【自己紹介】いのちを削るように働いていたわたしが、何ひとつ犠牲にしない「自分らしい生き方」を手に入れるまで。
こんにちは!「食」と「らしさ」のプロデューサー・あべなるみです。
このnoteでは、「”いのちを削る”から”輝く”に変わる畑式ライフシフト」 についてお伝えしています。
わたしは京都大学農学部を卒業後、大手広告代理店の博報堂にて、企業のブランディング、マーケティングを担当した後に独立。今は3人の子どものママをしながら、3つの会社を経営しています。
こう書くと、「なんだかデキル人!」のようですが、そんなキャラではなく。口癖は「えーい!」と「わーい!」。とにかく“ごきげんな人”だと自分では思っています。

仕事も、子育ても、暮らしも、自分の人生も。
何ひとつ犠牲にしない、自分にも、周りにもやさしい生き方。
大学時代に研究で訪れたことをきっかけに、“畑”からヒントを得つづけてきた「いのちを健やかに育む生き方」を、日々ごきげんに、自分らしく楽しんでいます。

今でこそ、こんなやわらかい生き方ができるようになったわたしですが、もともとは超ストイック人間。
高校時代には京大合格を目指して1日16時間勉強したり、就職後は平日は終電かタクシー帰りが当たり前の生活を送り、土日も寝る間を惜しんでサークル活動をしたり……。今とは真逆の、自分に厳しすぎる毎日を送っていました。
今思うと、"いのちを削る"ように生きていたなぁと思います。
そんなわたしがどうやって、無理なく、ごきげんに生きられるようになったのか?
どのようにして、自分らしく、いのちを輝かせる生き方にたどり着いたのか?
この記事では、半生を振り返りつつ、「いのちを削るように働いていたわたしが、何ひとつ犠牲にしない“自分らしい生き方”を手に入れるまで」を書いてみようと思います。
1.「食」と「自分らしさ」を求めて、京大へ

生まれは、山口県の萩市。海と畑に囲まれた自然豊かな町で生まれ育ったわたしは、幼い頃からおいしいものが大好きでした。
幼少期のわたしを象徴するようなエピソードが残っています。
萩市は新鮮なウニが水揚げされることで有名なのですが、どうやらわたしは2歳にしてウニに目がなかったらしく、おじいちゃんの家できれいに盛り付けられた板ウニを、なんと1人でたいらげてしまったそう。
(見つけたおじいちゃんは「出世しないと許さないぞ〜!」と苦笑いしていたとか笑)
そんな、好きなものを無邪気に追いかける子どもでしたが、実は大きくなるにつれ、自分を出すことができなくなっていきました。
小学校低学年の頃、わたしたち家族は父の仕事の都合でベトナムとカナダに住んだことがありました。言葉の通じない海外の国で暮らした幼少期。いつも2人で遊んでいた2つ上の姉は、親友のような存在でした。
そんな姉が天才の頭角を現したのは2歳のときだったそう。2歳にして車のナンバープレートが読めたので、親族中で「この子は天才だ!」と話題になっていました。
その後も何かにつけて"天才の片鱗"を見せては話題になる姉は、わたしの自慢でした。
わたしはわたしで、ユニークな視点で周りを驚かせたり、場を明るくするムードメーカー気質を発揮。
わたしたちは、外国でもそれぞれの「らしさ」全開で生きる仲良し姉妹でした。

しかし、小5になるタイミングで、超多民族環境のカナダから日本の地元・山口県に戻ることになり、その関係性は一変。
山口の小学校への転校初日。わたしは日本の女子特有の(?)グループ文化=目立つと仲間から外される陰湿な空気を察し、恐れおののいてしまいました。
「こわい!」
これからは個性を隠し、空気を読み、間違えないようにしよう。
この転校をきっかけに、わたしは自分らしさを完全に封じるようになったのです。
親友のような存在だった姉は、間違えないように生きるためのロールモデルへと変わりました。姉が行った中学に進学し、同じ部活を選び、姉が読む漫画を読み、聴く音楽を聴く。とにかく姉の真似をして、間違えないことがわたしにとっての最重要課題になりました。
しかし、中学生になると、成績に順位がつくようになります。
姉は、つねに学年トップ。親戚や先生からの期待も厚く、周りから称賛されていました。
わたしはというと、姉と同じように生きることを選んでいるのに、いつも平均10点下振れした成績しか出せなかった。姉が98点なら、わたしは88点というように。
成績優秀な姉は、周りの期待通り東大に現役合格していきました。
一方のわたしは期待されることもなく。父は、「(山口)県大に行って地元にいてくれたらうれしい」。そんな風に言ってくれました。
でも、わたしはそれを素直に受け入れることができなかった。
もし、「県大でいい」と自分に許したら、姉より劣っていると認めることになってしまうから。
それは絶対にいやだ!
その一心で、ある決意をします。
東大に並ぶ「京大」に合格して、姉に劣等感を覚える人生から決別する!
ずっと姉の人生をなぞるように生きてきたわたしにとって、それは大きな決断でした。

