まさに今が医療福祉の分岐点と考える
医療や介護の現場は今、引き返せない分かれ道に立っています。
テクノロジーが進化し、あらゆるものが数値化される中で、私たちは究極の選択を迫られているのです。
それは、「システムに人間を合わせるのか」、それとも「人間のためにシステムを使いこなすのか」という問いです。
選択肢 A:効率と生存を優先する「冷たい最適化」の医療
もし私たちが「効率」だけを追い求めたら、待っているのは「冷たい最適化」の未来です。
• その実態: リソースが不足する中で、AIが「生存確率」や「コストパフォーマンス」を瞬時に算出し、治療の優先順位を冷徹に決定します。
• 現場の風景: ケアは「最適化されたタスク」に分解され、看護はチェックリストを埋める作業へと変わります。患者さんの涙や不安は、システムを阻害する「ノイズ」として処理されます。
• 行き着く先: 社会の持続可能性は保たれるかもしれません。しかし、死は単なる「計画的な処理」となり、そこに「人間としての手触り」は一切残りません。
選択肢 B:不条理と非効率を抱える「泥臭い人間性」の医療
一方で、私が信じたいのは、どれほど進化しても「手間」や「感情」という非効率を、ケアの核として死守する道です。
• その実態: 尊厳や人生の意味を感じられない生存は、人間にとって何よりも苦しい。その確信に基づき、一人ひとりの「物語」に耳を傾ける選択です。
• 現場の風景: 効率は悪く、現場は常に葛藤と試行錯誤の連続でしょう。しかし、そこには「誰かが自分のために心を動かしてくれた」という、震えるような生の充足感があります。
• 行き着く先: 数値では測れない「安心」や「納得」。最期の瞬間に、誰かが手を握っている。そんな「不条理への共感」が息づく場所です。
「効率」と「温もり」の矛盾を統合する鍵
私は、この25年の経験の中で確信していることがあります。それは、「効率化」は「B(人間性)」の道を歩み続けるための武器であるべきだということです。
最悪のシナリオは、「効率化して浮いた時間を、さらなる効率化に回してしまうこと」です。
これでは、私たちはいつまで経ってもシステムに追い立てられる「部品」のままです。
あるべき姿は、「効率化して浮いた時間を、目の前の人の物語を聞くために使うこと」。
事務作業やルーティンワークを徹底的にテクノロジーに任せる。それは、人間にしかできない「意味のない雑談」や「言葉にならない想いを受け止める時間」を取り戻すための闘いです。
現場の一人ひとりが下す「小さな選択」
分かれ道は、巨大な政策の中にあるのではありません。現場の一人ひとりが、今日、目の前の患者さんに対して、
「あと1分、この人の話を聞こう」
「この作業を自動化して、あの人の不安に寄り添う時間を作ろう」
そう決断する「小さな選択」の積み重ねにこそ、未来があります。
効率という刃(やいば)で心を削るのではなく、効率を盾にして温もりを守る。
そんな「泥臭くも尊い医療」を、私はこれからも選んでいきたいと、つくづく思います。
