日本の現代美術の文脈に迫る~展覧会「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」@国立新美術館
最初に現れたのは、観客を本編へいざなう通路のような長細いスペース。そこに足を踏み入れた瞬間、明るい青が、続いて黄色が目に飛び込んできました。クリストの〈アンブレラ計画〉(1984-91)のためのドローイングです。


クリスト《アンブレラ、日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト》1987年(右:日本)
このプロジェクトは1991年10月に茨城県で実施され、私は仲間が出してくれた車に便乗し、現地をドライブしました。高さ6m、直径9m近くある正八角形の傘ですが、車窓から見えるのは側面のためおおかた三角形で、それが道を進むにつれてぽつりぽつりと現れるといった具合。この時目の当たりにした光景は、それまで目にした作品のスタイリッシュなイメージとは異なるものでした。クリストが提示したドローイングは主に鳥瞰図です。傘は比較的密に描かれていましたが、高台に行っても、期待した眺めは得られず……。
あくまで想像ですが、クリストは地図と照合しつつ、人々にアピールする見栄えのよい鳥瞰図を描出したのかもしれません。すなわち、鑑賞者が同じ光景を見られるかどうかは二の次だったのではないか、と。真偽のほどはわかりませんが、このプロジェクトを通して、体験しなければわからないことがある、と心に刻んだことを今も覚えています。
1980年代になると、このように海外のアーティストが来日して活動するようになりました。ナムジュン・パイクとヨーゼフ・ボイスのパフォーマンスはその一例です。まだパフォーマンス自体が目新しかったため、日本のアーティストに多大な影響を与えたことでしょう。


また、当時開催されるようになった現代美術展は海外の作家・作品を紹介するものが中心でした。が、そこから背中を押されるように日本のアーティストの勢いも増していきました。
そうした中、現代美術の動向を紹介する「オルタナティヴ・スペース」が登場。解説にあった通り、都内だと「佐賀町エキジビット・スペース」が第一に挙げられるかと思います。ちなみに、私にとって身近だったのは「東高現代美術館」と「スパイラル」でした。
1989年〜2010年の日本で生まれた現代美術を紹介する「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」の「プロローグ」では、上述のような前史としての80年代を垣間見ることができました。特に、ボイスが東京藝術大学で行った「伝説の授業」の黒板(厳密にいえば作品ではない)が展示されたところに、キュレーターの力の入れようがうかがえました。
私は本展の特徴は三つあると思います。一つは、アシスタントを含む6名のキュレーターが参画し、その半数を香港の「M+」のメンバーが占めていたこと。海外の視点が加わることで、日本の現代美術の文脈がより鮮明になった側面があるのではないでしょうか。
二つ目は、現代美術の現場を記録してきた写真家・安齊重男のコレクションがリアリティを支えていることです。(もちろん作品としても見応え十分です。)


私事ですが……私が現代美術に出会ったのも、本展の起点である1989年でした。舟越桂、ジャン=ミシェル・バスキア、ロバート・メイプルソープなどなど。とりわけ鮮烈な印象を残したのが、翌年出会ったコンプレッソ・プラスティコ(「レンズ3」で小沢剛とのコラボ作品を展示)でした。90年秋、私の勤務先の先輩が松屋銀座で行うアート・イベントのために、ヴェネチア・ビエンナーレ(アペルト)に出品したばかりの彼らに依頼し、インスタレーションを作ってもらったのです。映像と音楽とさまざまな音が複合的に響き合うその作品が、私が初めて経験したインスタレーションでした。
というわけで、本展は、私が手探りで追い続けた日本の現代美術をおさらいし、見たものはもちろんですが、それ以上に見逃したものは何だったかを知り、知識・経験を更新する好機となりました。
*
プロローグに続く「イントロダクション:新たな批評性」では、まず椿昇《エステティック・ポリューション》の黄色い巨大オブジェに圧倒されました。海底に生息する謎の生物のようにも、海にうち捨てられた物体に海洋生物や浮遊物がびっしりこびりついたかのようにも見える生々しい有機的造形と、均一に塗られた塗料のいかにも人工的な色彩のコントラストに思考が揺さぶられました。