でも、京大の何学部に行けばいいんだろう…?
自分で選んだ趣味もないわたしが、自分の「やりたいこと」についてはじめて考えることに。
振り返ってみると、強いて言うなら「食」に心を寄せてきたかもしれない、と思いました。
姉が天才の頭角を現した2歳のとき、わたしは板ウニを1人でたいらげていた。
小学校の頃には、ホームパーティで食材を見栄え良く盛り付けて、家族や友だちに喜んでもらえるのがうれしかった。高校時代は、お弁当を彩りよく盛り付けるのが楽しくて、母の分までつくっていた。
食べたり、盛り付けたり。食のことでは、心が動いている気がする。
食に関心を寄せてみると、そういえばよくわからないこともあったな、と思い出しました。中学や高校の授業で出会った、「2つの食の謎」です。

ひとつめは、中学の家庭科で習った「地産地消」がうまくいっていない日本の現状について。
といっても、わたしが暮らしていた山口県は、そこらじゅう畑だらけ。なのに、地産地消がうまくいかないって、どういうこと?
不思議に思ってスーパーに行くと、並んでいるのは県外や外国の農産物ばかり。「確かに、地元のものって意外と買いにくいんだな…」ということに気づきました。
同時に、県内で生産されている農産物はどこに行っているんだろう?という疑問も湧きました。

ふたつめは、高校の地理で学んだ「フードロス」の問題。
「日本は食糧自給率が低い。だから、たくさんの食糧を海外から輸入している。でも、その1/3に相当する量を廃棄している」
授業でこう教わったときは、「え、どうして!?」と頭が混乱したのを覚えています。
足りないから輸入しているはずなのに、どうしてそんなに捨てているんだろう?
この2つの食に関する疑問がきっかけで、わたしは食のしくみを学びたいと思うようになりました。
すると、京都大学農学部には、生産・流通・消費までの食の全体像を学べる学科があることを発見。
「京大にちょうど学びたいと思える学部もあるじゃないか!」
目標が定まった高3の春。
わたしは、親や先生から驚かれるほどの猛勉強を開始。
最初の模試ではD判定でしたが、「夏の模試でB判定まで持っていければチャンスはある」という先生の一言を信じ、朝6時に起床して夜中の12時まで黙々と勉強に打ち込みました。
「神様に見られてる!もうサボれないぞ!」
机の前にこれまで集めたお守りをずらりとぶら下げ、自分を追い込むこと数ヶ月。
努力が実り、晴れてわたしは現役で京大に合格することができました。
(いやぁ、よくがんばった、当時のわたし! )
そしてやっと、自分の人生を生きる許可を自分に出すことができたのでした。
2.人生を変えた「畑」との出会い

食の謎を解き明かすべく入学した京都大学では、フードロスについて、より深く学びました。
まず、⾷べられるのに廃棄されてしまう⾷品には、流通過程、市場のミスマッチ、売り場での見切りなど、様々な段階があることがわかりました。
けれども、わたしが今ひとつピンとこなかったのが、「産地ロス」と呼ばれるもの。
これは、生産地の畑や漁港で、傷がある、形が悪い、サイズが小さいなどの理由で、市場に出荷されず、廃棄されてしまうフードロスのこと。
出荷や輸送の効率を考えれば、形が揃っていた方がいい。経済的合理性を追求した結果、たとえおいしい産物であっても、「規格外」とみなされると、廃棄の対象になってしまうのです。

でも、こうした規格外の食料廃棄量は、どれほどの量があるのか、統計データさえ存在しません。
産地や品目によって何が「規格外」なのかが異なるためです。
また、規格外産物は、直売所などで売られることもありますが、基本的には市場で流通しにくいため、把握が困難なのです。
規格外野菜の場合、畑に還れば肥やしにはなるから、問題ではないと言えるのかもしれない。
そう考えると、ますますわからなくなりました。
「うーん、データがないなら、自分の目で確かめてみよう!」
実際に産地に行き、市場に出る前の野菜たちのリアルな姿を、何としてもこの目で確かめたい。大学2年生になったわたしはそう思い立ち、農業関係者とつながりのある知り合いに頼んで、京都の野菜農家さんを紹介してもらうことに。

