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聖書に編纂されなかった「トマスによる福音書」そして、そのトマスという名に隠された意味は

世界の人口の約30%を占めるキリスト教。その信仰の中心にあるのが『新約聖書』です。

ただ、キリスト教の始祖であるイエス・キリストが、この新約聖書を携えて布教活動をしていたわけではもちろんありません。

イエスは、ユダヤ教の伝統の中で、律法の核心を「神を愛すること」と「隣人を愛すること」として説きました。(マルコによる福音書12章30~31節)

それでは、イエス・キリストの生涯・死・復活を記した四福音書、使徒の働き、パウロ書簡などが収められた『新約聖書』は、いつ成立していったのでしょうか。

新約聖書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる4つの福音書が収められています。このうちマタイ、マルコ、ルカの3つは、記述内容が類似しているため共観福音書と呼ばれます。一方、神秘的で霊性に満ちた特色をもつのが『ヨハネによる福音書』です。(「福音」とは「良い知らせ」を意味し、神の王国とイエス・キリストへの信仰による救いを伝えています。)

でも、実は、福音書を書いたのはこの4人だけではないことをご存知でしょうか。聖書に含まれなかった福音書は現在、外典と呼ばれ、信仰の基準とはされませんが、歴史的・霊的な資料として注目されています。その中でもとりわけ重要なのが『トマスによる福音書』です。

『トマスによる福音書』は、古代の教父たちの著作を通じて存在が知られていましたが、その内容が明らかになったのはごく最近の1945年、エジプトのナグ・ハマディで発見されたコプト語写本によってでした。学術的な研究が進むにつれて、この福音書が『ヨハネによる福音書』と類似点を持ちながらも、大きな違いがあることが明らかになってきました。

その相違点を語る前に、まず初期のキリスト教がどのように広まっていったのかを振り返ってみましょう。

イエスが十字架刑に処されたのは、紀元30年または33年ごろ、古代ローマ・ティベリウス帝の時代とされています。かなり昔のイメージがありますが、伝説の時代ではなく、文献や考古学資料によって歴史として検証可能な時代です。

当時のローマ世界は、ローマの神々やギリシアの神々を崇める多神教でした。例えば、病気になればギリシアの医神アスクレピオスに助言を求め、人生において守護と祝福を得るには、エジプトの女神イシスに祈っていたのです。ただし、これらの神々には多額の寄付が求められました。

しかしながら、唯一の神を父と呼ぶキリスト教では、互いを兄弟と呼び合い、無償の愛を分かち合いました。共同基金に自発的に献金し、貧しい者や病んだ者を助け、時には死をもたらす病ペストさえも恐れず治療し、もし感染したとしても死を乗り越えられるとさえ信じていました。このような振る舞いが、多くの人を惹きつけたのです。

キリスト教で行われる洗礼の儀式は、この当時よりすでに行われていたようです。新しい人間となり神の家族に入るために、水に浸かることで、死と復活を象徴したのです。

もっとも、キリスト教信者は「伝統的な神々や皇帝、法律に背く者」と見なされ迫害の対象でした。ゆえに、改宗することは、自殺行為でもあり、自分の生まれ育った家族を捨て、その価値観や慣習を拒絶することでもありました。(ちなみに、磔刑が差し迫った脅威であった当時、十字架がシンボルとして使われることはまだありませんでした。)

それでも、キリスト教に改宗する人が後を絶たなかったのは、それだけローマの社会が、悪徳や憎悪があふれ、貪欲で自堕落な腐敗した社会であったからでしょう。

この初期のキリスト教の諸集団は、世代を越えて激しい迫害を乗り越えながら、自らの信仰を信条としてまとめ上げるまで、ほぼ3世紀の間、さまざまな学派がそれぞれ独自のやり方で新参者を受け入れており、幅広い多様性を持っていました。そのうちの一つが十二使徒の一人であったトマスの教えを支持するグループでした。

『トマスによる福音書』には、正典の福音書のようなイエスの生涯や奇跡、受難の物語はなく、114のイエスの言葉が並んでいます。その多くは「神の国はあなたの内にある」といった表現で、真理や救いを自らの内面に見出すという神秘的傾向が強調されています。

イエスは言われた:
「もしあなたがたが自分の内にあるものを光のもとに出すなら、その光のもとに出されたものがあなたがたを救うであろう。
もしあなたがたが自分の内にあるものを光のもとに出さなければ、光に出されなかったものがあなたがたを滅ぼすであろう。」
Yeshua said: When you bring forth that within you, then that will save you. If you do not, then that will kill you

トマスの福音書70話
The Gospel of Thomas / JEAN-YVES LELOUP  
(日本語訳は、Elaine PagelsとMarvin Meyer の英訳版のイタリア語訳から行いました)

そして、トマスという名前は、本名ではなく周りから呼ばれていたニックネームでした。それは、イエスが話していたと思われるアラム語で「双子」を意味します。彼の本名は、ユダ(イエスを裏切ったイスカリオテのユダではない)であったと伝えられていますが、あだ名で知られていたため、ギリシア語に翻訳された時にもギリシア語で双子を意味する「ディディモス」と呼ばれたのです。

トマスの福音書には以下のようなイエスの言葉があります。

イエスは、言われた:
「わたしの口から飲む者は、わたしのようになり、わたしもその者のようになる。そして、その人に隠されていたものが明らかにされるであろう。」
Yeshua said: Whoever drinks from my mouth will become like me, and I will become them, and what was hidden from them will be revealed.

