組織に「アイ」をふるまう。
愛社精神。
近頃めっきり聞かなくなった。
エンゲージメントというのは大流行りしている。
僕は「愛社精神」が好きではない。
まず、言葉の圧が強くて引いてしまう。
また、「愛」と「精神」の重ねがけにも胃もたれがするし、そのうえ我慢のにおいがする。
さて、昭和から続いた「終身雇用」も崩れ去ってしまった。組織が先にその覚悟をほっぽりだした。
「会社」は言葉をもたないから、変わりに細胞である僕らがふるまっている。
「ビジネス」という言葉はひんやりしていて会社の温度を奪い、組織は冷めてしまったかも。
上司や同僚との限られた小さな関係性が「組織」として語られる。職場でいうと隣のとなりくらいまでだろうか。
ましてや「会社として」は、限られた人の多数決。不可思議なもんだと感じる。
それでも、組織に愛は不要と言い切るのはさびしい。
愛、自由、正義。
強い言葉は定義もバラバラ、ものさしもチグハグで、口にするのも少し恥ずかしい。
その凝り固まった「あたりまえ」同士は争いの種になることも多い。けれど、何か大事な予感だけはしている。
わからないから、わかりあい。
だから、きっと会社には対話が要る。
聞く耳を持ち続けること、ものを言い続ける口、そんな心の余白。
共感なんて超能力はもう諦めて、話しかけてみようか。
「それは、あの人に聞くといいよ」
「あー、伝えられていなかったか」
「こんなに熱い人だったのか」
あたりまえが、
溶けていく。
独りでは成せないことをしようとしている。
先輩が引退しても、彼女が退職しても、僕が居なくなっても、テセウスの会社として持続してほしい。
人と、人が、人のために仕事している。
それは、言葉とふるまいで納得を編んでいくことじゃないか?
ビジネスだけど、これは生活である。
彩れるほうがいい。
愛社精神なんて、きっと要らない。
言葉とふるまいに「人」をこめて、いつのまにやら「時が経ったね」と、はにかめればいいな。
そうこう書いていると
対話(taiwa)の中にaiの音をみつけた。
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