その農家さんで規格外野菜を見せてもらえることになり、わたしは関心を同じくする友人を誘って、3人で訪問することにしました。
2月の早朝。吐いた息が白く浮かぶ中、ちょうど大根の収穫時期を迎えた農家さんを訪れると、そこにはコンテナいっぱいに詰まった、ありとあらゆる形の大根たちが。
UFOのように丸く横に広がっていたり、足が生えたように見えたり。もう今にも走り出しそうなフォルム。
ひと目見て、わたしは思わず声を上げていました。
「かわいい~!」
仲間とともに、テンションは爆上がり。
スーパーなどでは見たことのない、でこぼこの野菜の愛らしさに釘付けになったのです。
それから、農家さんのお話を伺い、切実な想いにも触れました。
「形が悪い野菜は、捨てなければいけないのが現状です。
でも、これも大切に育てた野菜。
本当はほかの野菜と同じように、おいしいから食べてほしい」
わたしたちは見学を終えると、その足でカフェに行き、話し合いました。
農家さんの想いに応えるため、わたしたちは何ができるだろう、と。
それまでは「日本の食料廃棄をなくす」という大きすぎる目標を掲げていたわたしたち。けれどもそんな理屈は、でこぼこ野菜を目の前にして、ふっとびました。
3人とも同じ感想を抱いていたのです。
「もう、でこぼこ野菜、かわいいでよくない?」
規格外野菜は「かわいいでこぼこベジタブル」。略して「でこベジ」と名付けることに。
こうして、わたしたちはサークル「でこベジカフェ」を始めることにしました。

「でこベジカフェ」では、「もったいないから食べましょう」という義務感で迫るのではなく、「かわいいし、おいしいから一緒に楽しもう!」のスタンス。
そうすれば、わたしたちも、農家さんも、お客さまも、みんながハッピーになれるのではと考えました。
4月の新歓で新メンバーを集めようとチラシを配ったら、10名も入会。
農業に興味のある人や、教育学部の食育志望の人、バイトで厨房を任されている料理男子など、個性豊かな仲間が集まりました。

わたしたちは車で農家さんを訪ねては、規格外野菜を仕入れ、厨房男子がレシピを考案。

「タコとトマトのミートソースパスタ」
「トマトジェラート」
「ほうれん草のニョッキ」 などなど
でこぼこ野菜たちが、カフェ風の本格イタリアンに生まれ変わっていきました 。
素材の味が濃くて、本当においしかった!
でも、ただのカフェでは、でこベジの魅力は伝えきれない。
そう考えたわたしは、自ら「でこベジ普及係」を名乗り、興味を持ってもらう仕掛けをつくりました。

かわいい野菜たちをかごに入れてディスプレイしたり、触って当てる「でこベジクイズBOX」をつくったり、メッセージボードを設置して農家さんへの感謝の言葉をお客さまに書いてもらったり。ゆるくて楽しい演出を考え、お客さまに興味を持ってもらえるよう工夫しました。
Facebookで「でこベジカフェ」アカウントをつくって宣伝すると、フォロワー数が徐々に増加。月1回のペースで開催するカフェは場所柄、学生のお客さまを中心に人気となり、1日3回転、100名以上が訪れるようになりました。

こうして、カフェという空間が、でこぼこ野菜を通じて、学生と農家さんがつながる場になっていきました。
わたしたちが扱った野菜は、どれも農家さんが大切に育てたもの。
形が不揃いというだけで、味や栄養には何ら遜色はありません。

スーパーに並ぶ形が整った野菜たちと同じようにおいしいから、食べてほしい。
でこベジカフェでは、そんな農家さんの想いに応えることができました。
農家さんと消費者であるわたしたちの間には、いつも見えない壁があります。
わたしたちは農家さんの顔を知らない。
逆に農家さんは、自分の提供した野菜が、どこの誰に届くのかわからない。
両者は、お互いの姿を見ることができない、という問題。
でこベジカフェでは、そんな農家さんと消費者であるわたしたちの間の見えない壁を壊し、作り手と受け手の両方が笑顔になれる場が生み出せた。それが本当に大きかったと思います。
一方で、別の問題も見えてきました。わたしたちにいつも快く規格外野菜を提供してくれていた滋賀の直売所さんには、こんな厳しい現状も教えてもらいました。
「日本人の胃袋に対して、野菜は余っている。
だから、規格外野菜が安く出回れば、農家の収入は下がるだけ」
規格外野菜が安く出回ってしまうと、値崩れするだけ。農家の収入低下につながるわけです。
だからこそ、わたしたちはタダで配ったり、「もったいないから食べましょう」とは言いませんでした。
あくまで「かわいい!」「おいしい!」を全面に出し、一緒に楽しもうよ!というスタンスを貫き、結果として、野菜を普段買わない層にも響き、「新しい胃袋」に価値を届けることに成功したのです。