環境破壊への警告を含むとされる本作のように、このコーナーでは、1989年に現れた批評性をはらむ表現が紹介されました。
また、同年のベルリンの壁崩壊に象徴される東西冷戦の終結は、フランスの哲学者リオタールが説いた「大きな物語の終焉」と重なり合うとされています。リオタールによれば、普遍的な価値観が崩れた状況下で、人はそれぞれの小さな物語を生きるようになっていく。それを反映するように、現代美術の世界でも個人の日常に根差す表現が生み出されました。ここではこうした作品も取り上げられました。
ちなみに、私にとって最も懐かしかったのは中原浩大《レゴ》。久々に観られて特に嬉しかったのが柳幸典《ザ ワールド フラッグ アンド ファーム 1991-アジア》でした。



*
1989年はまた昭和が終わった年でした。次の「レンズ1:過去という亡霊」においては、昭和を語る上で避けられない戦争、核、植民地支配に向き合い、歴史を問い直す作品が取り上げられました。
ヤノベケンジ《コンタミネイティッド・アトムスーツ》の実物を観るのはおそらく初めて。近寄ってしげしげと見入ってしまいました。

左右の画像はチェルノブイリで行われた〈アトムスーツ・プロジェクト〉

それから、とりわけ注目したのは下道基行〈torii〉シリーズと、米田知子〈Japanese House〉シリーズ。どちらも日本の植民地主義をポストコロニアルな視点で浮き彫りにした作品群です。
下道の〈torii〉シリーズでは、鳥居がサハリンやサイパンなどにもあったのかと認識し驚くと同時に、台湾で鳥居がベンチ代わりに使われている光景にふっと笑いがもれてしまったり。目の付けどころが興味深く思われました。



また、米田の〈Japanese House〉の日本、台湾、西欧が混ざり合うインテリアからは、日本統治時代の台湾に居住した日本の役人や国民党幹部らの暮らしに、和洋中の折衷スタイルが浸透していたことが伝わってきました。ただよく観察すると建築は「和」と「中」の折衷ですが、壁紙やカーテンなどの装飾物は「洋」が目立ち、部屋の雰囲気に大きく関わっていることが見て取れます。生活の場に投影された当時の価値観をすくい取った米田のまなざしの繊細さと鋭さが感じられました。



米田知子〈Japanese House〉より《日本統治時代に設立された台湾銀行の寮、後の中華民国中央銀行職員の家(齊東街・台北)》2010年(右)
*
冷戦終結後の小さな物語が主流となった時代は、折しもグローバル化と高度情報化社会への移行が進んだ時代でもありました。世界レベルで文化の均一化が広がる一方、アイデンティティを問い直す動きも起こりました。「レンズ2:自己と他者と」では、1990〜2000年代に登場したジェンダー、フェミニズムを扱う作品に加えて、オタク文化などのサブカルチャーやインターネットカルチャーなどを取り込んだ作品が展示されました。
本コーナーで私が最も気になったのはダムタイプです。
本展には映像作品(記録映像を含む)がずいぶんありましたが、鑑賞にどうしても時間がかかりますよね。たいていはしばらく観て切り上げますが《S/N》はどうしても全編観たく、日を改めてもう一度来場しました。
本作の主要メンバーである古橋悌二のHIV感染の告白というモチーフは既知だったものの、テーマはジェンダー、セクシャリティに留まらず、ダイバーシティに及んでいることを知りました。今観ても心に響く、先駆的かつ先鋭的なパフォーマンスです。