トマスの福音書108話
The Gospel of Thomas / JEAN-YVES LELOUP 

「あなたは私の双子であり、真の伴侶である。…自分自身を知りなさい。自分を知らない者は何も知らない。しかし自分を知る者はすべてのものの深みを同時に知る」

(トマス書『争う者』より)

ここで、イエスは、「私のようになり、私もその者のようになる」と、人間がイエス(神の光)と同じ存在性を分かち合えるという考えを示しているのです。

つまり、誰でも「自分の内にある神の光」を発見すれば、イエスの「双子」 になれるという教えを説いているためトマス(双子)の福音書と呼ばれ、双子というニックネームで呼ばれたトマスは、イエスと象徴的に「双子」=イエスと同じ神の光を内に宿す存在であったのです。

しかしながら、このような光栄なニックネームを持つトマスは、『ヨハネの福音書』では、疑い深い者として少々ネガティブに描かれます。復活したイエスが現れたとき、トマスは他の弟子たちの証言を信じず、「その手に釘あとを見なければ信じない」と言ったのです(ヨハネ20:25)。

カラヴァッジョ「聖トマスの不信」
トマスが、復活したイエスのわき腹の傷に指を差し入れる瞬間が描かれた
カラバッジョの時代、トマスの福音書はまだ発見されていない。
http://www.christusrex.org/www2/art/images/carav10.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6804893による

『ヨハネの福音書』には、さらに「イエスが愛した弟子」という匿名の人物が登場し、伝統的にヨハネと結びつけられています。共観福音書においては、ペトロが教会を築く礎石、十二使徒の筆頭として強調されますが、ヨハネの福音書ではペトロの重要性を否定してはいないものの、最もイエスに近かった弟子は、トマスやペトロではなく、「愛された弟子」であるという強調が織り込まれているのです。空の墓で、ペトロよりも先に到着し、そして「見て信じた」のは「愛された弟子」でした。(ヨハネ20:8)

トマスやヨハネは、異なるキリスト教徒グループの代弁者であり、1世紀末ごろには互いに議論し、どちらが優位であるかを激しく論争していたのです。

その教えにも違いがあります。『ヨハネの福音書』は、『トマスの福音書』と同様にイエスを人間の姿をした神の光と考えていますが、『トマスの福音書』では、前述したように、イエスに宿る神の光は、人間が皆神のかたちに創造されているため、全人類に共有されていると考えられているのに対し、『ヨハネの福音書』では、イエスを「初めに現れた光」と同一視し、この光におけるイエスの唯一性こそが、彼を神のひとり子であり、人類全体の光、すなわちすべての人を照らす真の光とする、と見ており、イエスだけが、暗闇に沈む世界に神の光をもたらし、イエスに宿る神の光を通してのみ、人間は神に近づくことができると伝えています。

ヨハネ自身が明確に「イエスがキリストであり、神の子であると信じるために、そして信じることによってその名によって命を得るために書く」と述べているのです。

それはまるで、『トマスによる福音書』の教えに反対するために書かれたかのようです。

ヨハネとは異なり、トマスはイエスを信じることよりも、神を知ろうと努力することを説いており、その手段として、神が自らのかたちに創造した人間に与えた能力を活用することを促しています。

しかし最終的に新約聖書に収められたのは『ヨハネの福音書』でした。その神学は統一された教会の柱のひとつとなり、一方で『トマスによる福音書』は異端とみなされるようになったのです。

もし、『ヨハネの福音書』ではなく、『トマスの福音書』が聖書に含まれていたならば、または、ヨハネとトマスの両方が聖書に収められていたのならば、今日のキリスト教、さらには世界そのものが、今とは全く異なる姿をしていのではないかと思わずにいられません。



京都、太秦にある大酒神社

京都、太秦に大酒神社と呼ばれる小さな神社があります。秦氏によって建立されており、ご祭神は、秦始皇帝、弓月王、秦酒公となっています。

大酒神社由緒書

大酒神社は、昔、大辟神社という漢字が使われていました。それは、古代イスラエル王・ダビデの中国語表記「大闢」の簡略化ではないかと言われています。

前回の記事にも書いたように、日本に渡来した秦氏一族はユダヤの血をひく古代東方キリスト教徒であったという説(日ユ同祖論)があります。その説で秦氏は、異端とされ追放され中国にまで広まったネストリウス派ではないかと言われるのですが、ネストリウス派が追放されたのは、431年のエフェソス公会議で、秦氏の渡来より後の時代になります。

大酒神社。秦氏によって創建された広隆寺の桂宮院の境内に鎮守の社として祀られていたが、
明治元年の神仏分離令により現在の位置へと移し替えられた。

もし、秦氏がキリスト教であったのであれば、ネストリウス派ではなく、1世紀にインドにまで布教しにきたこのトマスの教えを信仰していたキリスト教であったのではないかと私は思うのです。

参考文献:Il Vangelo Segreto di Tommaso, Elaine Pagels, Mondadori 2005







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