積年の疑問が晴れる【生殖記】
怒らせたいわけでも、機嫌を取りたいわけでもなく、本当に、なんで当事者やその活動に参加している人たちが「わかってない」感覚を一般人(マジョリティ)にぶつけてくるのか、ずっとわからなかった。
それって、こういう考え方だったのかーー。
と、めちゃくちゃ腑に落ちた。
全部がその正解ではないだろうけど・・・。
「手のひら返しで状況が変わる」
しかし
状況が変わってもなお
「マウントを取られ続けられている」
でも、マウントを取ってる側はその自覚がない。
自覚もないし、そのことを特権とも思っていない。
ので、
突然の言われのない非難にびっくりするとともに、自分の無自覚さに、純粋に、「ああ、もう、そういうことだったのか」っていう、やっとわかったよって感覚になった。
「ごめんね」と、何に対して謝っているのかをちゃんと理解して謝罪をできるスッキリさ?を得られるというか。
「偏見とかないよっていう人が一番偏見あるよね」
みたいな、あるあるの責め方。
とはいえ、本当に、偏見なんてないのだ。
偏見を持つほど、関心も当事者意識も、思い入れもないから、そもそも自分の中から自然発生した偏見なんてない。
でも、
わかってないよねー。そういう人たちの無自覚な感覚が、こういう人たちを傷つけるんですよー。。
っていう、わかってるマウントに、「え、そうなんですか、なんかだとしたらすみません。謝りたいから教えてって」いう気持ちはあった。
なのに、誰もちゃんと教えてくれなかった。逆に、「わかってないじゃん」っていうマウント取られている感覚にさえなった。
たとえ無自覚でも、そうさせてしまってるなら、謝りたい気持ちはあったんだよ。
多様性多様性って、別に喜んでるわけでもないし、
なんか違和感持ってる人は多い。
だけど、その違和感をうまく、言語化してわかりやすく提示してくれるものがなかった。
概念を抽象化して、N対Nで説明されるから、ピンとこないというか。
こうやって、当事者のピンポイントの感覚を、具体的に提示されることで、心境がグッと解像度高く、理解できた。物語の力、すごい。
だから、改めて、考えが至らないくせに、わかってる風にしててすみませんでしたって、心から謝れる。
謝らせてくれてありがとう。である。
だけど。
謝ってもらったところで、、、
っていう、その先は何もない。
あとは、自分の頭で考えろ、っていうか答えなんてそもそもない。
でも。
ああ、ここで終わっちゃうんだーーって。
もうちょっと、もうちょっと教えてくれーーーまってーーー!!
という気持ちになった。
この、「先生教えてください」っていうスタンスが偏見の始まりなんだろうけど。またやっちゃってるよ、自分!!
正欲もすっごい、へえええって思ったけど、
こちらも、ものすごい、へええええっていう気持ちになった。
積年、自分の中に巣くっている、「偏見」で強固にされた考え方を根底からぶち壊してくれる、話だった。
読んでよかった。