卒論では、規格外野菜について付加価値を与えている4つの事例をヒアリングし、論文にまとめました。内容は、「規格外野菜が、地域ブランドを創出しうる」という提言になっています。

農家さんと深く関わるようになり、わたしは大きな違和感を抱くようになっていました。
それは、大学の講義で語られる農業と、実際に畑で出会った農家さんとのギャップ。
講義では、日本の農業は課題だらけだと学んでいました。
高齢化、低所得、食料自給率の低さ…まるで農業は「救われるべき存在」であるかのように、問題の対象としてしか捉えられていませんでした。
でも、実際に畑に行くと、そこには、まったく違う光景が広がっていた。
直売所の収穫祭にサークル仲間で参加し、農家さんと一緒に採れたて野菜でバーベキューを楽しんだり、空いた畑で「長靴投げ大会」をして、子どもも大人もはしゃいだり。
お金をかけなくても、年齢や性別の壁を超えて、みんなが心から楽しめる。そんな豊かで、笑顔あふれる時間が、そこにはありました。


畑は、どんな人でも平等に受け入れてくれる。
形が整った野菜も、でこぼこの野菜も、同じように大切に育てられている。
みんな当たり前に、そのままで存在している。
枠からはみ出さないように、自分を押し殺し、偏差値や競争の世界で必死に戦ってきたわたしにとって、これは大きな発見でした。
そうしなければ、価値がない人間だとみなされてしまう。
ずっと、そんな不安と恐怖を抱えながら生きていたんだと気づきました。
でも、畑は違った。
でこぼこしていたって、いい。誰一人として取りこぼされることのない世界。
そこには、存在そのものに価値がありました。
それは、経済的合理性や偏差値のような尺度では測れない豊かさ。
わたしがずっと欲しかった世界が、そこにはありました。

大学3年生になり、卒業後の進路を考えはじめた頃、わたしは心に決めました。
「畑の魅力を伝える人」になろう、と。
そして、「作り手」と「受け手」が対等にありがとうを交換し合えるような世の中をつくりたい。
農家さんの元へ足繁く通い、畑に触れ、知ろうとしているわたしなら、この分野でお役に立てるに違いないと思いました。
就職先として選んだのは、広告代理店・博報堂。
捉え方を変えることで新しい価値を生み出す。博報堂の「生活者発想」というフィロソフィーに惹かれたからです。
でこベジカフェで掴んだ、「作り手」と「受け手」の見えない壁を壊せたという手応え。
それをさらに発展させて、生活者発想で明るい社会を作り出したい。
博報堂で修行すれば、きっとできる。
そんな思いで、エントリーシートや面接で「でこベジ」の活動を猛アピールし、晴れて博報堂に入社できることになりました。
3.魅力を伝えられる人になるべく、博報堂へ

「畑の魅力を伝えられる人」になりたいという想いで入社した博報堂。
同期はおよそ100名。そのうち、ブランドデザインチームに配属されたのは、わたし1人でした。
ブランドデザインとは、企業・商品・個人などの「ブランド」が掲げるビジョンを、「個性」を活かして実現へと導く仕事。
まさに、やりたかった仕事でした。おそらく、わたしの志望動機などを考慮していただけたのだろうと思います。
でも、当時は「ブランドデザイン」が何なのかもわからず、同期もいない環境に不安や戸惑いばかり。
チームメンバーはベテラン揃いで、新人を育成する体制が整っていませんでした。
最初の1ヵ月はひたすらパソコン作業。トレーナーに確認してほしくても、会議などでずっと離席中。わからないことがあっても声をかけられず、しんどい日々が続きました。
でも、実務に携わるにつれ、次第に、この仕事が「天職」だと思えるように。
クライアントとともに、理想の未来を描き、ワクワクしながら進められるこの仕事に、わたしは大きなやりがいを感じるようになっていきました。

担当したのは、ビール、ホテル、自治体、化粧品、日用品、合併企業、地域のお菓子屋、いちごブランド開発など。4年半で20社40ブランド以上のブランドデザインを手がけました。
仕事は深夜にまで及び、終電や、時にはタクシー帰りも日常。

休日は、食と農の社会人サークルにも積極的に関わりました。ここでは、農業系学生団体のOB・OGはじめ、様々なスキルや知識を身に付けた人が集い、次世代の食と農を自分たちの手で面白くしようと活動していました。
わたしは「畑の魅力を伝える人」になるべく、サークルでも農家の視察へ。また、サークル自体のブランド方針を作ったり、見え方を整えるなど、職場で学んだブランディングを実践していました。
休みなくフル稼働する毎日でしたが、この頃は自分の目指す「畑の魅力を伝えられる人」に確実に近づいている実感があった。だから、少々体調が悪くても、疲れていても、がんばれていた気がします。

