新しい英語の学び方 2008年版 (13) IV.センテンスの構造(6)センテンスの組み立て方
つぎに「センテンスの組み立て方」に移ろう。
英語では並べ方が最も重要
センテンスの組み立て方で、なによりも知っておかなければならないのは、英語は並べるだけの言語だということである。
たとえば、もし日本語が並べるだけの言語だとしたら、どうなるだろうか。うえの文章はこんな感じになる。
英語の組み立て方 なにより 知っておかなければならない 英語 並べるだけの言語。
普通の日本語とくらべると、味も素っ気もない。「私 チョコレート 好き」「あなた チョコレート ケーキ どっち?」「インディアン うそ つかない」といった、ドライな感覚。これが英語の感覚の第一歩である。
サブジェクト
では実際にどのように並べるのか。その並べ方についての基本形をみていくことにする。
最初に並べる意味のかたまりは「サブジェクト」(Subject)である。サブジェクトとは、これからそれについて述べるモノやコトのことだ。「インデアン うそ つかない。」だと「インデアン」、「英語 並べるだけの言語。」だと「英語」がトピックである。前の英文例であればMany of the grammatical rulesがサブジェクトだ。「インデアン」というサブジェクトについて、「英語」というサブジェクトについて、“Many of the grammatical rules”というサブジェクトについて、これからなにかを述べるのである。
プレディケイト
サブジェクトを示したあと、それについて何かを述べる。何かを述べるためにまずサブジェクトを示したのだから当然だ。「インデアン うそ つかない。」だと「うそ つかない」「英語 並べるだけの言語。」だと「並べるだけの言語」が、それにあたる。この「なにかを述べる」意味のかたまりを「プレディケイト」(Predicate)という。
モディファイア
実際のセンテンスでは、サブジェクトとプレディケイトに、さらに詳しい説明を加える意味のかたまりが後ろに付加されることが多い。これが「モディファイア」(Modifier)である。
もういちど、最初の例文をみてみよう。
Many of the grammatical rules that some among us like to invoke are not linguistic fact, but classroom folklore, invented by eighteenth-century grammarians out of whole cloth, repeated by editors unwilling to determine whether those rules comport with reality, taught by teachers who teach what textbooks tell them, and ignored by the best writers everywhere.
アンダーラインで示されたところがモディファイアにあたる部分である。みてのとおり、サブジェクトやプレディケイトに付加されるモディファイアもあれば、そのモディファイアの後ろにさらに付加されて詳しい説明を加えるモディファイアもある。
英語のセンテンスはこの3つの種類の意味のかたまりから構成される。たとえば上記のセンテンスであれば以下のように表現できる(SubjectはS、PredicateはP、ModifierはM/mとする)。
S(+M(+m))+P(+M)+M(+m)+M(+m) +M(+m)+M
組立て方の骨格
ここからモディファイアをすべて除いた以下のかたち、すなわち「サブジェクト+プレディケイト(S+P)」が、英語のセンテンスの基本である。人間でいえば骨格にあたる部分だ。たとえどんなに複雑なセンテンスでも、あらゆるモディファイアをはぎとって最後に残るのが、このS+Pなのだ。上記のセンテンスでは以下のようになる。
Many are not linguistic fact, but classroom folklore.
S+P C (S)+P
骨格S+Pにモディファイアという「肉」をつけて英語のセンテンスは完成する。その代表的なかたちがS(+M)+P(+M)+Mだ。
だが「肉」(モディファイア)のつき方は千差万別である。ほとんど筋肉のついていないやせこけたセンテンスもあれば、筋肉がたっぷりとついたマッチョなセンテンスもある。あるいは肉といっても贅肉ばかりの肥満体センテンスもある。
どのようなセンテンスがよいかといえば、良質の筋肉が適度についたセンテンスがよい。私たちが英語を書くときにも、そうした引き締まったセンテンスを書くように努めるべきである。
S, P, Mの実際
つぎにサブジェクト、プレディケイト、モディファイアの実際のかたちについて考えてみよう。
もっとも簡単なかたちのセンテンスは、S、P、Mともに語(Word)というものである(例 Birds sing merrily.)。だがこうしたシンプルなセンテンスは実際にはきわめて少ない。通常のセンテンスでは、語ではなく句(Phrase)や節(Clause)が数多く用いられる。複雑な心の動きを言葉として表すには、言葉のかたちもある程度は複雑なものにならざるを得ないのだ[1]。
たとえば上記のセンテンスでもモディファイアのかたちとして前置詞句(of the grammatical rules, out of whole cloth)、分詞句(invented by eighteenth-century grammarians、repeated by editors, taught by teachers, ignored by the best writers)、代名詞節(that some among us like to invoke, teachers who teach what textbooks tell them)などの複雑なかたちが使われている。
こうして思考の複雑さが増すほどに、センテンスも複雑さを増すことになる。「英語が読める」とは、読みの流れのなかで、こうした複雑なセンテンス構造を的確に予測し、よどみなく読み取れる「心の構え方」ができているということにほかならない。
並べ方を変える
この節の最初に英語は並べるだけの言語だと述べた。これを別の観点からみると、その並べ方を変えるとセンテンスの持つ意味がなんらかのかたちで変化するということでもある。まず簡単なセンテンスで説明しよう。
I played tennis yesterday. → Yesterday, I played tennis.
