自分のためには頑張れない。
面接で「勉強が好きなんですね」と言われることがある。
「はい」と答えればよいのだろうが、実際、勉強は好きではない。
「役目が場づくりですから、勉強しないと従業員に申し訳が立たない思う」そう答える。
とても微妙な反応をされる。実際、面倒なやつだと私も思う。
しかし、好き嫌いは大切な感情なので、あまり嘘はつきたくない。
何が好きで、何が嫌いか、という感覚が鈍る気がするから。
本当に面倒くさいやつだと思う。
私は自分のためには頑張ることができない。
情けは人の為ならず、結局は自分のためになるのだから、全て自分のためだと云う人もいる。それは辻褄としてはわかる。
しかし「自分」を主語にして行うことは、甘やかすことくらいである。
三日坊主という言葉もあるのだから、自分のために頑張れない人も多いのかもしれない。
1人用の食事をつくるときは、かなり酷い。人様に見せられるものではなく、自炊とは云えない状態である。
その点、仕事は「誰かの役にたつから」お金をいただけているではないか。誰かのために働いている。結局は人のためにしか働いていない。だから多少は頑張れる。冒頭の勉強もそうだ。今ある問題や課題、誰かの役に立つかもしれないことは勉強する。しかし「自己研鑽」では息切れする。
果たして、人は自分のために頑張れるのだろうか。1人用の自炊を頑張れるやつはそうかもしれないが、「好き」というほうが近いのではないかと思う。
もし、自分のために頑張れないとしたら、会社や家族などの「関係性」の中にいないと、どんどん堕落していくかもしれない。
自分のために頑張れない人は、正気でいるために「関係性」の中にいることが大事なのかもしれない。
結局は自分に返ってくるのだろう。それはそれとして、頑張れない自分を責めるより、頑張ることができる「誰か」を思うほうが良いのだと思う。
誰かのためなら頑張れるかもしれない。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
スキ、フォローなど、足跡を残していただければ幸いです。
いいなと思ったら応援しよう!
缶コーヒー1本で勇気づけられることがある。おやつ1つで余裕ができたりする。投稿を「いいね」と感じたら、そんなチップを、僕ではない、あなたの半径5mの人にしてみてはいかがでしょうか。