「花の名」を、生で聴いた。――邦ロック歴20年の私が、NUMBER SHOTで救われた話
さて、私には一生忘れることがない記憶がある。
平成中期、まだ私は中学生だった。改装前の、まだ古びた建物だった博多駅の本屋で、私はその曲と出会った。
BUMP OF CHICKENの「花の名」だった。
当時、映画のタイアップ曲としてリリースされたその曲は、たまたま原作小説を取り扱っていた本屋で広告として流れていた。それが、私と音楽との出会いだった。自分でも大げさだと思う。でも、あれが間違いなく始まりだった。
「簡単なことなのに、どうして言えないんだろう」
そう歌う藤原基央氏の声が、当時の小さな女の子の心に刺さった。
そして私は、救われたのだ。
この記事は、邦ロックファン歴20年の筆者による懐古記事
兼、2026年の福岡夏フェス「NUMBER SHOT」の振り返りです。
BUMP OF CHICKENが好きな方
邦楽ロックが好きな方
NUMBER SHOT 2026に参加した方
そんな方には、ぜひ読んでいただきたい。少し長くなりますが、よければお付き合いください。
1.はじまりの曲
冒頭でも触れましたが、私の邦ロックの入り口は、BUMP OF CHICKENの「花の名」でした。
博多駅の紀伊國屋書店で受けた衝撃は大きく、20年経った今でも、その瞬間を簡単に思い返すことができます。
当時、BUMP OF CHICKENはすでに人気バンドでした。
有名曲「天体観測」で、バンドそのものは知っていました。
でも、私に刺さったのは「花の名」でした。
こんなに心に響く歌声で歌う人間が、この世に存在するんだ。そう思った瞬間、なぜか涙が出そうになったのを覚えています。(店内なのに、と必死でこらえました)
当時の私は、多感な10代でした。家庭の中で孤立し、自分が親から愛されていないことすら、まだきちんと認めることができなかった。
そんな私に、藤くんは優しく語りかけてくれた。
「花の名」という曲を通して、私は愛とか、やさしさとか、そういうものに触れたのだと思います。だから、泣きそうになったのかもしれない。今になって、そんなふうに思います。
私が思う藤原基央の魅力は、ここなんですよね。
とにかく、優しい。
本人のやさしさが、そのまま歌ににじみ出ている。当時の私は、本当に救われました。
その後、私は「花の名」がBUMP OF CHICKENの曲であることを調べ上げました。そして、世の中には「ロックバンド」というものが存在することを知り、そこからさらに、孤独や悲しみや、やさしさに触れるたくさんの曲へとたどり着いていきました。
もし、あのとき「花の名」に出会っていなかったら。私は、あの大変だった10代を生き抜くことができなかったかもしれません。それくらい、私にとって「花の名」は特別な曲でした。
ちなみに、その後私は家族と離れたことで少しずつ自己肯定感を取り戻し、大学では軽音サークルに入り、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのコピーバンドをやったり、周囲のロックオタクたちの影響でさらに広く音楽を聴き始めたりして、めちゃくちゃ元気になります。
人生、何があるかわからない。
2.たぶん、「花の名」を聴く機会はない
その後、私は色んなバンドのライブに行くようになりました。元気になって、お金にも多少余裕ができて、好きなバンドを生で聴くことも増えて。
ただ、「花の名」だけは別でした。
私がライブに行くようになった頃には、すでにリリースからかなりの年月が経っていました。ライブで「花の名」を聴ける機会は、ほとんどない。そう思っていました。
そして、思った以上に私はこの「はじまりの記憶」をこじらせていました。
私の中で、BUMP OF CHICKEN=聖域みたいになっていたんです(笑)
そもそも、BUMPのライブに足を運ぶことすらできなかった。
※ちなみに筆者は、藤原基央氏と米津玄師氏のことを「現実に存在しない妖精」だと思っている節があります。こじらせすぎ。
そんなこんなで時間は過ぎていきました。「花の名」をライブで聴く可能性は、どんどん低くなっていった。もう、たぶん聴けない。そう思っていた、2026年。
福岡の夏フェス「NUMBER SHOT」に、BUMP OF CHICKENが出演すると発表されました。さすがに、これは行かねば。チケットを取りました。
3.そして、フェス当日
コロナ以降、ライブからかなり離れていた私にとって、夏フェスは実に6~7年ぶり。NUMBER SHOT、とても楽しかったです。……この日のことだけで別記事を書きたいくらいには。
そして、肝心のBUMP OF CHICKEN。
なんと、この日のアンコールで「花の名」を演奏してくれました。
私は、最初の音でわかってしまった。イントロというか、最初の効果音。「あ」と思った。夢なのかと思った。もう人生で聴くことはないだろうと、完全に諦めていた曲が、目の前で歌われている。泣くかな、と思いました。
でも、実際には泣きませんでした。
それよりも、一言も聞き逃したくない。
だから、ただひたすら真剣に聴いていました。
10代の私に寄り添ってくれた藤原基央の声が、歌が、そこにありました。
あの頃、ずっと俯いていた女の子が、20年後の今、同じ曲を生で聴いている。
そして私は思いました。
私、生まれ変わったら藤原基央の喉になりたい。
世界一やさしい藤原基央のところに、藤原基央の喉が存在した。その世界線に生まれてきて、本当によかった。心の底から、そう思いました。
家に帰ってから、少し泣きました。
本当に、万物に感謝を伝えたい。
藤くん。
あのとき、ずっと俯いていた10代の女の子は、今も生きています。
ちゃんと息をしています。
20年後の今日、あなたの歌を聴いていました。
正直に言うと、聴き終わった直後、「もう、いま死んでもいいな……」と一瞬だけ思いました。もちろん、本当に死にたいわけではありません。「この人生に悔いなし」という意味です。それくらい、満たされてしまった。
でも。
ここで終わりにするのは、やっぱり違うと思って。
私は、歌詞の通り、生きているうちに伝えたかった。あの頃の自分を救ってくれた曲を、20年後の自分が生で聴いたこと。そして、あのとき救われた女の子が、ちゃんとここまで生きてきたこと。
だから、この記事を書きました。
これからも、私だけに歌えることを、私だけに聞こえる歌を探していきたいと思います。そしてまたいつか、「生きていてよかったな」と思えるような曲に出会えますように。