しかし、仕事で任せてもらえる案件が増え、責任ある立場になった入社3年目のある日。膨大なタスクを抱え込んだわたしのキャパシティは、ついに限界を迎えました。
なんと、目の前に、あるはずのない刃物がふいにひらめき、切りかかってくるという幻想が見えるようになってしまったのです。
ついに、わたし、おかしくなっちゃった…?
絶望しかかったわたしを救ってくれたのは、夫からの超ポジティブな一言でした。
「自分の体のアラートがわかって、よかったじゃん」
そっか、これは体からのサインなんだ。
そこで、しっかり食べて寝るようにしたら、嘘のように症状が消えていきました。
そんなこともありつつ、仕事や働き方に自信がついてきた頃、大きな転機が訪れます。
博報堂では、入社4年目に部署異動をする決まりになっているのですが、わたしもその対象となり、ブランドデザイン部から、マーケティングや戦略を担当するストラテジックプランニング部へと異動することに。
この異動が、わたしの人生をも大きく変えることとなりました。
ブランディングは、理想の状態を思い描き、そこへ向かって「らしさ」を引き出していく、性善説的なアプローチ。
一方、マーケティングは、「人は放っておけば、簡単・便利・楽な方へと流れる」という前提で商品やサービスの販売を設計する、性悪説に近いロジックです。
一概にどちらがいい・悪いという話ではないのですが、わたしにはマーケティングの考え方がしっくりこなかった。大多数の人が求めているからと、簡便で楽なものへの欲求を煽るようなデータ戦略や、マーケティングの手法に馴染めませんでした 。
わたしは広告やCMをつくるためのマーケティングやプランニングを担当していましたが、広告やCMは大きな金額が動くので、クライアントも代理店側も失敗できないという極度のプレッシャーにさらされています。そのため、打ち合わせやプレゼンの場はつねにピリつき、マーケティングのチームでは、楽しそうに仕事をしている人が少なかった。
以前いたブランディングチームでは、目がキラキラしているクライアントを相手に、みな楽しそうに仕事をしていたので、かなりの落差を感じました。

その頃、食と農の社会人サークルでは、代表に就任。100人規模のワークショップを事務局長として企画するなど、学生時代とはまた違った視点で畑に向き合っていましたが、経済的合理性では測れない価値や、畑が持つ魅力をますます感じるようになっていきました。

でも、仕事では本質的な価値よりも目先の数字を追わなければいけない。
畑の魅力を伝えられる人になりたくてこの会社に入ったのに、わたしがやりたいと思っていたことからはだんだん遠ざかっているような気がする。
自分の理想と現実に大きなギャップを感じ、モヤモヤするようになっていきました。
そんなある日、お風呂に入りながらふとひらめきます。
「そうだ、起業しよう」
「畑の魅力を伝えたい」という、わたしの原点。そこに立ち戻り、学生の頃からの夢を、一から自分の手で形にしてみたいと思ったのです。

あの頃にはできなかったことも、会社で様々な経験を積ませてもらった今なら、できる気がする。
もちろんうまくいくかはわからないし、不安もあるけれど、自分の理想に向けてまず一歩を踏み出してみよう!!
起業しようと思ったのには、もうひとつ理由がありました。
わたしはもともと、30歳までに子どもを産みたいと思っていました。仕事をする以前に、一人の人間として、「お母さん」になることへの憧れが強くあったんです。
でも、その夢を叶えるには、当時の働き方では無理があると感じていました。
起きている間はずっと仕事をしていて、自分を整える時間さえ取れない毎日。 コンビニご飯が当たり前で、髪の毛は枝毛だらけ。荒れた肌は高級な化粧品でどうにかごまかし、疲れで体が動かなくなったら頻繁に安価なマッサージ屋さんに駆け込む。
この頃のわたしは文字通り、いのちを削るように働いていた。つねにギリギリの状態でした。

子どもを産む以前に、自分の健康も考えなければいけない状態だったわけですが、それでも、福利厚生の整った大企業を辞める決断はすぐにはできませんでした。高いお給料もいただいていたし、出産後に復帰できる場所があるという安心感もやはり大きかったからです。
そんなとき、知り合いが女性向けキャリアスクールを運営する「SHE株式会社」を創業。わたしの「起業したい」という想いを知ったうえで、こんな提案を投げかけてくれました。
「起業準備の期間限定でいいから、一緒に働かない?」
SHEの掲げる理念は「一人ひとりが、自分の人生に熱狂して生きられる世の中をつくる」。 まさに、わたしの心にど真ん中で響く言葉でした。

