英語学習は読み書き重視か、会話重視か(1)
英語教育論争の論点のひとつに、英語学習では読み書きを重視するのか、それとも会話を重視するのか、というものがある。
これはある意味では正しい論点ではないことは明らかである。なぜなら読み書きも会話もいずれも大切だからである。どちらかだけでよいわけがない。野球に例えれば、バッティングが優先か守備が優先かといっているようなものだ。そして、この2つの能力は本来的には密接に関連しているものである。
私が読み書きを重視する理由とは
ただ、それでもこの「読み書きか、会話か」という議論はいまも絶えることがない。そしてその多くが読み書きよりもまず会話を重視すべきだというほうの意見であり、それが英会話ブームへとつながっている。
そこで、ここでは敢えて私が会話よりも読み書きのほうを重視するべきだという論陣を張り、その論拠を以下に4つ挙げておきたい。
なお補足しておくと、正しく読むためには正しい英語音声の習得は必須であり、読み書きを重視するということのなかには(会話と同様に)英語音声の習得を重視することを含んでいることを申し添えておきたい。
実利性
読み書きのほうが優先すべきその第一の理由は、実利性である。グローバル化が急速に進む現在、英語の高度な読み書き能力は、もはやビジネスや学問の必須条件となった。英文を速く的確に読み、説得力ある英文を書くことできなければ、質の高い仕事はもはやできない時代になりつつある。
いっぽう、会話にはそうした重要性はない。時として海外旅行などで英語での会話が必要となるケースもあるのかもしれない。だがそれはあくまで非日常的な事態にすぎない。日常のなかで英会話が必要となる状況など日本ではまず考えられない。
ようするに英会話よりも英語の読み書きのほうが私たちの生活にとってはるかに現実的に役に立つということである。
効率性
第二は、学習の効率性である。そもそも会話とは学習するものではなく現場の実践のなかで慣れていくものである。英語が日常的に用いられている状況に入らないかぎり会話力を向上させることは基本的に無理である。逆に、そうした状況のなかにいれば会話力は自然に向上する。
いっぽう、読み書きの力は学習を通じてのみ向上するものであり、自己流で読み書きの力を向上させていくことはきわめて効率が悪い。英語を学習するのであれば、読み書きを中心に行ったほうがはるかに効率がよい。外部からのチェックや指導も受けやすい。
内容の充実
第三は、内容面である。たとえビジネスや学問に関するものであっても、会話の内容は、基本的に狭くて浅いものでしかない。ましてや、単なる日常会話で深い内容の意見を交換するなど、ほぼ不可能である。
いっぽう、読み書きでは、深く広い情報や意見を交換することが可能となる。英語の読み書き力を磨いていくことで、これからのグローバル時代に対応できる知性や教養を育てていくことができる。
読み書きができれば、会話はできる
そして第四は、基本的に読み書きの能力(ただし英語音声を含めた本物の読み書き能力)は、会話の能力をすでに包含しているということである。つまり、本物の英語の読み書きの能力を身につけてしまえば、標準的な英語会話はできてしまうということである。
もちろん、まるでアメリカ人のようになめらかで自然な英語会話をおこなうにはそれだけでは足りない。しかしそもそもそんな能力は日本で英語を勉強しているかぎり、あるいは、たとえアメリカやイギリスで英語を勉強したところで、身につくことはない、また身につける必要はない。
それよりも、正確に、ロジカルに、世界の誰でもわかるように、英語を話すことが、私たち日本人にとって重要である。そうした会話力であれば、読み書きをしっかりと勉強すれば、私たちにも習得可能である。
☆☆☆
読み書き重視に対する反論
だが、上に挙げたような会話よりも読み書きを重視すべきだという論には、いくつもの観点から批判がなされている。
読み書き重視に対する疑問1:読み書き教育はこれまで成果を挙げてこなかったのではないか
第一の批判は、日本ではこれまで読み書き重視の英語教育を行ってきたにもかかわらず、十分な成果をあげてこなかったではないかというものである。
しかし、この批判はつぎの2点において間違っている。
第一に、これまでの日本の英語教育は、本当の意味での読み書き重視の英語教育ではない。「読み」については英文和訳という「暗号解読」にすぎず、「書き」にいたってはじつは何も行ってきていない。ようするにかつての文法解読方式は、あくまで「擬似」読み書き重視教育であったにすぎないのである。
第二に、1980年代以降にはそうした「擬似」読み書き教育さえも行わなくなり、会話重視へと日本の英語教育は大転換をしてしまった。しかしその結果日本人の英語力が伸びたかというと、そんなことはない。つまり「擬似」読み書き重視であろうと会話重視であろうと、いずれにおいても、日本の英語教育は十分な成果を挙げてきていないのである。
(つづく)
