井伏鱒二の『厄除け詩集』
翻訳文というものに対して強い拒否反応を示していた私にとって、中野好夫や井伏鱒二の翻訳との出会いは、のちに翻訳業を選ばせた大きな要因となっている。
なかでも井伏鱒二の『厄除け詩集』は、特に印象に残っている作品のひとつである。同詩集には漢詩の訳詩が多く掲載されており、たとえば「花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」は井伏訳の一部である。
井伏訳の特徴は、それがまったくの「意訳」であることにある。この自由闊達さが、井伏訳の醍醐味のひとつといえる。翻訳者にとって井伏訳を読むことは、意訳というものの面白さを十分に満喫できるという点だけでも、十分な価値がある。
「厄除け詩集」のなかから、張九齢「照鏡見白髪」の訳をご紹介する。まず原文、それから読み下し文、そして井伏訳である。会津八一の短歌的訳、筆者の拙訳も、お載せする。皆さんも意訳にチャレンジされてみてはいかがだろうか。
(2001年10月)
照鏡見白髪 張九齢
宿昔青雲志
蹉躓白髪年
誰知明鏡裏
形影自相憐
(読み下し文)
宿昔ノ青雲の志
蹉躓タリ 白髪ノ年
誰カ知ラン明鏡ノ裏
形影自ラヲ相憐レムコトヲ
(井伏鱒二訳)
シュッセシヨウト思ウテヰタニ
ドウカウスル間にトシバカリヨル
ヒトリカガミニウチヨリミレバ
皺ノヨッタヲアワレムバカリ
(会津八一訳)
あまがけるこころはいづくしらかみの
みだるるすがた
われとあいみる
(筆者訳)
いつかひとかどの人物になるのだと
若い頃にはずっと思っていた
けれどつまずきながら暮らしを重ねるうち
もうこんな歳になってしまった
洗面台の鏡に映る少しくたびれた中年男
あたまには白いものが目立つ
蛍光灯の光に浮かび上がるその顔に
苦笑いしながらそっと挨拶をおくる