まずブランディング講座の講師を引き受け、その流れで基幹事業のSHElikes自体のリブランディングも担当することに。条件面も申し分なく、まさに渡りに船のような出会い。
SHEでの学びやコーチングを通じて、少しずつ自分のビジョンとミッションもクリアになっていきました。
そして2019年1月7日、ついに自分の理想を実現するための会社を立ち上げることに。「お腹からいのちに感動する暮らしをつくる」を理念に掲げた、ブランディングカンパニー TUMMY(タミー)株式会社 を創業しました。

4.畑に学んだ「自分らしさ」の追求

起業後、様々な農家さんのブランディングを担当させていただくようになったわたし。
日々、畑でいのちを育てることに真剣に向き合っている農家さんには、たくさんの大事なことを教わりました。もう、本当に毎日が学びの連続でした!!

なかでも印象的だったことをひとつ紹介します。兵庫県の多品種を育てるぶどう農家「こどもぶどう園 農園くるり」さんが仰っていた、「おいしさの秘訣は、個々のポテンシャルを最大発揮させること」という言葉。

「なるほど、ぶどう一つ一つが持つ本来のポテンシャルを最大限に発揮できるように作られているから、ここのぶどうはこんなにおいしいんだ!」と腹落ちしたのを覚えています。
それから、ふと、こんなことを考えるようになりました。
もしかしたらこれって、人間にも同じことが言えるんじゃないかな?
自分のポテンシャルを最大限に発揮したら、どうなるんだろう?
本来の自分を活かして、輝くことができたら?
みんなが自分らしくいのちを輝かせることができたら、きっと自分も周りも、ものすごく幸せに生きられるんじゃないかな。
ちょうど第一子を授かることができ、産休に入ったわたしは、この仮説をもとにある実験を始めることに。

それは「らしさ」の追求。
「らしさ」を専門的に扱うのがブランディングですから、わたしはもともとブランディングを積極的に自分に取り入れている方ではあったと思います。
創業した初年度には、「お野菜がかわいく見えてしょうがない!」という「自分らしさ」を爆発させる形で、【きゅん野菜専門店「yasaicco(やさいっこ)」】という事業を立ち上げていました。

また、働き方としては、「週1ファーマー」と名乗り、毎週木曜日は農園のスタッフのひとりとして、畑で農作業をがっつりやっていたり。

ブランディングの観点で物事を見られたことが背中を押して、常識に縛られることなく、自分らしく働くことを叶えていたわたし。
でも、まだまだいける。 もっとも〜〜〜〜〜っと、「らしさ」の純度を上げて、自分らしく”いのちを輝かせたい”と思ったのです。

SHEのブランディング講座を担当していた頃、多くの人がブランディング=キラキラした世界観づくりだと誤解していることに気づきました。背伸びして、自分にないものを足していくような。
でも、本来のブランディングってその逆で、不要なものを削ぎ落として「らしさ」を磨くことなんですよね。「純化」という言葉を使っていたのですが、らしさの純度を高めることが大事。
それを、わたし自身が今まで以上に本気で実践してみようと思ったのです。

まずやったのは、自分の生活を根本から見直し、すべての行動を疑うこと。
例えば、毎日はいていたハイヒール。山口県の田舎から東京に出てきたわたしにとって、ハイヒールは女性の象徴のような存在。「社会人としてのマナー」だと思い込んでいました。
でも「これ、本当に必要?」と自分に問いかけてみると、なくてもいいかもと思った。
ハイヒールをはかなくても仕事はできるし、それでもわたしは社会人なんですよね。そんな当たり前のことに気づきました(手放してみると、快適すぎてびっくり!!)。
すると、それまで当たり前だと思っていたことの大半が、実は必要ないんじゃないか?と思い始めました。
日常の自分の選択すべてを疑っては手放し、「自分の心地よさ」を基準に選び直す日々が始まりました。
まずは「やめる」を本気でやる。それまで手放せなかった高級な化粧水をやめてみたり、シャンプー・リンス・コンディショナーをやめてみたり、というように。

自分に必要かどうかを自問しながら、本当に必要なものだけを選んでいくのです。
結果として、リンスやコンディショナーは不要だと気づきました。わたしにとって枝毛を減らすために必要なのは、トリートメント類よりも質のいい睡眠と食事だったのです。
逆に、コンタクトをやめてメガネにしてみたけれど、メガネの自分はあまり好きじゃないと気づいたので、コンタクトに戻した、ということもありました。

