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当たり前に感謝し、感情を見守る

見つけて下さってありがとうございます。
今回は、構成は考えずに今の気持ちをそのまま文字にしたので、エッセイのような内容になっています。
終盤に書いてある
「エネヴァン」は「エネルギーヴァンパイア」のことを指してます。
聞いた事ある人もいるかもしれません。
「テイカー」や「奪う者」と言う人もいますが、僕は「エネヴァン」と略して呼んでます笑

少しエッジの効いた内容になっているかもしれませんが、大目に見て下さると嬉しいです。

読んでみて、何となく良かった。面白かった。と思っていただけましたら
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いただけるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。
それでは本編へどうぞ!


昨日から入院治療が始まった。
昨年の夏以来の2度目の入院治療。
病気の名は「脳脊髄液漏出症」。
頭痛や頭重感、ふらつき、倦怠感、背部の痛みなどが主な症状だ。

交通事故やスポーツ等での激しい接触による損傷で脳脊髄液が漏れ出し減ってしまう、
というものらしい。
だが、僕の場合は思い当たるものがない。
交通事故も転倒もスポーツ内での激しい接触もしていないからだ。

突発的に症状が現れるケースもあり、はっきりとした原因が分からないこともあるとのこと。
思い返せば、この原因不明の症状によって
病院をたらい回しにされる日々だった。


症状が始まったのは遡ること一昨年の秋。
頭痛や目眩、ふらつきが
時折起きるようになった。
元々、自律神経が弱いので
そこまで気にせず過ごしていた。

だが、症状が強い時や頻度が日に日に増えた。
仕事や日常生活に少しずつ支障が出てきた。
更には、動悸による息苦しさや聴覚過敏のような症状も出るようになっていた。

職場に勤怠相談しつつ、病院を巡り
CTやMRI、無呼吸症候群の検査等もするが、
尽く検査結果に異常なし。原因不明。
年末、年明けも回復することなく、
症状が変わらないため休職することになった。

頭痛外来、耳鼻科、呼吸器科、総合診療内科、心療内科と思い浮かぶ限りの診療科を巡った。
骨盤や身体のバランスの歪みが
原因かもしれないと整体にも行ったが
改善はされなかった。

それでも、この期間で「痛みの言語化」が
出来るようになっていた。
分からず終いにある中で心療内科で脳神経外科への紹介状を書いてもらった。

そして、脳神経外科での検査や問診の結果、
「脳脊髄液漏出症」の可能性が疑われた。
検査入院をした。
漏れを確認するために造影剤を入れた。
漏れに関しては「ボーダーライン」とのことだったが、治療を進めることにした。

「生食パッチ」という治療をすると、
明確に症状が楽になった。
通院をしながら経過観察をしつつ、
より有効な治療とされる「ブラッドパッチ」という治療を実施することにした。

痛みが伴い辛かったが退院後、数週間経つと「生食パッチ」以上に症状が落ち着いた。
ここまでに至ったのが昨年の8月。

9月後半から短時間ながら
少しずつ社会復帰するまで回復できた。
ところが、また12月に入ってから症状が再発。
年を越しても改善されるはずもなく
「ブラッドパッチ」をしている現在となる。


ここまで書いてきたように
昨年ずっと症状に悩まされ、
仕事もほぼ出来ずに過ぎ去った1年
だった。

人によっては
立ち止まった時間。苦しく暗い時期。
と感じる人もいるかもしれない。
確かに僕もそう感じていたこともあった。

だが、この時間があったからこそ、
得られた気付きや発見
もあった。
だから、この時間は無意味ではない。

出来事は確かに不幸な状態に見える。
しかし、
見る角度を変えれば違う意味を持ち始める。
出来事をどう捉えるかは自分次第だ
他人が勝手に決めるものではない


得られた気付きや発見といえば、
主に考え方と捉え方の変化が大きい。
特に大きいのは
「当たり前への感謝」と「感情との向き合い方」だ。

「当たり前」について
考え・気付くことが出来たのは、
この時間がなければ叶わなかっただろう。

なぜなら、身を持って体感したからである。
身体の痛みや頭重感によって、
スタスタとまっすぐ歩けていた状態が
頭は下がり、ふらつきで
足元は覚束ない状態になった。
歩く速さも見える景色も変わった。

