
自室の布団に倒れ込んだ。

あー…まだ働くのは厳しいか…。
やっぱり身体が苦しいな…。


とはいえ、
電車とバスに何とか乗ることができた。
子どもたちや職場の人たちに
顔を見せることができた。

これだけでも
上出来だと自分を労いたくなった。

お疲れ自分。

頑張ったね自分。

良かったね自分。

おめでとう自分。

反動による疲弊と倦怠感で2日間
ぐったりしながら
ほとんど布団で横になって過ごしていた。

ようやく少し回復して、
こうしてnoteを書いている。

焦ったところで
何かが好転するわけでもないだろうし、
今の自分でもできることを
少しずつゆっくり自分のペースで
進んでいくことにしよう。

飾らず自分らしく、
自分を大切にしながら生きてゆく。

きっと大丈夫。
“ハクナマタタ”精神で過ごしていこう。

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