大事なのは、誰かや社会が決めた軸ではなく、自分の軸で選ぶこと。
自分の“心地よさ”が基準になれば、迷わないし、後悔もなくなります。
これを続けること、約3年。わたしの人生は激変しました。
会社員時代は仕事だけでいっぱいいっぱいになっていたのに、いつの間にか、仕事も、子育ても、暮らしも、自分の人生も、すべてがうまく回るようになっていた。
いのちを削るように生きていたわたしが、何ひとつ犠牲にすることなく、自分らしく、ごきげんに生きられるようになっていたのです。

5.何ひとつ犠牲にしない働き方を広める
もうひとつ、わたしの人生が激変した大事なポイントがあります。それは、暮らしと仕事の融合です。
TUMMYの創業期、農家さんのブランディングと並行して行っていたのが、オウンドメディア「ハタケト」の運営でした。
畑のそばの豊かな暮らしを紹介するメディアとして立ち上げ、わたしは編集長として自ら全国の様々な農家さんを訪ね、取材しては記事を書いていました。

「理由はわからないけれど、なんだか畑の周りには幸せそうな人が多いぞ」
そう大学時代に思って以来、ずっと畑に心惹かれてきたけれど、それがなぜなのか、自分でもわからなかった。
でも畑にはきっと、豊かに生きるヒントが詰まっているに違いない。
その秘訣を解き明かして言語化したい!と思い、メディアの運営もやってみることにしたのです(現在は愛食メディア「aiyueyo」に形を変えて運営)。
その「ハタケト」の取材を通じてわかったこと。
それは、暮らしと仕事が分断せず、融合していること。これが畑のそばの豊かさの源泉でした。

一般的にわたしたちのくらしは仕事と分断しています。だから仕事が増えると暮らし、中でも食が削られる。
畑では食が仕事と重なるから、食と暮らしが仕事によって侵食されることがない。だから、土台が揺るがないのだと。
その恩恵は、畑専門のブランドの戦略家として働き始めたわたしも体感し始めていました。
畑に関わる仕事をするようになって、暮らしと仕事の両方がぐんと充実していった。しかも、子育てと両立でき、心も体も整っていく感覚がありました。
そう、必ずしも農家でなくても、食と農に近づく働き方ができれば、この充実した生き方を叶えられる。

だからこそ、思ったんです。
この「食と農をつなぐ働き方」をわたし一人で終わらせるのは、もったいない!!
自分の暮らしも大切にしながら、社会ともつながる。
そんな人を、あと300人は増やせるはず!と。
食と農をつなぐ仕事を、暮らしや子育ても大事にしたい方の職業にする。
これが、わたしの新たな目標になりました。

同時期に、わたしの中でむくむくと育つ、もうひとつの想いがありました。
それは、いのちに注がれる愛の循環、という観点から食を選択する人を増やしたい、というもの。
ここまで、全国の農家さんに個別にブランディング支援を行ってきました。 それぞれの「らしさ」を研ぎ澄ませるお手伝いをしてきましたが、想いとこだわりのある農家さんはどなたも根底では共通していると感じてきました。
みな、循環をとても大切にしているのです。
例えば、おいしい豚肉を育てたければ、その豚さんが健康でいられるように、エサにこだわる。
おいしいお野菜を育てたければ、野菜にとっての食である土の栄養をバランスよく、健康にしてあげる、というように。
その食材のいのちが健康であるように祈って、循環を整えるために工夫している。そんな共通点がありました。

これまで個別のサポートをしてきたけれど、共通軸があるのであれば、支援している農園を束ねた販売方法を模索できるのではないか。
そう思い立ち、生産者の想いをまるごと届けるフードカタログギフト「aiyueyo(愛ゆえよ)」を企画・販売しました。

作り手が、愛情たっぷりに育てた食べもの。そのストーリーごと、大切な人にプレゼントする。そんなおいしい愛の連鎖が生まれたら、素敵だなという想いを込めてつくりました。
その後も事業を継続し、ECサイトの展開も考えていたため、カタログの認知を拡大しつつ、メンバーも同時に増やしていく方法を模索。そこで、展示会とクラウドファンディングを実施することにしました。名付けて、「元気玉プロジェクト」。

2022年2月、展示会に来場してくれた全員にお願いし、その場で名乗り出てくれた20人と一緒に実施したクラウドファンディングでは、361人もの方がご支援くださり、目標金額を大きく超える600万円を達成することができました。
さらに、このときのクラファン立ち上げメンバーと一緒に、新たなコミュニティも立ち上げることになりました。それが、現在も続く「aiyueyo(愛ゆえよ)」。「愛食を起点に、自分らしい持続可能な暮らしと仕事をはぐくむ」をミッションとした、自律分散共感型コミュニティです。
aiyueyoは、安心・安全な環境で、自分らしい暮らし方や働き方を試せる実験の場でもあります。