モディファイアであるyesterdayの並び順をセンテンスの最後から最初に移したことで、テニスをしたのは(たとえば今日でも一昨日でもなく)昨日であったことを強調している。センテンスに新たな意味が加わったのである。
もっと複雑なかたちをした実例をWilliamsのStyleからいくつか紹介しておく。
1-a. The data that are offered to establish the existence of ESP do not make believers of us for the most part.
1-b. For the most part, the data that are offered to establish the existence of ESP do not make us believers.
1-aと1-bでは、for the most partというモディファイアの位置が異なっている。これは、1-aのようにfor the most partをセンテンスの最後に置いてしまうと中核的内容であるthe data …do not make believers of us /do not make us believersの部分のインパクトが弱まってしまうため、1-bでは意識的にfor the most partの位置をセンテンスの最初に並べかえたのである。
また以下の2-aと2-bのように同様の効果を狙うためサブジェクトとプレディケイトの並べ方を逆にするケースもある。
2-a. Those questions relating to the ideal system for providing instruction in home computers are just as confused.
2-b. Just as confused are those questions relating to the ideal system for providing instruction in home computers.
さらには以下の3-aと3-bのようにS(+M)+Pという並べ方をS+ P (+M)という順に並べ変えてしまうことさえある。
3-a. A discovery that will change the course of world history and the very foundations of our understanding of ourselves and our place in the scheme of things is imminent.
3-b. A discovery is imminent that will change the course of world history and the very foundations of our understanding of ourselves and our place in the scheme of things.
このように意味のかたまりの並べ方をさまざまに変えることで伝えたいニュアンスをより的確に表そうとするのが、英語のセンテンスの特徴のひとつである。
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<コラム>
日英の並べ方の違い
ところで英語では前から順番に理解していけばよいのだが、日本語ではそうはいかない。日本語でもサブジェクト(主題)は最初に置かれる[2]のだが、それに対するプレディケイト(述部)が置かれる場所は、文のいちばん最後と決まっているからである。そのため日本語では最後に置かれる「中核説明」が決まるまで文の意味が最終的に決定しない。
たとえば「インデアンはうそをつかない。」という文をみてみよう。たしかに「インデアンはうそをつかない。」であれば「うそをつかない」が中核説明になる。
だが「インデアンはうそをつかないとは思えない。」ならどうか。この場合の述部は「とは思えない」となる[3]。あるいは「インデアンはうそをつかないとは思えないのが普通だ。」なら、述部は「普通だ」である。つまり日本語では「。」がくるまで、文の意味はいつまでも決まらないのだ。
この日本語と英語の並べ方の違いは、きわめて重要である。日本語の場合には述部がきてはじめて文は終わる。逆にいうと主題と述部のあいだにあまりに多くの補足説明を入れるとその文は理解不能になる。いっぽう英語の場合はサブジェクトやプレディケイトの後ろにモディファイアが続くから、それらがかなり多くが続いても理解不能になることはあまりない(といってもやはり限度というものがあるが)。
したがって日本語の文は必然的に短いものにならざるを得ない。言い換えれば、日本語は短い文を積み重ねていくことに適している。いっぽう英語はかなり長いセンテンスを許容できる。言い換えれば、英語では短いセンテンスは工夫が足りないとみられがちだ。そのため、英語の知的なセンテンスは一般的にかなり長くなる。
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[1] ただしセンテンスが複雑だからといって心が複雑とは限らない。単に表現力がなくて混乱しているだけなのかもしれない。理想をいえば、たとえ心は複雑であっても、言葉はできるかぎり簡潔でわかりやすくありたい。
[2] ただし省略されることが多い。
[3] 主題は省略されている。