そして、もともと耳は敏感な方だったが、
更に聴覚が過敏になったことで雑音やノイズが大きい場が以前よりも過ごせなくなった。
公共交通機関でさえ乗るのが難しい時期もあった。

今は、ノイズキャンセリングイヤホンを
付ければ、多少は緩和出来るようになった。
工夫することで過ごし方は変えられる

誰かにとっての「当たり前」は、
誰かにとっては「当たり前」ではない。

「美味しい水が飲めること」
「インフラが整っていること」
「医療を受けられること」
「子どもや女性が1人でも安心して歩けること」

国が違えば、これらは「当たり前」ではない。
国内でも地域によって格差が生まれる。

贅沢を言うなとは言わない。
ただ、今の時点で誰かにとっては、
贅沢であることは忘れてはいけない

更に言えば
自由自在に動ける身体、五体満足であることも「当たり前」や「普通」の枠組みに入れるのは
偏見や偏向になる
から注意が必要だ。

「知足者富」
これは老子の遺した言葉だ。
当たり前の日常や感覚に意識を向け、
感謝する心を養う。


「今あるもの、出来ること、出来ていること」に目を向ける。
無いもの、出来てないことばかりに目を向けずに「知足の精神」で僕は生きていく。

今の自分に出来ることを。
どんなに小さな歩幅でも。
意味がないと感じたとしても。
未来の自分は、
今の自分の捉え方と選択によって
変えられる。
そう信じて、今と向き合い生き抜くのだ。

ないものねだりで居ても、ゴールは見えない。
「欲望」に「支配」される者か、
「欲望」を「制御」できる者か
で見え方・考え方は変わるだろう。

どんなに小さな「当たり前」でも、
それが誰もが手に入る物ではない
ことを
理解して「感謝」出来るようになれば
もっと「優しい世界」になれる

信じて過ごす。



そして、感情の向き合い方もそうだ。
「当たり前」で決めつけ、
「レッテル」を押し付け合うのは
危険なやり取りだ。

「自責」が強い人もいれば
「他責」が強い人もいる

「誰かのせいにするのが当たり前」の人から
したら、「抱え込みすぎ、気にしすぎ」
と感じることもあれば
「真面目で責任感が強いのが当たり前」の人からしたら、「適当過ぎ、考えが甘すぎ」
と感じることもある。

性格や考え方も人それぞれだ。
ただ、だからこそ面白い。
一人ひとり違う声や色を持ってるからこそ、
人間関係のグラデーションが生まれる

合わない色とは、無理して一緒に
居なくても良い。
混ざりあっても濁った色になるだけだ。
自分らしい色で居られる場所、人と
一緒に居れば良い。

誰彼構わず、優しさを
安売りするのはもう辞めた。
自分にも他人にも
過度な期待を持つことを手放した。
自分を優しく大切にすることを
優先すると決めた。
エネヴァンに対して
「どうでもいい」「もういいや」と呆れの感情を抱くことを自分に許した。

「考え過ぎ」「気にしすぎ」は弱さではない。
寧ろ、
考えが浅いからデリカシーの無い発言、
気にしないから場を弁えない行動
が出来るのだ。
「繊細」も「敏感」も強みだ。
誰かの都合に消費される代物ではない。

自分自身が自分の感情を見守り、
肯定し優しく出来るようになれたなら
それは他者にも同じように出来る


僕には好きな言葉がある。
「雲外蒼天」
雲の外側には青空が広がっているように、
困難や苦難の先には、
明るい未来や素晴らしい結果が待っている

という意味だ。

今は、曇天かもしれない。
だとしても、1歩ずつゆっくり進んでいく。
その先に晴れ渡る綺麗な青空が広がっていると信じて。

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Nari. 言葉と感覚をなぞる感情翻訳サポーター お気持ちとして、応援してくださるとすごく励みになります! いただいたチップは創作や活動費として有意義に使わせていただきます😌