例えば、会社員で3児のママだった女性は、複数のプロジェクトに参加しながら、自分の得意や好きを見つけ直し、それを活かした小さなお商売の実験をコミュニティ内で始めた。そこで手応えを掴み、会社を辞めて独立しました。
食と農をつなぐ働き方をしたいけれど、やり方がわからなかった女性は、aiyueyo内の農家さんのサポートプロジェクトに参加。自分がどう役立てるか模索した結果、会いに行ける距離の農家さんの手が足りない実務をサポートしたいのだと気づきました。彼女は今、旅をしながら、自分に合った暮らしの土地探しを続けています。
こうして、いのちとらしさが循環する生態系のような組織が、少しずつ育っていきました。
aiyueyoのメンバーは現在、約200名。今では、コミュニティ内だけで累計約1500万円が循環するほどに成長しています。 何より、そこに集うのは、ごきげんな人たちばかり。
食と農を通して、農家さんのお役に立ちながら、自分もちゃんと満たされている。
そんな生き方・働き方が、確かに広がり始めているのを感じます。

6.自分らしく、いのちを輝かせて生きる人を世界中に増やしたい
起業から3年が経った頃、わたしは2人の娘のお母さんになりました。
この頃には仕事・暮らし・子育てのバランスがようやく整い、ごきげんなまま、やりたいことができる状態が完成しました。
そして起業から7年が経った今 、わたしは3児のお母さんをしながら、3つの会社を経営するまでになりました。
わたしが立ち上げたコミュニティ「aiyueyo」の経営体制も大きく転換。2025年4月には一般社団法人化し、メンバーが自律的に運営していく組織体へと進化しました。

aiyueyoがある程度手を離れた今、改めて自分がやってきたこと、これからできることはなんなのか、この1年をかけて真剣に向き合いました。
そして、わかったこと。
畑には「いのち」を健やかに育て、一つ一つのいのちが持つ、本来のポテンシャルを最大限発揮させるための知恵があります。
わたしはそんな、畑に学んだ「いのち」を輝かせる知恵を、人間の人生に応用するための翻訳をしているのだなと。
そこで、学生時代から畑に学んできたことをベースに、自分の人生実験や、aiyueyoメンバーに伝えてきたことなどを振り返りながら、オリジナルのメソッドとしてまとめることに。
それが、いのちを削る生き方から、いのち輝く生き方にシフトする手法を体系化した「畑式ライフシフトメソッド」です。

今後わたしはこのメソッドを届けることで、何ひとつ犠牲にすることなく、自分らしくいのちを輝かせて生きる人を世界中に増やしていきたい。
かつてのわたしのように、いのちを削るように生きている人に、いのち輝く生き方に変える方法を届けたい。
それが、残りの人生をかけてやりたいことです。

「世界中に」という言葉を使いましたが、これは決して夢物語ではないと思っています。
「いのち輝く生き方を実践する人」が世界で5人に1人の割合になれば、おのずと世界中に広まると考えているからです。
こう考えるようになったのは、腸内環境について学んでいたからなのですが、人間の腸内には善玉菌と悪玉菌のほかに日和見菌が存在していて、これが全体の7割を占めています。
そして、日和見菌は、善玉菌・悪玉菌のどちらか強い方に味方する性質を持っています。
つまり、残りの3割の中で善玉菌が占める割合が16%を超えれば、腸内環境全体が良くなるはず、ということが言えるんです。
同じように、人間界でも「いのち輝く生き方を実践する人」の割合が5人に1人、20%くらいまで増えたら、世界は自然に変わっていくはず。
だから、まずは「畑式ライフシフト」を広めることで、20%の体現者をつくっていきたい。
そして、人生の最期には、愛のエネルギーが上回った地球を目撃して死にたい。
これがわたし、あべなるみの「いのち輝く生き方」です。

今年はこのnoteでも様々なことをお伝えしていけたらと思っているので、ぜひ一緒に広めていただけたら、とってもとってもうれしいです。
また畑式ライフシフト、何ひとつ犠牲にしない自分らしい生き方メソッドは、講演や企業の研修としても広げていきたいと思っています。そうした機会をお繋ぎいただける方はご連絡ください。(ぜひ!)
とても長い記事になりましたが、最後まで読んでくれて、心からありがとうございました。
それでは、今日もごきげんを耕していきましょう〜!
2026年1月
7度目の起業記念日に寄せて
あべなるみ
謝辞
このnoteはわたし、あべなるみ1人で完成させることはできませんでした。執筆・編集において、プロである松本佳世子さん・渡辺エリナさんの力を大いにお借りして形にすることができました。この場を借りて、本当にありがとうございました。
それぞれ以下の役割で関わっていただいております↓
(文/松本佳世子 文・編集・プロデュース/渡辺エリナ)
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