まなざしの行方
「下ばかり見てないで、上を見あげようよ」
「後ろ向きは良くないから前向きにいこう」
誰に言われたのかさえ忘れたけれど、
記憶の片隅にずっと残っている。
言葉のニュアンスや響きは
ボジティブで励まされる文言たち。
俯きたい気分の時にも
無理して上を見上げて、
誤魔化しながら歩み続けた。
過去にあった出来事の
気になっていることや違和感が
引っ掛かっているのを見て見ぬふりして
前向きに今と未来のことだけを見て、
なるべくボジティブに考えて
進もうと頑張ってきた。
けれど、本当に上と前を見てるだけで
気分が楽になったり、
物事が好転するとは限らない。
そんな気がした。
上ばかりを見上げていたら、
足元の段差や草花に気付かずに
転んだり、踏み潰してしまう。
目の前の小さな声や出来事を
見逃してしまうことだってある。
かと言って、
前を向いていれば
すべてが上手く行くわけでもない
ような気もした。
これまでのことを水に流して、
忘れて前に進もうとしても
そう簡単に切り替えて進めるほど
人は強くない時だってある。
下を向いて俯いてしまうことは
いけないことなのだろうか?
過去を引きずって、
前を見据えることができないことは
悪いことなのだろうか?
人は誰しも、
傷つき、落ち込む時はある。
無理して強引に
上を向こう、前向きに考えようと、
傷や落ち込んだ気持ちに蓋をして
何とか先へと進もうとする。
されど、
下を向いて俯いてしまうこと
後ろ向きに過去を気にしてしまうことは
本当に良くないことなのだろうか。
俯いて、足元を見てみることで
小さな段差や草花の存在に
気付くことができる。
それは、もしかしたら
見向きもせずに踏みにじってきた
声や想いなのかもしれない。
自分自身の声や想いかもしれないし、
気付こうともしなかった
他者の声や想いかもしれない。
俯いて下を向いたことで
気付けることや発見が
本当はたくさん隠れているような気がする。
後ろ向きに過去を気にするのだって、
すべて何もかもが悪いわけじゃない。
過去を引きずって、囚われることと、
過去を振り返って、捉え直すことは、
似ているようで全く違う。
過去の栄光や武勇伝に
すがりながら自分に浸って語るのと、
過去の失敗や経験を糧にして、
得た知恵や知識を後世へと
伝えていくのとでは、
受け取る人たちの感じ方は、
かなり違った印象を得るように感じる。
過去や足元を見つめることは
痛みや怖さに襲われることもある。
明るく輝かしい光のような
記憶や思い出は見ていて、
楽しさや喜びを映し出す。
薄暗く澱んでいる暗闇のような
影のある記憶や思い出を見ようとすると
痛みや苦しみが映し出される。
だからこそ、
ほとんどの人は避けて
見ないように表面上のボジティブな
明るい言葉や出来事で包み隠す。
けれど、
本当の自分としての
本音や本質はそうした触れたくない
過去の影や薄暗い暗闇にこそ、
隠れていることもあるような気がする。
「本当は○○したかった」
「○○してほしかった」
「○○を大切にしてたのに理解されなかった」
○○には、人それぞれ当てはまるものは
バラバラかもしれない。
「もっと見てほしかった」
「話を聞いてほしかった」
「自分の気持ちを受け止めてほしかった」
「頑張ったことを認めてほしかった」
影や暗闇には、
憎しみや嫉妬、怒りや哀しみ
といった負の感情が有象無象に溢れている。
ただ、その表面上の感情の奥深くで
か細く弱々しい小さな声が懸命に
伝えようとしているものがある。
それが私たちにとっての
「本音」や「本心」
「本質」なのかもしれない。
「ゆずれない気持ち」
「曲げたくない想い」
「許したくない行動や言動」
他にもたくさん見つけられることも
あるかもしれない。
そうして見えてきたものが
自分にとっての
境界線の基準やヒントになる。
見つけられたものが本当の意味での
小さな光や道しるべになってくれる。
そんな気がした。
「できていないこと」や「できないこと」を
誰かと比べてしまうと、
どんどん自分を卑屈にしてしまう。
誰かと比べれば、
劣っていることは幾らでも見つかる。
比較して劣っている部分だけを見続ければ、
そりゃ誰しもが虚しくなるし、
苛立ちを覚えることだってある。
けれど、
他人の誰かと比べるのではなく
過去の自分と比べてみるとどうだろう。
数日前、1週間前などの直近では、
大きな収穫や変化はないかもしれない。
半年前や1年前、
更にそれよりも過去と比べたら
出来るようになったこと、
考え方や気持ちの変化に気付くことは
たくさんあるのではないだろうか。
もしも、
何も変わってないと感じるのであれば
ほんの少しだけ小さな変化を加えてみる。
自分自身の日頃での
「言葉選び」や「立ち振る舞い」
「思考の癖」や「固定観念」を振り返りながら
小さなことから意識して
自分の意思で変えようとしてみる。
挨拶してみるだけでも良い。
小さな感謝の言葉を伝えてみるでも良い。
ネガティブワードを意識して、
使わないようにしてみるだけでも良い。
ぎこちなくても、
笑顔の練習してみるだけでも良い。
小さな変化が積み重なって
昨日の自分、過去の自分よりも
成長した証となっていく。
他人は簡単には変えられない。
どんなに変わってほしいと願っても、
本人に変える自覚がなければ
変わることは正直言って難しい。
けれど、自分の使う言葉や振る舞いで
勝手に他人が変わっていくことはある。
自分にとって、
嬉しい喜ばしい変化になるとは限らない。
離れていく人間がいれば、
過剰な反応をしてくる人間だって
いるかもしれない。
自分にとって都合の良い存在を
失いたくないと考えている人間は、
顕著に揺さぶりを掛けてくるかもしれない。
だとしても、
自分の道は自分で決めて良い。
誰かを頼っても良い。
誰かに甘えたって良い。
誰かに任せたって良い。
支えや助け合いをしながら
自分なりの轍を刻んでゆけば良い。
失敗があれば、
やらかす体験もするかもしれない。
けれど、そこから得た知恵や気づきを
どう活かせるかは自分次第。
気になったことや違和感、嫌悪感を
見て見ぬふりをせずに
その気持ちや感覚に耳を傾けて
そっと見つめてみる。
誰かの教えが絶対ということでも無ければ
揺るぎない正解だとは限らない。
そんな気がしているから。
迷い、揺れつつも、
自分の中での答えを探究し、
さまざまな考えや気持ちに触れながら
少しずつ自分を磨き上げていく。
上だけでもなければ、前だけでもない。
下を向いて俯く時があっても良い。
時には後ろを振り返ったって良い。
下を向いて俯いたことで
気付ける存在があれば、
後ろを振り返ることで
見えてなかった景色が
広がっていることだってある。
山の頂上やレースのゴールだけを見据えて、
がむしゃらに進んでいると、
ただただ苦痛になってしまう。
ふと、足を緩めて振り返れた時
これまでの道のりが思っている以上に
登れていたこと、進めていたことに
気付かされることがある。
そこには、
驚きや呆気に取られる感覚と
美しい景色が広がっていた。
F1レースでピットインして
タイヤ交換やマシンの調整、修復をする
時間があるように
自分自身を調えて整備する時間が
人にとっても、大切なのかもしれない。
大丈夫。
まだ動いて行ける。
大丈夫。
まだ進んで行ける。
深く暗い、長い冬のような時期を
静けさと共にゆっくりと…。
正解のない人生の旅路を
それぞれのペースで進んでゆく。
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