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嫁の実家の稼業を継いだ経験がおありか

いつもありがとうございます!開運さんです。
今日もよろしくです😊


開運さんが30歳の頃、つまり今から30年ほど前に家内の実家の飲食店を継ぐという約束で脱サラをしました。

脱サラをする前に勤めていた会社は日産系の自動車の販売会社です。そこでは車を売る仕事をしていました。

このnoteでもちょくちょくこの当時のことを書かせてもらっているのでご存じの方もおられるかと思います。

実は家内とはこの会社で知り合い、いわゆる職場結婚をしたあと数年後に会社をやめ家内の実家の稼業の飲食店を継ぐことになったのです。

私は学生時代から、なんとなく独立願望がありました。なので、学校を卒業し入社した自動車販売会社で一生を終えるということにいつも少なからず違和感を覚えていたのです。

その会社に勤務すること6年目に、家内の父親つまり義理の父から「ウチの店の後を継いでみないか」という打診がありました。

私はその時の感覚としては「渡りに船」と思い、割とあっさり承諾したのを記憶しています。

渡りに船と言いますのが、その当時の自動車の営業はコンプライアンスもなにもあったものではなく、まさに昭和の時代の体育会系のブラック体質そのものでした。

今も変わりませんが当時の日産はトヨタに後塵を拝しており、トヨタ系の自動車のように売れていなかったため、厳しい営業の業務を強いられました。

特に新入社員は、一日100件の飛び込み訪問を課せられていました。日産自動車、その中でもスカイラインが大好きで入社した会社でしたが、車に触れられる喜びも束の間、厳しいノルマとの闘いが続いてゆくわけです。

もちろん嫌なことだけではなく楽しい事もありましたが、一番の不安は給料が安いことでした。

今はどうか知りませんが、当時のディーラーは車を売っても一台あたりいくらも貰えなかったのです。ほぼほぼ基本給でした。これが一番のダメージでしたね。

だから、保険や車検などを獲得してその報奨金を給料の足しにしていました。

こんなことを続けてきましたので、義理の父から家業を継ぐ話が出たときは食指が動いたのです。

そして、私が退職するまでは何度か今後について打合せを進めることになります。

家内には兄が一人いますが、店を継ぐかどうかの意志も確認していました。
義理の兄は大企業に勤めていますので、店を継ぐ意志はなかったようです。

そういったことも済ませいよいよ退職、飲食店デビューとなったのです。

「これで晴れて脱サラだ。独立へ一歩前進できた」と内心喜んだのも束の間、この浮かれた気持ちはそんなに長くは続きませんでした。


ここから飲食店の修行が始まるのですが、これは思ってたより重労働でした。

まず、立ち仕事です。一日中立っての仕事なので足が文字通り棒になります。

慣れるまでが大変でした。

さらに、食器の洗い物、仕込み、仕入れ、掃除となんでもできるように
初歩から教えられます。

車の営業とはまったく異なる畑違いの世界。
まさに隣の芝生は青かったのです。

店の労働は思った以上にきつく、特に仕込みがかなりの重労働でした。今まで何度か店には食事に来たりと足を運んでいましたが、見るのとやるのとでは大きく異なりました。

家内からも「大丈夫?」と幾度も声をかけられる始末。

さらに追い打ちをかけるのが、精神面。

過重労働以上に精神的に堪えたのは、義理の父からの厳しい訓示です。一つ屋根の下で一日中顔を見合わせて仕事をしているので、一挙手一投足見られているわけです。

昼となく夜となく何かあるたびに厳しい訓示があるのです。「オレは養子に来たわけじゃないのにな・・・」なんて錯覚を起こすくらいの感じなのです。

これはわかる人でないとわかりません。

「そんなこと最初からわかってることでしょ?」と言われればそれまでですが妻の父に頭が上がらない日々。

まだあります。

車の営業は一日中外に出ずっぱりですが、飲食店は一日中店舗に缶詰状態です。

勝手に昼寝もできません(笑)。

いわずもがな、開運さんはマスオさん役になってしまったのです。

養子ではないので、当然苗字は今のままですが、妻の実家で働くというやりづらさ。

これが一番こたえましたね。


「オレはマスオさんじゃねえし・・」


繰り返しますが、このことが精神的に一番きつかったことは否めません。

血の通った親子ならまだ受け止め方も違ったかもしれませんが、義理の親子です。お互い難しかったと思います。

結局、店を10年務めてやめました。肩書は取締役で、店では店長でした。
やめた直接の原因は店舗運営に対する意見が合わなかったことですが、心の中では店の実質の経営者になかなかしてもらえなかったことが大きな要因です。


開運さんが店を去って程なく店自体も閉めました。義理の父の年齢的な限界と店に掛けた長年の借金が返済できたからのようです。私は家内の実家の店の借金が返済し終わったことで、そのお手伝いができた10年だったと思っています。

今現在はこの当時のしがらみはまったくありません。義理の父とも良好な関係を築いています。今のこの距離感がちょうど良いと感じています。

ここからが開運さんの過去の教訓です。

家内の実家、つまり義理の父がやっている稼業を継ぐ際は、十分慎重に検討しなければならないということです。

単なる身内としてのフランクな付き合いと、跡継ぎとしてのハードな付き合いとは別物であると肝に銘じてください。

ここが一番大事なところです。

自分で飲食店を始めるのなら何も問題はないのです。少々重労働でも自分が好きで始めたものなら耐えられるからです。

でも私のようなケースは複雑なのです。養子ではないけれども養子のような扱いになります。これに耐えられるかどうかの判断です。

特に飲食店の場合、甘っちょろい現場ではありません。忙しい時間帯は怒号が飛び交うこともあります。
耐えられますか?

私は13年が限界でした。

ソフト系の業種なら別ですが、飲食店、伝統工芸、一子相伝的な実務つまり、マンツーマン指導が必需なものは修行僧のように強い精神面と健全な肉体面とが必要です。

何となく脱サラして飲食店のオーナーになれるかもなんて軽い気持ちで家内の実家の稼業に手を染めると、大廻りの人生になります。

とは言え、そこでの経験がムダであったかというとそうではありません。今でも店舗経営や厨房設計など店舗に関してのアドバイスも可能なので、お客様からの依頼もあります。
これはひとえに店での貴重な経験があったからこそです。

今では良い経験だったと深く感謝しています。

これから同じようなケースにならんとしているのなら、少しだけ参考にしてみてください。
                              開運成彦



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