また上述の作品に加えて、海外のアーティストが日本で作った作品も登場しました。アーティスト・イン・レジデンスを含め、そういった作品が含まれている点も本展の特徴(三つ目の特徴)に数えられると思います。
なかでも特筆すべきは、青山・原宿エリアを舞台にキュレーターのヤン・フートとワタリウム美術館が実施した「水の波紋'95」でしょう。屋外に展示された作品を地図を手に歩いてみつけるという、今日の芸術祭に通じる先駆的企画でした。うろ覚えですが、30日間の会期中私が行ったのは2日間だったと思います。細い路地に入ったりしながら作品を一つひとつ歩いて探すので、たくさんは観られませんでしたし、正直なところ、ようやくみつけた作品がおもしろいと思えず、がっかりしたことも……。ですが、街に入り込んで街そのものを発見しながら作品を観るという鑑賞の仕方はおそらく(少なくとも都内では)過去になく、作品展示の新たな地平を開いたといえるように思います。
海外アーティストの作品で目を引いたのは、イ・ブル《受難への遺憾―私はピクニックをしている子犬だと思う?》。このパフォーマンスは父親への異議申し立てで、「自由な動きを阻む社会の規範や障壁と格闘する女性の切実さを表現している」そう。肉厚で奇妙な形をした動きにくいコスチュームに、女性が守るべきとされる不文律を重ねているようです。それにしても、これを着用して韓国から成田へ飛び、さらに都内を移動したという彼女の実践は、移動しただけといえばそれまでですが、なかなかできることではありませんね。パフォーマンスを行うには、心臓の強さが欠かせないようです。


パフォーマンスで着用したコスチューム
アニメ「攻殻機動隊 Ghost in the Shell」の二次創作のような映像作品も興味深かったです。同一キャラクターをモチーフにした5名の作品が上映されましたが、「攻殻機動隊」の影響力の大きさを再認識しました。これは一度は観なければ……。(実は観たことがないんです。汗)

*
最後は「レンズ3:コミュニティの持つ未来」。フランス人キュレーターの二コラ・ブリオーが自身の企画した展覧会を基に著した『関係性の美学』(1998年)が影響力を有し、1990年代後半から2000年代前半にかけて、鑑賞者の介入を促す作品や、鑑賞者同士の間にコミュニケーションを生み出すようなアート・プロジェクトの実践が盛んになりました。そうした海外の動向と呼応するように、日本でも地域コミュニティと関わりながら展開されるコミュニティ型のアート・プロジェクトが主に美術館の外で実施されるように。2000年から広まった「越後妻有アートトリエンナーレ」などの地域芸術祭もそれに当たります。本コーナーでは、こうしたコミュニティとの関わりから新たな関係性を生み出すプロジェクトが取り上げられました。
小沢剛〈ベジタブル・ウェポン〉シリーズは、《さんまのつみれ鍋/東京》を図版で目にしたことはあったものの、世界各地で行われたプロジェクトだとは知りませんでした。撮影の場となった各地域の食材で「銃」を作り、撮影が終わると参加者はそれで鍋を作って皆で囲む。ユーモアに溢れていますが、小沢は実践を通じて参加者に戦争について考えてもらうことを期待しているのでしょう。加えて私には、本シリーズが根強い性別役割分業意識を映し出しているようにも見えました。被写体は全て女性です。女性は料理に象徴される家事と闘う役割をまるで当たり前のごとく担っている、と示唆しているかに映りました。あるいは、そのような役割を強いる社会規範と闘う姿を表現しているのかもしれません。



初めて観られて嬉しかったのが西京人の作品です。ユーモアいっぱいで、とても楽しい!

なぜか写真を撮り損ないました汗
あと、島袋道浩(SHIMABUKU)の作品もあまりじっくり観た記憶がなかったので、新鮮な気持ちで楽しめました。島袋のプロジェクトを捉えた映像は、彼の人柄なのかどこか温かみが感じられ、次第に応援したい気持ちが湧いてきました。今後も注目したいと思います。


長くなりましたが、以上、備忘録として記しました。1989年〜2010年の動向については、私が認識している事柄を加味しつつ、自分なりのまとめ方を試みています。感想やコメントは初めて知った作家・作品を中心に付しました。取り上げたい作家・作品はもっともっとあるのですが、今回はこの辺で……。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
〈参考〉
「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」展覧会図録
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします!いただいたチップは、書籍代などに使わせていただき、より魅力のある記事を目指してまいります!