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取り込まれ、集合知の一部になる感覚

インターネットにまったく触れずに1日を終える人は、どれくらいいるのだろう。
意識して遠ざけようとでもしなければ、スマホやPCをはじめ各種IoT機器を使わずに過ごすことは難しい。

WEBを介して吸い上げられた、個々人のあらゆる情報は、丸ごとAIに取り込まれ、整理され、使いやすい形で提供される。

全員の知識を詰め込んだ、膨大なデータを処理できる巨大な脳みそ。
それを、誰もが手軽に使えるようになってきた。

質問できれば、答えてくれる。
検索スキルがなくたって、知りたいことさえ明確なら、欲しいものは誰でも受け取れるようになったのだ。
いや、知りたいことすら漠然でも、それらしき答えを提示してもらえる。

地球が一つの生命体であるという説をガイア理論というらしい。
人間に備わっていた個々の脳みそが吸い上げられ、AIという巨大な一つの集合知としてまとめ上げられ、それ自体が、自動的に動き出そうとしている。

これの元ネタは私だ!
とか
特権階級だけが知り得る情報だ!
とか
区別も差別もなくなって、もともと一つの生き物みたいになって、
それぞれが、自分の脳みそとしてAIを使えるのは、悪くない流れのような気がする。

これからも、どんどん、吸い上げられ、脳みそは巨大化し、処理できる量もスピードも加速していく。

そうなった時に、個々の脳みそ同士が権利を争っても意味がない気がする。
(創作物や著作物の権利を蹂躙して良いとは決して思わないが)

使える脳みそは大きな一個のAIになった。

その脳みそを使って、何をしたいのか?
あるいは
何をすべきか?

という、問いの部分が、重要になってくる時代だ。

AIが自動的に問いも立てて、課題を解決していけるようにもなるだろうが、
アウトプットされたものを受け取って、楽しんだり、喜んだり、怖がったり、悲しんだり、怒ったり・・・そういうことができるのは、人間だけだ。

情報の入り口と出口は、人間だけが享受できるものではないだろうか。

中間プロセスがどうなるのかはわからない。ブラックボックス。

それは人間の感情も同じだけど、AIはアイデンティティーもイデオロギーもないから、
すべての思惑を無視したプロセスで、与えたられた情報を中道で出力できるはずだ。(インプットとプロンプトに偏りがなければ)

状況を全部、一つの箱に入れて、均等にして、渡してくれる。
余計なバイアスを抜いて、知識や情報を受け取れるため、
建設的な、思考プロセスが加速する。

単体の脳みそでは到底入れきれないインプットを経た状態のアウトプットが、労せず得られるのだ。
それも、特定の人だけでなく、インターネットさえ使えれば、誰でもが。

今まで辿り着けなかった、領域にどんどん近づいて、これまで解明されてこなかったことが解き明かされていくと思うと楽しみと恐怖が半々だ。

ガーターを埋めて、一直線にピンに向かう、ボーリングのボールのように、グングン目的地に進む感覚。
寄り道しないで一気にゴールに進むことで、頭に浮かんだアイデアや閃きを、目に見える形で出力できる人が増えているように思う。

AIは解答を出せるけど、それを楽しむのは私たち人間だけ。
受け取れる情報の精度も量も向上するが、与えらえたコンテンツを楽しむ(活用する)のは結局、人間だけ。

AI開発のスタート地点は、そもそも人間のためなんだろうから、当たり前ではあるが・・・。

やらなきゃいけないことより
やりたいことや、楽しいことを見つけられないと、
人間の存在意義は、なくなってしまうんだろうな。

こなす、処理する、片付ける、というだけじゃなくて、
愛でるスキルというか・・・。
無駄なものにこそ価値が高まるというか。

最短ルートで解を出す術を身につけたのだから、
空いた時間をもっと、ワクワクすることに使っていきたい。


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