いま「人間先生」に求められているのは「コーチング」だ。
いま「人間先生」がやるべきことは何か。
それは「知識の提供」では、もはやない。
たんなる知識の提供ならば「AI先生」にまかせておけばよい。いまやAI先生は人間先生よりもあきらかに「物知り」である。何を聞いても答えてくれるし、人間先生が知らない知識もきちんと教えてくれることだろう。
では人間先生がやるべきことは何か。
たとえば、私は英語・日本語・翻訳の先生であるから、私のレッスンでは生徒に日本語や英語の文章を書いてもらう。そして私はそれを詳細に読む。
すると、日本語や英語や翻訳の文章づくりにおいてその生徒にいま何が足りないのか、どんな課題があるのかが、明確にみえてくる。
足りないのは、言葉に関する各種の知識のこともあれば、理解そのものに問題があるときもある。
あるいは言葉以外の領域での問題が見つかることもある。
これらの課題をできるかぎり炙り出し、それに対するコメントを生徒の文章に添削として書き入れたうえ、それを解決するための具体的な方策を提示する。
コメントとしては、具体的な知識を解説するときもあれば、知識獲得のための本などを紹介するときもある。
あるいはトレーニングの方法を提示するケースもある。
生徒の個性は百人百様であるから一人たりとも同じ課題・問題を抱えている人はいない。
それぞれがそれぞれ固有の課題・問題に直面している。
人間先生としての私は、その個性を見抜き、それぞれに最適と考えられるアドバイスを送る。そうした一人一人に合わせた取り組みを長期にわたっておこなっていく。
そうした営みを継続してやっていくと、生徒の英語力、日本語力、翻訳力は伸びる。
もちろん、生徒の潜在力の差やその他の環境の差によって伸びの程度は、それぞれに異なる。
だが、ひとつだけ確実なのは、誰もが間違いなく伸びるということである。
これが、私のいうところの「コーチング」である。
それは「人間を育てること」と同義である。
そしてこれこそが「人間先生」のおこなうべき仕事であると私は考える。
「AI先生」には、これができない。
彼らには知識はあっても、生徒を少しでもよくしてやろうという意欲と愛情がない。
いいかえると、彼らには先生としての「志(こころざし)」がない。
私という人間が関わることで、それぞれの人が持っている心と言葉の潜在能力がもっとも正しいかたちで最大限に花開くこと――これが私の「人間先生」としての究極の目標である。
